”無理しない”は己を知ることなんじゃないかと。
「無理しないで」って、割と最近言われたり言ったりすることが多かったように思えて。でも言ったところで、意味合いけっこう人によって違うなと感じることもあり、なんか考えてみた。
かわいそうがってる感
その人のことをただ心配している、もしくはそう言って欲しい的なところにあてがう要素も含む。
賢く考えて感
これは全体感。相手もあってのことで、そこから影響することなど想像ぜすひとりよがりになってしまわないでの要素も含む。
主にこの2つが私としては浮かぶ。
私は後者の意味で自身の行いにも責任を持つ時に使うことが多い。仕事においては、相手に言うときこの意味がほとんどかも。
でも、真意を伝えたかったらこの細かいところまで説明する必要はある。わかってる。でもしない理由もある。
コミュニケーションは全て説明したからといっていいものではないと思ったりするから。気になったら聞けばいい、聞く前にわからないなら考えてみて、なんで?どうして?ってなればいい。葛藤もすればいい。からの答え合わせもあっていいんじゃないかと思う。現実は、想像してたのと違うことだらけな気もするし。その差を感じることって痛いこともあるけど大事な気もする。
それで自分が見えた時に、”無理しない”感じっていうのが自分なりでいいからできたら、そこから始まる話なら聞きたいし一緒に何かできるかもしれないし。とかなんとか言っちゃってますが、究極一人では生きてないし自分一人の力ってほんとに目の当たりにすると気づけることの方が多いのではないかと改めて思う最近なのでした。