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【怖い話】 禍話リライト 「おかあさんの家」

「あれは、本物の母親じゃなくて、何かわけのわからないものが、お母さんのフリをしていたって話だと思うんだけど……」


現在は理系の研究者をしているというTさんがまだ院生の頃の話だ。
同期にKくんという好青年がいた。
いつも愛想がよく、誰とでもわけへだてなく打ち解け、人の悪口なんて絶対に言わないタイプだ。ただ、ふと影のある表情を覗かせることがあって、ひょっとしたら、意外に暗い過去でもあるのかもしれないな、と思っていた。

後に、同期のふたりだけで研究室の飲み会の買い出しに行く機会があり、少しだけ個人的な話になった。
行き帰りにぽつぽつとKが語ったのは、おおむね次のような事実だった。
自分が生まれるときに、お母さんが亡くなって、父とふたりきりの家庭で育った。
自分を残して母が亡くなったことに、父は内心やりきれない思いを抱えており、ひょっとしたら、自分が母を奪ったように感じているのではないか。
そのせいで父とも折り合いが悪く、父は家を出て、今では会う機会もほとんどなくなっている。
「研究室のやつにはほとんど言ってないんだけどさ」
Tさんは親身に聞いたが、内心では、Kが自分を信頼してプライベートな話を打ち明けてくれたことを喜んでいた。少しばかり他の同期に対する優越感もあったかもしれない。
その日以来、Kとは、少しだけ踏み込んだ話もするような間柄になった。


そんなKから相談を持ちかけられた。
「変な話なんだけど、まじめに聞いてほしいんだ……」と深刻な表情で言う。
快く応じると、Kは予告通りの「変な話」をした。
「知らない女が家にいるような気がする」と。
「彼女ができたとかじゃなくて?」と冗談めかして聞くと、思ったよりも真面目な顔で
「そういうんじゃない」と否定された。
「実家でひとり暮しだよね?」
父親が家を離れて、一軒家をひとりで使っていると言っていたはずだ。
「そう。ひとり暮らしだから、布団も引きっぱなしだったり、食器も片づけないでその辺に置いておいたりするんだけど」
それが、いつの間にか片付けられていることがあるという。
「他にも、開けっぱなしだったドアが閉められていたり、お風呂の水が止められていたり」
言いづらいのか少し言葉を濁したあとで、
「もし、母親がいれば、こういう感じかなって」
「うーん」
科学者を目指す身としては、話の内容はとても信じられないが、家族のことで想像以上に悩んでいるのかもしれない。
「自分でやって忘れてるだけだと思うけどねえ」
「そうかもしれないけど、何だか怖いんだ。だから相談なんだけど、今度家に泊まりに来て、客観的に見てくれないか?」
Tさんは快諾した。
「どうせならふたりで飲み明かそう」
飲んでストレスを発散させれば、余計な悩みも消えるだろう。


次の週末にさっそくKの家をたずねた。
駅前で待ち合わせ、途中で酒とつまみを買い込んで家まで案内してもらう。
家は、家族三人で暮らすにはちょうど良さそうな、小ぶりの二階建ての一軒家だった。
「さすがに広いなー」
玄関を入ると、手前に十畳ほどの広々としたリビングがあり、その左手側がキッチンと和室になっている。和室を覗くと、仏壇にお母さんの遺影が飾られ、真新しい水が供えられていた。
多少物が多いが、若い男のひとり暮らしにしては片付いている方に見える。
そう言うと、Kは複雑そうな顔で、
「でも、こういうのもさ」と、階段の手すりを指差す。
「ホコリがたまっているのがいつの間にか拭かれていたりするんだ」
「いや、光の加減でそう見えるとかじゃねえの?」
普段使っている寝室は二階にある。当然ながら部屋は余っているらしい。
Tさんも実家暮らしだが、家族がいるので気をつかうことも多い。
「これからは、たまに泊めてもらおうかな」
「いつでも来いよ」
そんなことを言いながら出がけに買い込んだ酒とつまみをリビングのテーブルに広げる。
ふたりでささやかに乾杯した。
泊まり前提の宅飲みということで、酒はいつもより買い込んである。いつもよりちょっといいワインも買って、つまみも奮発した。いつもよりハイペースに飲みまくる。
飲み会は始終明るい雰囲気だった。
自然と話題は家のことにも及ぶ。
「この家はもう僕に譲るって親父が言うんだけど、そしたら売っちゃって、マンションにでも住もうかなって思ってるんだ」
「その方がいいよ」とTさんは何度もうなずく。
「こんな家売っちゃえ売っちゃえ!」
おたがい将来の野望を語り合うような、青臭くも前向きな飲み会になった。
ずいぶん飲んで、最後の方は記憶も曖昧だが、二階に案内され、布団に転がり込んだところまでは覚えている。
眠りは浅く、深夜に何度か寝て起きてを繰り返した。
後から考えれば、階下で物音がしたような気がするけれど、それも気にならない程度には酔っていた。

