名前のついた化物に人は救われる
皆様、あけましておめでとうございます。
今年もマイペースな内容と更新頻度でやって参りたいと思いますが、よろしければお付き合いください。
さて、私は32歳の昭和62年生まれ、つまり昨年は人生初めての本厄でした。
同い年の友人達と新年早々に厄払いへ行くなどして「これで何があっても『厄払いしたからこれで済んでる』って言えるね〜」などと笑っていたのですが、まさか上半期だけで数十回このワードを言うとは……。
あったことの量的にも質的にもこちらへ書けないくらいのハチャメチャが押し寄せ、正直昨年上半期の記憶が厄払い以外ほぼありません。笑っちゃう。
下半期はライターとしての開業など新しい風も吹き、終わりよければ全てよしとなりました。
が、上半期を乗り越えられたのは「本厄だから仕方ない」「厄払いに行ったからこれで済んでる」と自分に言い聞かせることができたからに違いありません。
私の好きなアニメに「モノノ怪」という作品があります。
このアニメでは化物=モノノ怪を斬る為には形・真・理を知る必要がある、というルールがあります。
モノノ怪による事件が起きたとき、何者(形)がどういった事件(真)を何故起こすに至った(理)か、それが判明して初めて化物を退治できるのです。
(詳しくは本編を是非ご覧ください。12月からAmazonプライムビデオにも追加されております。和の映像と人間の情念を描いた作品がお好きな方は是非)
昨年の私に降り掛かった諸々の出来事も、『厄』という名前(形)がなければ、それぞれ単独の不幸な事象でしかありません。
諸々の出来事が起きた際、あるときは他人を、あるときは自分を責めていたことでしょう。
名前の無い不幸は漠然としていて、退治できないのです。
しかし、『厄』という名前を与えることができたために「本厄だから仕方ない」とおおよその不幸をやり過ごせ、必要以上の他責も自責もせずに済みました。
2019年は、名前のついた化物に救われた年でした。
自分が不幸な出来事にあった場合、こうやって形・真・理を自分の中で判明させることは重要かもしれません。
例えば、「金欠」(形)なら「クレジットカードの使い過ぎ」(真)が「ストレス発散に収入に見合わない趣味への支出をしている」(理)ために起きた、といった感じでしょうか。そうなると、①ストレス発散の別の方法を見つける②収入を増やして趣味への支出に備える③ストレスの根本原因を叩く、などの化物退治方法が浮かんできます。
漠然とした不幸では解決策を見つけることは難しいので、まずは不幸に指向性を与える。そうすれば糸口がつかみやすくなりそうです。
今年は後厄。また化物に救われることもあれば、反対に足元を掬われることもあるかもしれません。
しっかりと不幸に立ち向かえるよう、自身の心も強く持ちたいと思います。
改めて、今年もどうぞよろしくお願いします。
(モノノ怪もよろしくお願いします。本当に面白い作品なので!)