生理前でもないのにあまりに感情の起伏が激しすぎて、我ながらびっくりを通り越して面白い。 昨日の夜、体調があまり良くない中で前職の先輩から誘われていた大人数飲み会の予定を断り、早めにベッドに潜り込んだものの目が冴えていて、何となく「サラダ記念日」を再読した。俵万智が20−24歳までの短歌集と知って、その猪突猛進的な恋愛感覚に納得しつつも、こんなに豊かな感情表現ができる人生を歩んでいたことに嫉妬する。嫉妬という感情は怖い。 読み終わってから、短歌を詠んでみたくなった。実際には
辞めますって伝えたのが、2022年11月4日。 実際に辞めたのが、2022年12月9日。 次の会社に入社するのは、2023年1月16日。 この2ヶ月を振り返る。 2022年11月4日〜15日 会社からの引き留め期間。数えてみると、計18人と各1時間ずつぐらい面談した。背中を押してくれるのではと期待していた先輩方からは意外とシビアな反応だったり、各々持っているファンドのイメージとかキャリアの考え方を知る上で勉強になった。イメージに関してはワンマン社長の印象とか、日本社会にお
大きな選択を迫られた時、私は思考停止に陥ることが多い。めんどくさい。どうにかなるでしょ。どうせ考えても思い通りになんかいかないし。自分のそんな悪い癖に精一杯争ってみたい。普段はもう少し取り繕った文章を書くけれど、今回に限っては今の自分のありのまま、ブレストの状態で書き残しておきたい。 現状に対する評価(+/ー) (+)自分自身が周りの社員に比べて相対的に優秀であることが既にわかっており、評価してもらえる確率は100%に近い (+)金銭的には恐らく30歳で2,000万程度
「結婚しよう?」 ひと時でも結婚したいと思える人に出会えたことがすでになんて尊いことなんだと考えていたのはつい数日前で、その張本人から全くそのまんまの言葉を言ってもらえた今日はもしかしたら果てしなく尊い日なのかもしれない。
誰かを想いながら涙が溢れるのは何年振りだろう。出会った5年前からここまでに至る迄に積み重なった偶然の幸運、確実に暫く、もしかしたら一生重ならないかもしれない人生への絶望。
週末に友達の家でのホームパーティーがあり、そこに参加していた女の子が人生で初めて捌いたという当日絞められた鶏を焼き鳥にして食べた。その女の子に感想を言わなければと躍起になり、自分の口内にある感覚全てを駆使して焼き鳥を味わい、肉の柔らかさに感動し絶望した。鶏を絞めることもできない、捌くこともできない、肉を喰らうその行為をうまく正当化することができない中途半端な状態の私。 次の日、家の近くのいつも通っているスーパーで夕飯の買い出しをしていて、ふと肉売場の冷凍コーナーに陳列されて
「自分のアイデンティティについて考えよう」というお題が出ていたのは高校3年生の時の倫理の時間だっただろうか。自分が何について話したのか、今となっては何も覚えていないから悔しい。 ただ、一つ言えることは、今でさえこれといったものが見つかっていないんだから、当時から私のアイデンティティはきっとずっと迷子。 先週、友人に勧められて『ぜんぶ運命だったんかい』というエッセー本のようなものを読んだ。それは、フェミニスト笛美さんが書いた本で、広告代理店に勤めるバリキャリからどうやってフ
「月に一度のお友だち」と表現されるそれは、友達と呼べるものじゃないし、そんな表現を作った人を恨みたくなる。 毎月、女の本分を諭される気持ち。経血がどろっと垂れる感覚。絶え間ない眠気と苛立ち。考えなければいいこと、深くて暗いところへ思考がぐるぐる吸い込まれて行く。 色んな名称が付いた症状、対応策として掲げられる先進医療の数々、取り巻く社会問題。本質的なものは何処にあるんだろう。保険の適用とか、生理用品の配布とか、生理休暇とか、「誰か」の為の施策であって、「私」はまだ暫くこの
