ベルガモ
今回は我らがアタランタのホームタウンベルガモについてまとめてみました。(上の写真はコロナウイルスで苦しむベルガモの人々へアタランタの選手達がメッセージを送る様子。)
0はじめに
一口にベルガモと言っても、一箇所に断定するとこはできません。ベルガモという地名は、ロンバルディア州に属するベルガモ県、それから、ベルガモ県に属するベルガモという※コネームに使われています。今回紹介するのはこのコネームの方のベルガモです。では早速見ていきましょう。
※イタリアのおける最小単位の自治組織のことです。
1ベルガモの基本情報
国
イタリア
州
ロンバルディア州
県
ベルガモ
人口
120287人(2017年1月1日)
面積
39,60㎢
人口密度
3037,6人/㎢
言語
イタリア語 ロンバルディア語(方言)
姉妹都市
グリーンヴィル(アメリカ合衆国)
プエブロ(アメリカ合衆国)
ミュールーズ(フランス)
トヴェリ(ロシア連邦)
ホウフ市(中華人民共和国)
ブエノス・アイレス(アルゼンチン)
位置
ミラノから北東方向に約46km、ブレシアから西北西に約45kmの位置に位置しています。
気候
ベルガモは地中海性気候で梅雨はなく、雨の多くは冬に降ります。
2市街
ベルガモは、旧市街地のチッタ・アルタと呼ばれるベルガモ・アルタと、※FSのベルガモ駅ある新市街地のチッタ・バッサと呼ばれるベルガモ・バッサに分けることができます。
この二つの街はケーブルカーでつながっています。チッタ・アルタは、城壁で囲まれていて、2017年には、世界遺産に認定されました。
※フェッロヴィーエ・デッロ・スタートの略称です。元々は国営鉄道であり、現在は民営化されています。日本でいうJRのようなものです。
3チッタ・アルタの歴史的な建物
サンタ・マリア・マッジョーレ教会
1137年に施工され、1185年に主祭壇が完成したものの、13世紀から14世紀にわたって経済的な問題によって、建設が全く進まず、最終的に完成したのは、1521年でした。
外装は、11世紀から12世紀にかけて現在のロンバルディア州あたりで発展した、ロンバートロマネクス様式が採用され、内装は、10世紀から12世紀にかけて西ヨーロッパで広まったロマネスク様式を採用していましたが、17世紀の改装工事の際に、カトリックの対抗宗教改革の中で16世紀後半から17世紀前半に広まっていったバロック様式に改装されました。
コッレオーニ礼拝堂
1472年から1476年にかけてベルガモ領主バルトロメーオ・コッレオー二によって、彼自身と娘の霊廟にするためサンタ・マリア・マッジョーレ教会の聖具室を取り壊してたてられましま。ロンバルディア・ルネサンスにおける傑作のひとつと言われています。
ベッキア広場
ベルガモ・アルタの中心となるのがこのベッキア広場です。15世紀に建設され始め、中央の噴水は18世紀にベネッチア共和国によって作られました。
アッカデミア・カッラーラ
美術館、美術学校です。
18世紀美術品の収集家だった、ジャコモ・カッラーラ伯爵がベルガモに遺産として残ったことが始まりでした。1958年以降はベルガモのコネームが管理しています。
4COVID-19
イタリアでは、新型コロナウイルスが感染拡大しています。ベルガモでの被害は、特に甚大でした。
またベルガモでの感染拡大の一つの要因として挙げられるのが、2020年2月19日、イタリアで最初の感染者が出る2日前、ミラノにあるサン・シーロで行われたUEAFChampionsLeagueのラウンド16第一戦のアタランタBC対バレンシアの試合です。この試合はアタランタBC初のCLのラウンド16だった為、ベルガモからミラノへ、何と3万6000人の人が移動しました。そしてのちの分析によって、この試合を観戦して人の20%にあたる7000人の感染が確認されました。感染ルートは様々で、試合観戦はもちろん、貸し切りバスや地下鉄、試合前後のサポーターの集会などが挙げられています。さすがにこの試合が感染爆発のきっかけという見方はありませんが、感染を加速させたことは間違いないといわれています。
5最後に
僕自身もまだベルガモに行くことができていないのでコロナが終息したら、行ってみたいなと思っています。そして、そこでアタランタのチャンピョンズリーグの試合が見れたら最高ですね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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