アデル、ブルーは熱い色
わたしが学生のときに折しも話題になっていた映画。
当時はLGBTというワードがまだ耳新しかった頃で、「女性同士のセックスを撮った」などとセンセーショナルな謳い文句で世に出ていた気がするが、とにかく斬新な映画として認識されていたと思う。
何せ出てくる人物たちはみな本能の赴くままにむさぼるように生きている感じがして、思わず見入ってしまう。ほんのちょっとした生活シーンでも欲求そのものをよく捉えている。
無心にぐちゃぐちゃとボロネーゼを食べ、口開けっぱなしで無防備に眠り、動物みたいに恋人と交わる。
なんていうか、いやそんなドアップにするの 毛穴とかめっちゃ見えてんじゃんって思うんだけど、生きてるそのまんまって感じ。
ナチュラルって言ったら違うかもしれない、なんかこう斜に構えずひたすら生きてる感じでいい。だらしないっていうわけでもなく、がむしゃらっていうわけでもなく、ただただひとつの生きものとして。
原題がラヴィドゥアデルっていうだけあると思う。
なんかこうアデルの体感がからだにぐいぐいきて、欲求や五感を刺激されるというか、とかくこれはすごい映像体験だった。
とくにエマと別れて憔悴しきっているときに、海に入っていってぷかぷかと浮かぶシーン。ぬくくてしょっぱい水がたぷたぷからだにしみこむみたいにからんでくる感じが、音と光とアデルの顔からまあこれでもかっていうくらいに伝わるの、これすごいよこれ。どうなってればこうなるわけよ、天才、って思ってしまった。
なんかもうLGBT映画であること忘れてしまう。
本当はこの映画が話題になったばかりの頃にみたくて仕方なかったんだけど、なんだかんだ見れずじまい…となっていたところで、雑誌かなんかでたなかみさきさんが紹介してるやつを最近目にして慌てて借りた。
でもなんか今みるほうがいい意味でべっとりとのこるなたぶん。
全然違う世界のものに見えているマイノリティの人たちの、マジョリティとは寸分も違わないただ生きるままに生きる人生そのものを映している感じだった。