電子商社の営業から外資系メーカー営業への転職実例を具体的に
こんにちは。
今回は私が体験をベースに、転職時のリアルをお伝えできればと思います。
個人スペックなどを入れてる転職活動スタート以降の部分は、ご興味ある人だけに見てもらいたいので有料コンテンツとさせていただきますが、具体的な数字も入れて書きます。長くなりますが、転職考えている方々のご参考になれば幸いです。
明らかに語学力不足だけど、外資系も受けてみようと思っている方へ(笑)
転職を考えるようになるまで
私が転職を考えるようになったのは、社会人歴10数年経過した30代です。
きっかけとしては、以下のようなことを考えたから。
■商社だと、メーカーの意向によって商権がなくなる可能性がある
= 一気に売上・利益が飛んでしまうリスクがある
■所属している会社メンバーのモチベーション不足、ぬるい雰囲気
→自分で稼ぐ力を付けたい、そしてそれを試したいという想いが膨らんだ
おこがましいながら、「この人たちとお金(給料)を分け合うのが嫌だ」
と思うようになり
■ひとつの会社で働き続けることのリスク
→同一企業で成果を出し続けて、それを他の環境でも変わらず発揮し続ける
有能な方がいるのはもちろんですが、スーパーな能力を持つわけでもない
自分自身が生きていくためには、「複数企業で、そこそこの結果を出す
人材になること」ではないかと考えたから
良くないことが続いたりしたというのもあるのですが、
主に上記の考えからでした。
この中で、3番目について書きたいと思います。
例えば40代後半とか50代になった時に職を失ったと仮定して、
その時にどういう人が求められるか、をシミュレーションしてみました。
■ひとつの会社で結果を出してきたスーパー営業マン「A」
■複数の会社で働いていて、スーパーな実績はないが、
70−80点ぐらいの成績はキープしてきた営業マン「B」
この2人の採用を検討する側の立場になって考えてみると、
同じ会社で大活躍してきたAさんが自社に入っても同じとか、
それ以上の成績で貢献してくれることがベストです。
しかし、他社で通用するかどうかは採用してみないとわからない
というのはあるでしょう。
社風や文化の違いもありますし、馴染めない可能性もあると考えると、
成功率は50−60%ぐらいかもしれませんよね。
一方で、いくつかの会社で経験があって、それぞれの場所で常にそこそこの結果を出しているBさんの人であれば、『うちに来てもそれなりにやってくれるんじゃないか』という見え方になるのではないか?と考えました。
確かにスーパー営業マンAさんがフィットして大活躍するのが一番ですが、採用での失敗は極力減らしたいものでしょう。そういった考えから、Bさんのような複数の会社での経験を持つ人材になることが必要になってくるのではないかと考え、新たな環境でのチャレンジを求めることを決意したというのが流れとなります。
いざ転職活動スタート
転職活動するのを決めたはいいが、じゃあどうやって動くのか。
何をすればいいのか?
まずはネットでいろいろと検索し、どんな求人があるものかと確認していきました。当時の年収は700万円ぐらいだったのですが、そのあたり+αのレンジで
求人探しをしてみると、自分が思っていたよりも良い条件の仕事は、意外とフィットしそうな案件が少ないものだったんですよね。年収アップを図ろうとすると、出てくるのは外資系半導体メーカーの日本支社ばかり。ここでまず、その状況での自分が恵まれている方だったのかということを初めて認識したんだと思います。
ここで、当時の私のスペックを簡単に。
住まい:東京都
年齢:30代
年収:700万円前後(転職前で800万円前後に)
職務:半導体関連商社の営業担当(転職活動の途中でマネージャーに)
家庭:妻と小学生、幼稚園の子どもが2人の4人家族
語学力:英語が少しだけ
(といっても全然で、TOEICスコア600点ほど→転職決まる頃700点前後)
その後、リクルートエージェントはじめ、複数のエージェントに登録し、
担当者との面談、電話面談を繰り返しました。
自分から登録したエージェントが4-5社で、他に登録したビズリーチやLinkedInなどから連絡をくれる方もたくさんいました。
この頃、エージェントとの面談で一番多かった反応が、
『意外と(給料)もらってるね』
『○○(前職の会社名)さんは待遇良いですね』
というものでした。
当時の職務内容、年齢などを詳しく聞いてもらった上で、
だいたい皆さん同じような反応だったのを覚えています。
それまであまり考えていなかった「自分の市場価値」がどれぐらいかを
意識するようになったきっかけになりました。
また、あるエージェントからは、商権がなくなることへの不満や不安があると話をしたところ、こんな話も聞きました。
『メーカーから商社への転職は比較的いつでもしやすいですが、
商社からメーカーへの転職となると、40歳まで一つの区切りになりますよ』
求職者である私を焦らせるために言ったことなのかもしれませんが、
これにはまんまと乗せられました(笑)
どちらで働いても大変なことやリスクはあるにせよ、当時の自身にとって
働いてみたいと思っていたのはメーカー側であり、そのためには急いだほうが良さそうだということが見えたので、よりメーカー営業のポジションにフォーカスして探していこうと考えるようになりました。
そのメーカー側といっても、半導体や電子関連では、日系か外資系かのどちらか、という選択肢がよく出てくることになります。そうではない業界もあると思いますが、電子業界では当たり前のようにありますね。
となると、出てくるのが英語力の問題です。
当時の私の英語力は、外資系を目指すにはかなり物足りないものでした。
(それは今もですけど。。。)
TOEICスコアが600をようやく超えたぐらいでしたから。
出張や旅行で海外経験は何度もありましたが、留学などで生活したことはなく、
