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【怖い話】 禍話リライト 「大丈夫ですよ!」

 それは体育館だという。学校の体育館なのか、市民体育館なのか、新しいのか、古いのかといったことまでは聞いていない。わかるのは、天井が高く、大きな窓が並んだ、どこにでもあるような体育館の建物というだけだ。
 Tさんは仕事帰りだった。時間は夜の十一時頃で、この辺りではまだぽつぽつと人通りも見られる時間帯だ。大通りを歩いているうちに、普段通らない小道が気になって、ふらっと入ってみた。それが体育館の脇を通る道だった。
 左手の道路越しに、敷地内の電灯に照らされ、体育館の白い壁が明るく光を照り返していた。通りがかりに、何が気になったわけでもなく、ふと体育館の上の方の窓を見上げる。視線の先、暗い屋内にぬっと黒いものが立っていた。
 はじめ、それは人型のポスターか何かだと思った。夜の体育館のことではあるし、何より大きさがおかしかった。天井近くまで伸びた高窓の上辺近くに顔があり、その下に伸びる影が異常に長い体のように見える。大きな高窓とぴったり同じくらいの大きさだ。人間の大きさではありえない。
 だが、歩いて、角度を変えて見ても、それは人影のままだった。それどころか、顔がすっと向きを変えるのが見える。
 だから自分がおかしくなったのだと思った。「え」と声が漏れ、後ずさって、正気を取り戻そうと首を振る。「やばいやばい」とつぶやいて、思わずその場にしゃがみ込んでしまった。
「やばい」
「どうかしちゃったのかな」
 周囲も気にせずに、ひとりごとが漏れていた。
「大丈夫ですよ」唐突に女性の声がした。
「大丈夫ですから」
 Tさんが振り返ると、通路に面した家の敷地内にふたりの女性が立っている。ひとりは中年の女性で、その脇にはそれよりも年上の、老人と言ってよさそうな女性がいた。気がつかないうちに、Tさんはいつの間にか敷地の境に足を踏み入れていたようだ。雑草がうっそうと伸びて空き地のように見えた庭。そこにふたりが立って、こんもりと枝葉を伸ばした庭木の脇からこちらを見ている。
「大丈夫ですよ」
「大丈夫ですから」ふたりが口々に言う。
 これは自分に言っているのかもしれないと、ようやくTさんは気がついた。家の前で座り込んでいるから、心配して声をかけてくれたのかもしれない。
 何と返したものか迷って、「あ」と口を開きかけたところで
「私たちにもあの女は見えていますから」と片方が言った。
「大丈夫ですよ」
「大丈夫ですから」
 何を言っているのか。
 何が大丈夫なのか。
 無言で立ち上がり、くるっと振り返ると、急いでTさんはその場を走り去った。おかしなものを見たことよりも、その後の出来事の方が余計に恐ろしかった。

○○○

 次の日は休みだった。前日の出来事が気になり、Tさんは昼間のうちにもう一度その場所に行ってみた。家からは歩いて十分程度の距離だ。
 利用者でにぎわう体育館は、昨夜の出来事が嘘のように平和で、どこかの少年スポーツチームの練習中のかけ声や、ボールがぶつかる音が絶えず響いてくる。
 おそるおそる窓を探すと、昨夜とは違ってその窓だけカーテンが閉じられている。そこだけカーテンが閉まっているのは気になったが、改めて見ても、顔と見間違えるようなものは何も見当らない。ひょっとしたら昨晩もカーテンが閉まっていたのだろうか。
 通りの反対側に、昨夜の家もすぐに見つかった。改めて昼の光で見れば、周囲の家からひどく浮いた家だった。プランターの中や花壇の跡にも雑草が茂り、庭木がうっそうと葉を伸ばしている。ひょっとして廃屋だろうかと覗き込むと、どうも人が住んでいる気配がある。
「何かありましたか?」と声をかけられた。
 初老の男性だ。「近所の者です」と、男性は二軒先の家を手で示した。
「あ、すいません。人が住んでるのかなと思って」とTさんはしどろもどろに説明する。
「ちょっと、ここでは何だから……」と男性が片手で道の方を指すので、後について歩いた。
 Sさんと名乗った男性は、お喋りが好きな人らしく、歩きながら、いろいろと説明してくれた。
「お母さんと娘さんのふたり暮らしでね」
 今は荒れているが、元々庭いじりが好きな人たちで、庭もかつては綺麗に整えられていたという。そう言えば大きな花壇があった痕跡が残っていた。
「夜まで庭仕事をしているうちに、変なものを見ちゃったらしくてねえ。そっからだんだんおかしくなって」
 詳しくは伏せたが、近所ともずいぶん揉めた。そのうち庭も荒れ、今では、ほとんど近所との付き合いも絶えている。一応回覧板だけは回しているが、それくらいだ。
「言ってることもだんだんわけがわからなくなって」
 理解できないというようにSさんは首を振った。

 後に体育館のことは調べてみたが、特に事故などで死んだ人がいるわけでもなく、それらしい由来は何も見つけられなかった。
 Tさんは、それ以来二度とその通りには足を踏み入れていない。


この記事は、怪談ツイキャス「禍話(まがばなし)」で放送された怪談をリライトしたものです。

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/627783024

2020/07/11放送分「ザ・禍話 第十七夜」41:54-

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