2024年ちゃっかり現実創造していた ※長い

つい最近私は看護師に復帰した。そのきっかけは「金銭的余裕や安定した収入のため」だった。

しかし、そうして私が復帰して叶えたものといえば、金銭はもちろんのこと様々な人と出会い関わることで得た、人生経験であることに気づくことができた。

看護師として働いていると、身体のハンディキャップや精神の発達、家庭環境や金銭面の不平等さなど、あらゆる生き様を目の当たりにする

何を基準に平等といえばいいのか?
恵み、豊かさとはなんなのか?
それらを毎日考えさせられる場面が訪れるこの仕事が私はフェチレベルで求めているなと、改めて思う。


ふと今日振り返ってみたが、私はこの「人生経験」を明確に欲しがった覚えがある。それは確か11〜2月くらいだった。

性格に言えば、まず私が欲しがったのは「言葉の説得力」だった。


私は数秘鑑定の場で様々な人に物事を伝える場面がある。しかし、度々「この言葉を言う私が、50代だったらもっと箔がつくのに…」と、己の若さや青さを恨むことが度々あった。それでも今の自分に伝えられるありのままを届けるしかない、そう割り切ってやってきた。

自分の悔しさが限界になったのは数秘とは別の場面だった。2024年になってからか、離婚した友人から教えてもらった共同親権というトンデモな法案が通りそうだということを聞いた。恥ずかしいことに私は友人に聞くまで共同親権のことを知らなかった。
そして私のように知らない人が多い事実。当時まだニュースでは共同親権のことは全然流れていなかった。また、それらが話題にならない呑気なSNSに対しても私はかなりイライラし始めた。こんな大事な、目を向ける話題があるのに、私がフォローしてる人のSNSでは、趣味、子どもの面白い写真、空、カフェ、そんなものばかり流れてくる。自分の好みに応じて自動でカスタマイズしてくれるAIは、自分の身に降り掛からなければ気にすることもできないネットワークの穴を作っていた。悪いのはみんなではなく、あらゆる情報が満遍に行き交うことができなくなった環境。それなのに私は、共同親権について語り合わないフォロワーたちについてイライラしてしまった。私もそうだったのに。

私はみんなと共同親権ついて知り、語り、違和感の有無について空気を震わせて温めたいと思っても、私はそうするための言葉や知識を持ちあわせていなかった。シンプルに言えば私は語りたいこと(その時は政治)について、みんなと語るようなキャラクター作りが内面も外面もどちらもできていなかったし、周りにそれを受け入れられるような準備ができていなかった。


その時に思った。
言葉が、説得力が欲しい。
そのための経験が欲しい。

しかし同時に、これは一長一短で手に入るものではないと分かってもいた。

今後様々な経験をしよう。
なんでもやって、なんでも感じて、糧にしていこう。

悔しさをバネに、確かうっすらとそう決めた。

特に熱さを帯びていたわけではなかった。
すごく普通だった。

普通の温度で、静かに、もっと良くなろう、と思ったんだった。


その頃から徐々に私の身の回りで変化が起き始めた。まずはオンラインのお客さんが減った。そして私自身、数秘鑑定が一時的につまらなくなった。

何かが緩やかに衰退し始めていることが分かった。しかしどうしたらいいんだろう?と、立て直そうとも思わなかった。自分に力が入らないことが気持ち悪かったが、もうオンラインで集客をして数秘鑑定をメインにする雰囲気ではないことだけは、うっすら分かっていた。


そうしてその代替として吹き始めた風が、看護師復帰だった。
少しずつジャブを打たれるかのように「看護師やらない?」「やったら?」「合うんじゃない?」そんな言葉を、様々な人からかけられ始めたのが4月。ゆっくりじわじわと「看護師?ありかも…いやどうかな…」と、自分の中で新たな生活をするイメージが始まった。

夫との会話で、看護師に復帰しようと決意をしたのが、6月半ば。紹介をもらったのが月末。

配属決定したのが7月。

そうして私は、あれよあれよという間に、看護師復帰をしていた。


届けられない悔しさを感じ、
言葉を、説得力を、経験を求め、
ジョブチェンジをした。

あぁ私はいつのまにか、なりたいイメージを元にして生きるという現実創造をしていたのか、と気づいた。



振り返ると、見事だった。

転職をする際、私が手放したくなかったのは「数秘鑑定士として成功してきた過去」であり、その事実を延命したがってもいた。「オンライン起業に失敗した」など、そういう事実を受け入れきれなかったんだと思う。