明け方にKにゆり起こされた。
「おい、やばいよ……」
寝起きのぼんやりした頭で聞いた説明によれば、最近、身に覚えのない、チラシを破った紙きれが冷蔵庫の前に落ちていることがよくあって、朝方水を飲もうと思って台所に降りたら、今朝もそれが落ちていた。しかも今日にかぎっては、裏に何かが書かれていた。
「それが気持ちが悪い内容なんだよ。ちょっと来て、一緒に見てくれないか?」
触れるのも嫌だったので、紙は台所に置いたままだという。
怯えるKの様子に気圧され、何とか体を起こして、二人で一階の台所に降りた。
言われた通り、チラシを破った紙が落ちている。
何気なく手に取って、「うわっ」と思わず手落とした。
字の大きさも力の強さもまるで安定せず、不自然に形が歪んで、ひどく不恰好な文字が並んでいる。感情を叩き付けるように書き殴った箇所と、消え入りそうな細い線が入り混じって、撚れた文字がのたくって歪に並ぶ様がひどく禍々しい。
第一印象は、病んだストーカーが書き残した脅迫の手紙という感じだ。
「何、これ……」すっかり目が覚めていた。
「いや、こっちが聞きたいけど」
いくつかの文字はかろうじて読めたが、力任せに書いて破れた部分もあり、判読は困難だった。
「えーと、「……を何人かの人」。その次の文字は「が」かな……」
ふたりでかろうじて解読できたのは、次のような内容だった。

庭を何人かの人が喋りながら歩き回るときは
庭の勝手口の戸を開けておくとすぐにではないけれど静かになる

「これは、アドバイスなのか?」
「庭を何人かの人が喋りながら歩き回る……」
「前半も後半も怖いけど……。庭を人が歩き回ることがあるのか?」
「ないよ、そんなこと!」とKは首を振って否定する。「そんな不気味なことがあったら、とっくに家を出て研究室にでも泊まってるよ!」
「もう一枚ある」
Tさんは冷蔵庫の隙間に挟まっていた別の紙を見つけた。ひょっとすると以前からそこに放置されていたのかもしれない。
同じような殴り書きだが、そちらはかろうじて読めた。

