「50歳からの人生(さあ、これから何をする?)」
(2013年10月2日。11年前のエッセイ)
昔、言われた「人生50年」
平均寿命が80歳代まで延びた現代、50歳なんて折り返し地点。
そんなことを思った出来事。
「病院のロビーで見たTV番組」
1年前のモトクロスレースで肩を脱臼。
その後10か月間のリハビリするも治らず。
箸立ての箸を取ろうと腕を伸ばすも、上に上がらぬ状態。
見かねた理学療法士から勧められ「名医」がいる他院へ。
いくと「名医」は私を見るなり「切れてるね、10か月も何をしていたの?腱板断裂」と診断。
結局、10か月間、ヤブ医者の元へ無駄に通っていただけ。
ここでようやく切れた腱板(インナーマッスル)を元の場所の骨に縫いつける内視鏡手術。
そして、その縫い目がほつれない様、肘を上げた姿勢を保つ抱き枕の様な装具で固定され、そのまま4週間、じっと我慢という苦行の入院中。
そんな病院でのある土曜の昼下がり、病室を掃除するからと追い出され。
コーヒー片手にロビーへ行くとテレビで流れていたのは「なぜそこに日本人」(タイトル不正確)という番組。
他にすることも無いので腰を下ろして見ることに。
入院以来、テレビなんて見るのは実に16日ぶり。
ユースケ・サンタマリアが司会のこの番組。
モトクロスに行かない暇な土曜日に、他より面白いからと家で時々見ていた番組。
この日の内容は、ポルトガルの田園風景広がる田舎町で、廃墟だった古城の様な建物を5年の歳月をかけて直してホテルとして営業している夫婦の話し。
そのご主人の悩みは「月に5人から10人しか客が来ない」こと。
だが、明らかに楽しく充実している様子。
これだけだったら、土曜の夜の、単なる「人生の楽園」
でも、この時は強烈に引き込まれ、ここでこんな風に書くまでに。
それは、この75歳(と言っても、50歳台にしか見えない若さ)のご主人の経験談が理由。
このご主人の経歴は、京大卒業後、大手建設会社のモーレツ・サラリーマン(死語)。
そして、仲間の過労死がきっかけで脱サラ。
「人生は会社に尽くすためのものではない」と。
自営で造園業を始めるも、こちらもバブル全盛の好景気のおかげで寝る間もないくらいの大繁盛。
「仕事も一杯、お金も一杯、だけど自分の人生は空っぽ・・・」
ある日、そう感じ、廃業。
「自分の人生を生きよう」
そう思い直し、若かりし日に旅で訪れ「ここが一番、皆、人生を有意義に生きている国」そう感じたポルトガルに行くことに決め、この建物を見つけ購入し移住したとの事。
その時、50歳。
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よく見る番組だったが、今回は激しく共感。
実は自分も、同じ体験。
起業してから10年間、会社を大きくしたくて、がむしゃらに働き、デザイン、広告、通信業、店舗と順番に自分の望み通りに会社を成長させ、忙しく、お客も一杯、仕事も一杯・・・。
だけど・・・「自分はカラッポ」
テレビのご主人同様、10年目にしてそう感じ、我にかえり、その歩みを緩めていた同じ輩(やから)。
体力も気力も、視力も充実したせっかくの30代。
起業の理由の夢のパリダカールに出場もせず、国内のラリー大会はおろか、休日も休まず、バイクにも乗らない10年。
「ああ、自分の人生にとってこの10年、一体、何の為だったのか」
気づくとそれは、空白の10年・・・。
愕然とそう思った「あの日」の事が、この番組を見たら蘇った。
その時ちょうど40歳。
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そして、この日を機に、仕事は減らし、バイク競技にも復帰し、仕事と趣味の両立を図って今に至るが。
この番組を見て、再び愕然。
「さて、50歳になった時、自分は次に、どんな夢にチャレンジするのか?」
考えていなかった
「自分だったら、今度は何をしたいのか?」
再び、そう、自問自答。
まるで小さな子供に夢を尋ねるかのように。
「ああ、20代最後に行ったオーストラリアツーリングの、その先のルートに行きたいなあ。」
素直に出て来たのは、子供のころから夢に見ていた景色。
やはりあの赤茶けた大地の景色だった。
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