社会制度は未完成なままの方がいい
日本の民法第1章をご存知だろうか。
なんのことはない。常識的に考えてダメなもんはダメに決まってんだろボケが。と言っている。憲法の前文もそうだ。
考えりゃわかるだろボケが。と言っている。
「公共の福祉」に法的定義は存在しない。一元的外在的制約説から内在・外在二元的制約説になり一元的内在的制約説が定着して、今やそれも下火である。ときどきにときどきの解釈があるだけだ。
最も厳格に定義されるべき法という存在のドアタマに、常識的に考えりゃわかるだろと書いてある。以降は全てレアケースに向けた補足でしかない。正義と法と規制の行き着く先はアルゴリズムと虚無だ。その時僕らは真に生きていると言えるだろうか。
献血や骨髄バンクは健康な人の善意によって成り立っている。制度としてはあまりにも不完全だ。なにがしかの強制力を持って運営される方が数の確保にはいいだろう。
しかし僕は、なんかよくわからないがあらゆることが人々の善意によって上手いこと回ってしまう、そんな社会であってほしいと切に願うのであります。