明方の5時35分と夕暮の4時27分に擦れ違うことしか出来ない母親でゴメンナサイ

「うわ……」と思わずふたりとも絶句する。
「や、やばいって!」とTさんは叫ぶ。
「燃やそう。すぐ燃やした方がいいよ」
幽霊だと完全に信じたわけではないが、人間だとしても、これは確実にやばい。
Kに灰皿を持ってきてもらって、その場で紙片を燃やした。
「何だったの? 時間が指定されてたけど、今が明け方の5時35分ってこと……?」
「いや、知らない知らない。こんなの気づかなかったって。こんな直接は……今までなかったはずだけど……」
「しばらく家を出た方がいいな。うちに来てもいいし、友だちの家でも研究室でもいいから、とにかく今はすぐ出よう。後始末はやっておくから」とKを急かす。
Kは二階に荷物を取りに走り、Tさんは灰をまとめて、捨てる場所を探した。
できれば灰すら手を触れたくない。
玄関のゴミ箱に灰を捨てながら、玄関の何かに違和感を抱いた。
自分の靴とKの靴。昨夜はそれしかなかったはずだ。
その隣にもう一足、女ものの靴があった。
見知らぬ靴が一足、そこに増えている。
いや、この家に女ものの靴なんてあるはずが……。
そこに階上から大声が響く。
「おい! 外だ! 外見ろ!」
Kの声だった。
レースのカーテンごしに庭を見ると、今まで気がついていなかった人影が目に入る。
背の高い女性の影が、裏庭を歩き回っている。
一坪もない小さな庭をぐるぐるぐるぐる。
どろりとした嫌な気配を感じて、すぐ目をそらした。
「おい! 外だ! 外見ろ!」
見たけど……。
ひょっとして、勝手口を開けた方がいいのか?
いや、だめだだめだ。そんなことしたら入ってきちゃうだろ。
なんでメモの言う通りにしようとしてるんだ。
「おい! 外だ! 外見ろ!」
あまりのことに、Tさんは、しばらく思考が停止して真っ白になった。
二階のKの声がふいに途絶えた。
叫び声が止んで、ぼそぼそという声だけになる。
どうして急に黙ったんだろう。
そろそろ降りてくるのかな。
だが、しばらく待っても一向に動きはない。
五分経っても、ぼそぼそというばかりで降りてくる気配はなかった。
「おいK」と呼びかけながら、階段を登り、踊り場まで来たところで、もう少しはっきりと聞き取れた。昨夜自分たちが寝ていた寝室から。ふたりの人間の声だった。
Kと、もうひとり誰か知らない女が話している。
親が小さな子どもを叱るような調子で。
Kの声は叱られた子どものように沈んでいる。
どうして親のいうことが聞けないんだ。おまえは駄目な子だ。はい……。
どうして親のいうことが聞けないんだ。おまえは駄目な子だ。はい……。
ぞっとして思わず足が止まった。
やばい。
やばい。
やばい。
どうして親のいうことが……
怖さのあまり、もはや一歩も動けない。
どうして……
奇妙な話だが、Tさんにはなぜかその声が少しずつ近づいてくるような気がした。歩く音は聞こえないし、そんな会話をしながら近づいてくるとも思えないが、声はどんどんどんどん近づいてくる。
どうして……
駄目な子だ……
はい……
二階の寝室から廊下へ移り、廊下から階段の上へ移り、階段を降りて、ついには耳元でどうして親のいうことが聞けないんだ。おまえは駄目な子だ。
どうして親のいうことが聞けないんだ。おまえは駄目な子だ。
どうして親のいうことが聞けないんだ。おまえは駄目な子だ。
どうして親のいうことが聞けないんだ。おまえは駄目な子だ。
どうして親のいうことが聞けないんだ。おまえは駄目な子だ。
どうして親のいうことが聞けないんだ。おまえは駄目な子だ。
どうして親のいうことが聞けないんだ。おまえは駄目な子だ。


気がつくと、両親の顔が目に入る。
「え……?」と周囲を見ると、見慣れた自分の家の居間だった。
「おお、大丈夫か?」と父親が言った。
状況がわからずにとまどっていると、父親に説明された。Tさんは朝方急に帰ってきて、
「友だちの家に泊まるんじゃなかったか?」
「うん、泊まったけど、Kは家族の用事があるから早めに帰ってきた」と言ったあと、
階段を登りかけたところで急に倒れたらしい。気絶しただけではなく、泡を吹いて失禁までしていたので慌てて介抱していたそうだ。
「いや、やばい、やばいって!」Tさんははっと我に返る。「Kに電話しないと!」
「いや、おまえボロボロだから、先に風呂に入って着替えなさい。電話はしておくから」
確かにひどい状態だったので、その言葉に甘えることにした。
風呂から上がると、「Kくん大丈夫そうだぞ」と父親に言われた。
「え、何て言ってた?」
「おお、女性が電話に出て、Kは用事で手が離せないけど元気だって」
「じょ、女性?」
「うん、家族の人。おまえがずいぶん飲んでたから、よく水を飲んだ方がいいって言ってたぞ」と父親は笑った。
「大丈夫そうでよかったな」
……絶対に大丈夫じゃない。

○○○

Kは週明けの大学院の授業に普通にやってきた。
Tさんによれば、何事もなかったように、普段の調子で声をかけてきたから、余計に怖かったそうだ。
優秀な学生で、そのまま卒業し、就職も決まっていたが、そのあと急に誰とも連絡が取れなくなってしまった。
案外今もどこかで元気に暮しているのかもしれない。


この記事は、怪談ツイキャス「禍話(まがばなし)」で放送された怪談をリライトしたものです。

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/648918046

2020/11/01放送分「禍話X 第一夜」1:29:34-


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