成功して、緩やかに自宅で働きながら生活をしたかった。それが私の当時の、理想的な幸せなライフスタイルだった。

そこから現実創造のために、高次の私というのはすごく頑張ったんだろう。

数秘のやる気をなくしていき→お客さんと収入が減り→金欠になり→転職にやる気を出させた。

即効性のある金銭面の立て直しといえば私にとって看護師復帰が一番時間もコストもかからないので、看護師の道を用意した。


また、対面数秘という新たな道も用意することで、オンラインにこだわらない起業の形を見せて自信をくれた。
(ちなみに対面数秘はとても楽しくやる気もあるし、やりやすいスタイルでできており、お客さんの数も私としては多いために申し分がない状態である。なんだよ、こっちのやり方もアリなんじゃん、と思っている昨今である。)


このように現実創造に向けてやたら矢印が多めで遠回りとなった理由は、私が「数秘鑑定士として成功してきた過去」を手放したくなかったからなのかなと思えてきた。

手放せないものを抱えていると、何かを始めるまでにいろいろと厄介なんだなぁとも実感した。



ただ、何かを手放し、何かの創造が始まるのだとしたら、今回は手放すものと始まるものの価値が合わない気がしてきた。

私は数秘鑑定士自体や、数秘をやってきたことで得た生活に、そこまで価値を置いていない。

違う、多分もっと違うことを手放したはずだ。

なんだろう、なんだろう。
振り返ろう。

そう考えて、手放したことについてピンと来たのは「仲間、コミュニティ」であった。



何かを経験したいのであれば、身近な仲間と話して、それを糧にすることだってできるじゃないか。

だけどたぶん…私はもうそれじゃ足りなくなっていたんだと思う。


私が得たい人生経験、すなわち見聞きして、心を揺さぶられ、思考を巡らせたくなるような他人の人生
それは1人単位の気質なのか、数なのか、バリエーションなのかは、わからない。

しかしまぁ私が求めたい経験や関わりたい人として、身近な友人ではもう物足りなくなっていたんだろう。または搾り取り尽くしたのかもしれない。


そう振り返って気づく。
「人生経験が欲しい」と思い始めた時と、所属していた2〜3つのコミュニティに対して何かしらの違和感を感じ始めた時は重なっている。

具体的な違和感としては「私はいつまでここにいるつもりなんだろう」とか「主催はこれを楽しんでいるんだろうか?義務になっていないか?」などであった。何かしらのオワコン臭を感じていたが、発信源は自分であったか。

そうして看護師になろうと決めた時と、コミュニティそれぞれに対してお別れをした時も、重なっていたなぁとも気づいた。


私は、ずっと自分に自信がなかった。そんな私に寄り添って、共感し、褒めて、励ましてくれる仲間がいるコミュニティがありがたかった。

仲間が私を支えてくれたおかげで私は強くなることができた。そうして私は次のステップに進むことができたが、そのステップにはもう仲間は必要なくなってしまったんだろうなぁ。

私はきっと何かを持てる手が一つしかなくて、そんな私があの時持っていた「仲間やコミュニティ」よりも「人生経験」の方が欲しくなったので、前者を手放した。

意図的でなくとも、意識の奥底で。
いわゆる高次元の私ってやつが。


何かをしたい

何かを得たい

そうしてそれが叶うのには、こんなにも時間がかかるのか


「人生経験が欲しい」と思った時の感覚は、いわゆるアファメーションをしましょうみたいな、無理矢理に力を入れるような願いではなかった。

日常のふとした時に、静かに、だけど永続的に燃えるであろう小さな炎を確認したような穏やかさだった。

こんな些細な願いが叶うまでに、約一年かかるのか。この静かで確実な展開を体験してしまうと、いかに自分が目先の利益や体裁を気にした理想を掲げており、だから叶わないのだと思い知るはめにもなった


理想なんて、無理に、意識的に、描くものではないんだ。

小さなきっかけや些細な感情から、無意識のうちに進んでいくものなのだ。


この現実創造の流れの、その内訳を(正解かはさておき)自ら言語化できるまでに把握できるようになったのは見事だなと自分で思う。自分の顕在意識・潜在意識・思考の癖・恐れなどを俯瞰的に見ることをやめなかったことで、展開の振り返りができた。

いやはや、これはおもしろくなってきた。

先は読めずとも、割とリアルタイムで人生の展開が把握できるというのはおもしろい。


私はこれからも、目先の辛さや壁、賞賛や成功にまどわされず、感じることや考えることというのをやめないでいようと思う。

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