【怖い話】 禍話リライト 「赤い手形の家」
Aさんが別の地方の大学に通っていた頃の話。
「心機一転、新しい友だちを作るつもりで遠くの大学を選んだんです」とAさん。
「結局この件があって、大学時代の知り合いとは連絡を断ってるんですけどね……」
大学では、とある文化系のサークルに所属していた。文化系のわりに上下関係の厳しいサークルで、飲み会で酒を後輩に強要する文化が蔓延している。そうしたサークルの雰囲気が苦手で、自分が先輩の側になってからも、自分がされて嫌だったことはしないように気をつけていた。
サークルの後輩の中に、怖がりで有名なBという男がいた。ホラー映画が苦手どころか、テレビCMでホラーっぽい雰囲気のものさえ嫌だし、子ども向けアニメのホラー回でも見られないらしい。
あるとき、サークルの同期二人がBを肝試しに連れていく計画をAさんに打ち明けた。サークルでも有名なチャラい二人組だ。
「いい場所が見つかったんだよ」ひとりが、うれしそうに言う。
何のいわれもないただの空家だが、簡単に侵入できて、多少騒いでも問題なさそうな場所を見つけたのらしい。
「もちろん仕込みの方も趣向をこらしてね」と下品な笑みでにやつく。
またろくでもないことをやろうとしているなと思って、Aさんは
「止めておけよ。肝試しとか言っても、不法侵入だからな」と釘を刺した。
何が趣向だよ。
「趣向をこらして」って言いたいだけだろ。
「サークルを巻き込むな。行くならおまえらだけで勝手に行け」とさんざん言ったせいか、結局三人だけで肝試しに行ったらしい。
数日後、夜の十時頃に同期のひとりから急に電話があった。
「今から行っていい? 例の家に行ったんだけど、Bが本当に怖がっちゃって、このまま帰りたくないって」
「ああ、いいよ」とAさんは承諾した。
二人はどうでもいいが、後輩のBにはゆっくり酒でも飲ませてやろうと思った。
しばらくすると三人がAさんの家にやってきた。先頭のBは毛布を被り、恐怖が行き過ぎたのか、見たことのない様子で目を血走らせている。後輩の後ろで同期の二人が「仕込みのことは言うなよ」とばかりにAさんに目配せを送ってきた。
電話で聞いた通り、確かに後輩の様子はおかしかった。恐怖に縮こまるというよりは、もはや恐怖の限界を通り越して妙なハイテンションで喋りつづけている。
「いやー、あれはちょっとやばいですね」
「おお、あの赤い手形は洒落にならんよな」
「洒落にならないですよ」
肝試し後の高揚した状態で三人は早口に喋りつづける。
細かい内容はよくわからなかったが、三人の話題の中心は、家にあったという赤い手形だ。
まさか家に血の跡でも仕込んだのだろうか。
後で消しに行けよ……。
そんなAさんの気も知らず、三人は
「あれはヒトコワ系かもしれん」
「人間の怖さがありますよね」などと盛り上がっている。
そのうちに酒が足りなくなり、
「おまえは休んどけ」と後輩を置いて二人組が買い出しに出た。出る際にも、「仕込みのことは黙っとけよ」とアイコンタクトを送ってくる。
Bは相変わらず「すごい……」などと言っていたが、少しずつ調子が変わってきた。Aさんと二人の方が安心できるせいか、落ちついて語りはじめたのだ。
「正直、あの人たちが何か仕込んでるんだろうと思ってたんですけどね」とBは漏らす。
Aさんは感心する。Bがそこに気づいているのは意外だった。
「でも、あれは仕込みじゃない気がするんですよ。言っちゃ悪いけど、ああいうのはあの二人の頭では思いつかないと思うんです」
「そうなのか?」手形をつけただけじゃないのかと訝しみながら、Aさんは聞いた。
「ええ、知らないと思うんですよ。ちゃんと金額が漢数字だったし」とB。
——漢数字?
——何のことだ?
「どういうこと?」と聞くと、
「俺は、たまたま知ってるんですけど、手形の金額って漢数字で書かないといけないんですよ」
「は?」
「つまり、赤い手形なんですけど……」
Aさんは戸惑いながらたずねる。「赤い手形って何なの?」
「赤い文字で書かれた手書きの約束手形が置いてあったんですよ」
「え……」とAさんは首を傾げた。
その手形のことだったのか。それは確かに、あの二人の発想らしくない。
「文章も、あんなの悪戯でぱっと書けないと思うんですけどね。でも、あんな赤い文字で書いても効力はないでしょうし、いったい何のために書いたのか……。だからヒトコワっていうか……」
「文章って?」
「日付はX年X月X日になっているんですけど……」
明日の日付だった。
「その日に吉田浩一を引き渡すって書いてあるんですよ」
……吉田浩一。
苗字はAさんとは違うが、それはAさんの親戚の名前だった。
さては二人がそれを知っていて仕組んだのか?
