山と谷

生理前でもないのにあまりに感情の起伏が激しすぎて、我ながらびっくりを通り越して面白い。

昨日の夜、体調があまり良くない中で前職の先輩から誘われていた大人数飲み会の予定を断り、早めにベッドに潜り込んだものの目が冴えていて、何となく「サラダ記念日」を再読した。俵万智が20−24歳までの短歌集と知って、その猪突猛進的な恋愛感覚に納得しつつも、こんなに豊かな感情表現ができる人生を歩んでいたことに嫉妬する。嫉妬という感情は怖い。

読み終わってから、短歌を詠んでみたくなった。実際には詠まない。でも微睡みの中、恋人と過ごした時間の一瞬の幸福を思い出しながら、意外と私も何かを書ける材料はあるのかもしれない、と幸せな気持ちに浸りながら、気が向いたら詠んでみようなんて思いつつ眠りについた。

話は逸れるが、恋愛とは全く関係ないところでも、思い返すと、詩に残したいような感情は幾つかあった。

例えば、今絶賛開催中の野球の世界大会、SNSで知人たちが一喜一憂している様を見て、理解ができなかった。昔から、スポーツは自分が実際にやって好きなスポーツしか見ないし、こういう世界大会の時だけ急に盛り上がる俗に言う「にわか」サポーターを卑下してきたけど、それとは全く別の次元で、純粋に何故私が日本チームを応援するのか、意味がわからないなと思った。これが、アイデンティティ・クライシスなのだろうか。私は日本人だけど、日本への思い入れは着実に減っていっている感覚がある。ふと思うと、ユダヤ人と呼ばれる人たちは、国家がない中であの繋がりを維持しているんだから、やっぱり宗教ってすごい。少し怖いぐらいに。

住み始めてそろそろ2年が経とうとしているこの国は、もはや異国情緒は感じることがない。はじめの頃は何にビクビクしていたんだろうと思うほど、今となっては居心地が良くすら感じる瞬間がある。街で歩いているだけでも、心の重石が軽くなっているのを体感する。新しい職場になって、人付き合いが良くなったことも影響しているのかもしれない。面白い仕事、十分な生活水準、満足感のある待遇。このままここで胡座をかいていたいほど意外と居心地がよくなってしまっている気がする。

一方で、自分の付加価値はまだこの職場では見つけられていなくて、日々焦りも感じる。何も付加価値を生んでいないんじゃないか、この待遇を受け取っていて大丈夫なのか、ある日突然会社の人が背を向けてしまうのではないか、と思うと内心ビクビクではある。でもある程度はたぶん仕方ないもので、まだ(「もう」なのかもしれないけど)始めてから2ヶ月だし、今与えられている環境で自分ができることをやるのみ。もちろん、心と身体がしんどくならない程度に。

本題に戻るが、仕事と並行して、もう一つ大きな恐怖がある。恋人との今の居心地の良い関係性がいつまで保てるのか。相手もそうだし、自分も。

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