自分と向き合う時間が足りない、と感じる。 巷ではまた奴が流行し始めているみたいで、世の中が姿が見えない漠然とした暗い何かに覆われてから、しっかり季節が一周しようとしてる。 別に私は感染していないし、かかったとしても重症になる可能性は比較的に低いような気がしている。身近に高齢者もいなくて、ウイルスの脅威を身近に感じることは日常において殆どない。 でもやっぱりウイルスは私の日常を変えてしまったようだ。 この1年間、こんなはずじゃなかった、と思っているのは私だけじゃないだろ
日本のシティポップ、安い味のするインスタントコーヒー、高い少量のボンボンショコラ、赤いウィンストンキャビン、江國香織の「きらきらひかる」、カネコアヤノ、羊文学、君の鳥はうたえる、乗り物に揺られている時間、アメトーーク、水曜日のダウンタウン、朝ごはんのパン、ラフロイグ、スーパー銭湯や温泉、バレーボール、黒いワンシーターのカリモク60、青空から日光が突き刺す日の冷えたビールか白ワイン、黒のマニキュアを付した自分の指、ジャラジャラの指輪、肉汁が中にたっぷり閉じ込められてる餃子、エキ
あと何度、こんな週末を過ごすのだろう。 恋人がいるときの週末は簡単だ。金曜日、やっと一週間が終わった報告を一番にする。土曜日、二日酔い気味に昨晩の余韻の中ひとり部屋で起きても孤独を感じることはなく、携帯を通じて「おはよう」で繋がれる人がいる。日曜日、調子がよければ朝から出掛ける。そして一日が終わる頃には充足感に浸りながら今週も良い週末だった、明日からも頑張ろうと前向きな気持ちになる。全員が全員、恋人がいる人はこんな週末を過ごしているわけではないんだろうけど、私に恋人がいたら
会社に入って半年、突如としてインストラクターの異動が決まった。 異動発表の日の夜、来月からは名古屋に行ってしまう彼にこの半年間インストラクターとして感じた新人の性格的特徴を聞いたところ、私の強みと弱みは以下の通りだった。 強み:英語、積極性、気が遣える 弱み:雑、「はいはい」と返事を流しがち、素直じゃない 無論、そんなことを言われて胸糞が悪かった。最初は意地をはって怒って、そのあとしっかり凹んだ。「謙虚に、謙虚に」と自分には言い聞かせてたつもりだったけど、同期トップ入社
ひさしぶりに書きたいことができてとても嬉しいので、その嬉しさを爆発させながらこの記事は書こうと思う。 仕事をすこし好きになり始めているかもしれない。 世の中にこんなに自由に勉強させてもらえる仕事環境は他にあるんだろうか。わからないことばかりで毎日が溢れていて、業務中に自分の好きな本を読めて、自分よりも知識のある人たちが周りにたくさんいて、自分のキャパシティを優に超える雑務がいくつもある。 これがありのままの仕事として本質的に好きなのか、ただのマイブームような感覚なのか、は
台風らしい。自室でぼーっとするしかなくて、そうすると昨日の記憶を抜け出せないまま、昨日が無限ループな感覚。 「好き」という言葉は魔力のある言葉だ。 その魔力を知っていながら乱暴に連発するのは暴力。 わたしは全てが「嫌い」。 なのに、「好き」の魔力に翻弄されてる。 あの言葉ひとつで関係性が一段上の世界に突入してしまった感覚だ。
ボルタンスキーの哲学は「人生には始まりと終わりがある」ということらしいけど、肝心なその間をどう生き延びればいいのかについては誰も教えてくれない。 思い出は残らない。 死んでしまえば本当に。 生きていても常に。 楽しいとか苦しいとか、感動とか幸せとか、お腹空いたとか痛いとか、全部ブラックホールみたいな何かに一瞬にして吸い込まれて消える。 日本人は大体が火葬されるから、最後はブラックホールよりも空っぽの灰になる、とかの方がしっくりくる。 私はすでに忘れ始めている。 大切だっ
「君はスマートな上で綺麗だね」 "You are smart and pretty" 綺麗すぎるその青い眼を信じたいけど、私は素直じゃない。 それでも心のどこかで、もしかしたらこの人だったのかと思う。