だが、親戚とは言っても、遠縁にあたる人物だし、本人さえ名前が出てようやく思い出したくらいだから、二人が知りようはずもない。それともただの偶然の一致だろうか。
「X年X月X日に吉田浩一を引き渡すって何なんでしょうね。いったい何があったのか……」
そこに二人が買い出しから帰ってきた。
「余計なことは言わなかっただろうな」と目が告げている。
手形……。
この状況全体の何かがとても奇妙だった。
吉田浩一のことだけではない。
そもそも、仮に約束手形が置かれていたとしても、あの二人がそれを「赤い手形」と呼ぶことにも違和感があった。普通は「変な書類があった」とでも言うのではないだろうか。それも考えすぎだろうか。
吉田浩一の名前も……。
本当にただの偶然なのか。
買ってきた酒を広げながら、二人はまたBを脅しはじめた。
「そう言えば、赤い手形だけどさ」
「やめてくださいよ」
「そろそろあの日付じゃないか?」と、急に具体的なことを言いはじめた。
急に具体的なことを言いはじめたな……。
まるでAさんが手形について知った途端に、その話をはじめたような。
Aさんは「何のこと?」と口を挟んだが、三人はそれにはいっさい反応しない。
「そろそろ赤い手形の日付が来るぞー。もうすぐX年X月X日だ」
「吉田浩一さんが渡される日」
「吉田浩一さん、渡されちゃうよー」
何だろう。
この三人、気持ちが悪い……。
「………のに……」怯えながら、Bが何かを小さな声で繰り返しつぶやいている。
「…さいのに……」
耳を近づけると、少し聞こえた。
「ま…子ども…小さいのに……」
……まだ子どもも小さいのに?
そう言ったのだろうか。
「吉田浩一さん、渡されちゃうよー」
確か親戚の吉田浩一にも小さな子どもがいたはずだ。
これも偶然の一致なのか。
仮に親戚が無関係だとしても、そもそもBはなぜ……。
「赤い手形の日付が来るぞー」
なぜBがそんなことを知っているのだろうか。
見知らぬ家の手形に書かれた人物の家族関係など。
「やめてくださいよー」とおびえる後輩に、二人は携帯を突き付け、
「じゃあ答えあわせしようぜ」と言い出した。
「えー、どういうことですか? まさか撮ってたんですか?」とBは怯えた声をあげる。
「見よう見よう。答え合わせだぜ」
「止めましょうよ」
同期のひとりが急にAさんの方を向く。「おまえも見るか?」
「ああ……」Aさんはうなずく。
「ほら、おまえが先に見ろ」と後輩に携帯の画面を見せる。
「うわ、怖いー」
「思ってたのと合ってるかー?」
「いや、これですよ。完全に一致しました。完全一致」と二人だけで携帯電話の画面を覗いて盛り上がっている。
そのうち、
「おまえも見るかー?」とAさんにも携帯電話が回ってきた。
渡された携帯の画面。
それを見て、「えっ?!」とAさんは携帯を取り落した。
そこに写っていたのは……
Bが無表情で、カメラに向かって紙を広げている。
その時点でヘンだった。Bは明らかに嘘を吐いている。
お前さっき「まさか撮ってたんですか」とか言ってたじゃないか。
だが、それ以前に……
約束手形など、そこには写っていないのだ。
白紙の紙に、赤い血飛沫だけが飛び散っている。
綺麗に巻き散らされた血の跡がぽつりぽつり。
こいつら……さっきから何を言ってるんだ?
「おい人の携帯を落すなよー」と同期が文句を言う。「どうしたんだ? そんなに怖かったか」
「えっ? ええっ?」
戸惑いながらも、Aさんはひったくるように再び携帯を取り上げ、三人に突き付けた。
「ふ、ふざけるなよ……。何だよ、これ。誰の血なんだよ……」Aさんは震える声を張り上げる。
「悪ふざけは止めろよ。誰の血なんだ?」
それはなんだか触れてはいけないことかもしれないという気がしたがもはや触れずに済ますこともかえって恐しい。暗い画面の中に模様のように広がった真っ赤な血の痕跡。その小さな画面を突き付けながらAさんは怒って掴みかかる勢いで誰の血なのだと問い質したが。
「誰の血……」
「そう言えば誰の血なんだろ……」
「わからない……」と、三人が口々につぶやく。
「吉田浩一さんの血なのかなあ?」
「わかんなーい。見たことないしなぁ」
「ハハハハハハハハハハ」三人が笑う。
「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」笑う。
そこで限界が来た。
もはやBのことも信じられなかった。
「いいから出ていけ! 出てけ!」
「出てけ!」
と無理に突き飛ばして部屋の外まで連れていく。
三人はろくに抵抗もせず「えー、何だよー」とこぼす。
Aさんは、三人を外に追い出すと、ドアを閉めて鍵をかけた。
「二度と来るな!」
何なんだ。
この状況全体が。
わけがわかんねえよ。
完全に頭に血が登っていた。
だが、しばらくして、Aさんは階段を降りていく音がなかったことに気がつく。Aさんの部屋からは階段でなければ行き来できない構造だ。
郵便受けから覗き見ると……。
三人はまだそこにいた。
後輩だけではなく、残りの二人まで顔をうなだれ、しきりに何かをつぶやいている。
ドアに耳をつけると声が聞こえた。
三人は「誰の血なんだろう……」とつぶやいている。
さっきのAさんの発言をまだ気にしているのか。
「部屋には三人で行って……あれ、じゃああの時いたもうひとりは……?