TOEICも会社で必要とされて学習、受験していたぐらいです。
500点台から少しずつ伸ばして、ようやく600点を超えはしたものの、その後また500点台に戻ったりといかいうレベルです。
こんな実力ではありながらも、エージェントからは『受けるだけ受けてみたら』と言われたりもして、チャレンジしては撃沈するということが何度もありました。
仕事で英語を使っていたのはアジア圏で、英語が母国語ではない人たちとのメールや電話だったので、相手が欧米系となるとかなり厳しかったですね。
面接に進めてもらえたのはいいけど、言ってみたらいきなり英語面接されたり、海外拠点のマネージャーがオンラインで参加してきたりで、動揺を隠しきれず、何度も聞き返し、変な汗いっぱいかいた末に不合格が多かったです。
そんなレベルだったら日系メーカーを探せば良いじゃないか、と思われるかもしれません。しかし、条件的には厳しいところが多かったです。500−700万円ぐらいでの募集が多く、想定範囲のMax金額が出ることは考えにくいと思うと、当時年収700万円前後の30代家族持ちにとっては難しいかなという判断でした。たまに700−800万円以上の募集なども目にしましたが、営業部長クラスだったりして、転職活動中にマネージャーになったものの、5人程度の管理経験しか職務経歴書に書けない私にとっては興味を持つものではありませんでした。そう言いながらも数社は受けて、最終的に内定も1社いただきましたが。
具体的な選考参加
職務経歴書や英語レジュメはネットで調べたり、エージェントにアドバイスをもらいながら常に更新していく形でしたが、より具体的な業務内容や成果を加えたところから、書類通過率が一気に上がりました。
○○社(顧客)の〇〇(製品)向けにセンサーICを販売。ビジネス規模○億円/年
といった形で、具体的に。
いろいろな製品やサービスがあるとはいえ、電子部品関連の業界は知り合いにすぐ会ったり噂を聞いたりような狭い業界なので、イメージしてもらいやすくなったのかなと思います。
英語力に不安は抱えながらではありましたが、すべての外資系の会社が入社時に高い英語力を求めるわけではないということも聞いていたので、推薦してもらって受けては、お互いの印象を確認するということが続きました。
書類選考でNGだった会社は数えられないほどありますが(苦笑)、
そんな中で面接以降に進めたのは以下のような国々の会社でした。
北米・・・3社受けるも英語力不足と業界違いでフィットしない判断を受ける
欧州・・・英語面接で撃沈が2社
中国・・・付き合っている会社が多いことで逆に不安もあり、数社受けるも辞退
台湾・・・電子業界では外せない国で、何度も出張で行ったこともある親日の国
であり、前向きに選択。1社内定。
香港・・・ロボット系の会社を受けるも英語力不足
日本・・・ICやAIのベンチャー、開発受託企業。1社内定
先方企業で近づきやすかったのが、渡しの場合は台湾企業でした。
現実的ではないようなポジションの応募などもありましたが、
結局スムーズに進むことができたのは、「電子部品営業、日本顧客へのビジネス経験あり」とうこれまでの実績がわかりやすい形で次に使えそうな業種だったと思います。当然ではありますけどね。
業種をズラして、ということも考えたり、チャレンジしたりもして、
めっちゃ入りたいなと思う会社が出てきたのも事実ですが、
そこは力不足で縁を掴み取るまでに至りませんでした。
ようやく決まった転職先
気持ちが上がったり下がったりしながら、最後に移籍することになったのは、
台湾本社の電子部品メーカーの日本支社となりました。
2回の面接の後にオファーレターをいただくことができました。
一次面接は現場営業社員、最終面接となる二次面接は、
日本の営業を取りまとめる台湾人が面接官でした。
気になる英語については、面接では不問に近い形でした。
面接はすべて日本語で行われ、語学については
『英語にアレルギーはないか?』といった質問程度。
過去に仕入先であるメーカーとはメールなどで英語は使っていたという説明で、
問題なかったようです。
二次面接終了後からオファーレターが出るまではちょっと時間があり、
「合格」の連絡自体は数日後にもらえたのですが、具体的な条件提示までが
数週間?ぐらいあり、家族に納得してもらえる条件を得られるのかどうかを
とても気にする日々が続いたのを覚えています。
最終的にはベース年収700万円弱+インセンティブという条件となり、
その当時勤務の会社での給料が少しアップしていたところからダウンには
なりましたが、入社を決めました。一旦年収ダウンとなるかもしれませんが、中長期的に考えた際に、ステップアップにつながるキャリアと考えたためです。退職金なしの企業ということもあり、嫁の説得には少し時間かかりましたが、自分のキャリアに対して考えていることをオープンに話して、最終的には納得をしてもらうことができました。
当時の語学力で受け入れてくれる海外メーカーとうまく巡り合わせてくれて、
過程でも丁寧にケアしてくれたエージェントには大変感謝しています。
転職活動で強く意識するようになった「自身の市場価値」を常にチェックしていくためにと、その後も付き合いを継続してもらっています。
私の転職活動期間は、様子見してた期間から考えると4年ぐらいになるかと思います。そこから実際決めて転職するまでの間には、勤めている会社に残ったままでも良いかも?と思って、しばらく活動を緩めていた期間もありますが、今となってはいろいろなことをゆっくり考えることができたのは良かったと思っています。
長くなりましたが、お読みいただきありがとうございます。
コロナ禍の中ではありますが、電子部品業界はモノ不足に陥っているほどの好況ではあるので、募集も出てくると思います。
現在は面接もオンラインで実施されることも多いようなので、より多くの面接を受けることもできるかと思いますので、ぜひ積極的にチャレンジしてみてもらえればと思います!
以上