恒夫について

先日、すごく久しぶりに「ジョゼと虎と魚たち」を観た。偶然CSでやっていたから、これは!と思い、ごはんを食べながら。
最後に観たのは、19の頃だった気がする。たしか当時の彼氏と遠距離中で、バイトもしてなく、暇な夏休み。当時クレジットカードも持っていなかったので、違法アップロードか何かのガビガビの画質で観た記憶がある。

当時はこの映画、くるりのハイウェイが流れて、なんだか暗くて青くて、男女、このラブホいいな〜なんて、雰囲気に圧倒されただけの呑気な感想しかなかったような気がするが、は〜〜〜5年後に観るとま〜〜なんか、ぐわ〜〜〜、、、と、、ニガニガな気持ちになったのであった、、。


そもそもこういう映画はどこか懐かしい爽やかな映像と音楽で、"無い記憶"をしがむものなのだと思ってるのだが
なんとなくやりがちな、自分の恋愛と重ねたりして
特に私は遠距離恋愛していたのもあって、LINEでラブラブ♪どこ行っても楽しそうだぜイェイ♪→会ってみたらなんか違うな…みたいな体験を、懲りずに重ねてしまっている。
水族館のシーンや、ホテルで恒夫くんが先に寝たとことかは、、、grgrgr


ここ最近身の回りに「"好き"って感情がわからないから人と付き合わない」と表明してる男性が多い。ま、言わんとしてることはわからなくもない。
相手のことを真正面から理解するのが"恋人"というものだ、と信じているんだろうな。ネガでいうと、そんなに興味も湧かないし深入りするのも億劫だから、その場が楽しければ良いってことだな。
それでしかもきっと恒夫くんって、あの後カナエと会ったけど、本命の彼女にはしないでしょ。だってカナエの喋ること、ひとつも耳に入ってなかったもんね、、。(それはジョゼの存在が輝きすぎて という演出なのだとも思うが)


ここらで有名な恋愛至上主義者の私から言わせてもらえば
「自分のものにしたい」⇨恋
「守護りたい」⇨愛
とざっくり分けられると思っている。
これはシンプルですが自分で出した自分なりの答えです。



きっと恒夫くんは「恋」しかしてこなかったから、ジョゼと旅行に出かけた日に「愛」が荷が重いことに気がついて、しばらくして別れて、別れた後に「守れ(愛せ)なかった〜!」と思って、泣いたのかなーーーと。
(しばらくするな とも思った。こういう奴って気づいてから遅いんだよな。ジョゼが本当に大人だよネ、、。)

なんかそんなん、男からしたら美談かもね。


よ〜く見てみると恒夫くんの心の揺れ動きは思ったより小さいものだった、という気づきでした。

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