あの人が吉田浩一さん?
ああ、あの人は吉田浩一さんを渡される人で……
だんだんわからなくなってきた……」
そこにまた電話が鳴った。
別の友だちからだった。
「今から行っていいー?」と能天気な調子で聞かれる。
「あー来て来て」とAさんは即答する。この状況でひとりでいるのは嫌だった。
ゲームセンターにいるらしく、電話の後ろには爆音で音楽がかかっている。
「今、ゲーセンにいるんだけどぉ、勝負がつかなくてぇ、Aの家で格闘ゲームで勝敗を決しようって意見があってさぁ」
どうやら数人で遊んでいるところらしい。
「すぐ来いよ」
友人たちはすぐにやって来た。
「勝敗を決するぞー!」と盛り上がっている。
三人が立ち去る気配は無かったから、ひょっとして鉢合うかと思ったが、誰も三人のことは見なかったらしい。
「今度こそ勝つぞ」と格闘ゲームで盛り上がる友人を後ろから見て、Aさんも「やれー」と声援を張り上げる。
また携帯が鳴った。
見ると、まったく知らない市外局番からの固定電話からだった。
何だこれ?
もう一時すぎてるぞ。
Aさんは無視を決め込んだ。
電話は再度かかってくる。
「電話出なくていいのー?」と友だちのひとりに言われる。
「知らない番号だからどうせ間違いだよ」
「この市外局番……。X県じゃないか?」
「X県に知り合い……いないと思うけどなあ」
電話は都合三度かかってきた。
「また来てるけど、出なくていいの?」
「いやー出なくていいだろ。酔っぱらいがまちがえてるだけじゃないかな」
三度目の電話の後に、ガンガンゴンッと、玄関のドアを誰かがものすごい勢いで蹴る音がした。
「えっ」
「なんだ?」
「酔っ払いかー?」
部屋の連中も気づいて騒ぎになる。
ドアを蹴ったり叩いたりするのと同時に「おい!」とか「らぁ!」という叫び声も聞こえたから、Aさんはそれが三人の声だと気がついた。
方言混じりに叫んでいて、何を言っているかはよく聞き取れない。
よく聞くと、「それは吉田浩一さんの引っ越した先だろうが!」とだけ聞こえた。
そのうち、友人たちも声の主に気づいたようだ。
「これ、あの三人じゃないか?」
「何だよ。酔っ払ってんのか?」
「おい、止めとけよー。警察呼ぶぞ」と口々に叫ぶと、すぐ音は止んでしまった。
「まだいんのか?」とひとりがドアを開けたが、誰もいなかった。
「近所に迷惑かけんなよー」
「いいから勝敗を決しようぜ」とひとりが言い出し、
そのまま深夜までゲーム大会は続いた。
○
次の日の昼頃、Aさんは偶然にマンションの隣人に出くわした。騒音のことを言われるかなと思って、
「あー昨日はうるさかったでしょ? すいません」と謝罪する。
「ああ。ゲームですか? 別にいいですよ。うちも遅くまでゲームしてましたし、おたがいさまですよ」と隣人はにこやかに答えた。
「ドアをガンガン叩いてるのも聞こえたでしょ?」
「ドア? それは聞こえなかったですね」
三人でドアを蹴りつづけていたから、聞こえないはずはないと思うのだが、それは知らないと言う。
「苦情ってわけじゃないんですけど、三人くらいで、朝までうちの前でずっとブツブツ言ってる人たちがいて、そっちの方が気になりましたね。ゲームに負けたのか、ずっと反省会みたいなことしてましたよ」
——あいつらだ。
Aさんは三人のことを隣人に謝罪した。
それ以来、例の三人とは会っていない。
親戚の吉田浩一さんのことも確認したが、特に何の変わりもないそうだ。
○
最後に余計な考察。
この家は、本当に何の因縁もない場所で、しばらくして無事に入居者も入ったらしい。
三人は肝試しの途中で、たまたま何か悪いものに出会っただけなのかもしれない。放送では「創造主の娘」との関連もほのめかされていた。
吉田浩一さんについては、吉田浩一さんに関する怖いエピソードのひとつでもあれば——例えば、吉田浩一さんが事故物件に住んでいるとか、宗教的な掟を破ったとか——十分に話がつながったような気がするのだが、Aさんが知らないか忘れたか思いつかなかったために、そうはならなかったようだ。
むしろ、それだからこそ無事だったのかもしれない。
そういう意味では、つながりそこねた怪談という感じがするが、個人的にはこれはこれで興味深いかもしれないと思う。
この記事は、怪談ツイキャス「禍話(まがばなし)」で放送された怪談をリライトしたものです。
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/727617398
2022/04/09放送分「シン・禍話 第五十四夜」34:01-
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