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素描について 1

・「素描」について、いたずらに文章としての履歴をのこそうとは、ぼくはおもわない。「素描」というのは、絵画における至上命題かつ絶対条件であるのだろう。「素描」のない絵画は成立しないし、だからといって、いつかそれを完全に会得できるわけでもない、そういうものだとおもう。

・絵を習いはじめてから、「素描」ということばがすきになった。禅の精神にみられるような、明鏡止水な悠然の行為。「デッサン」というよりも、「素描」と言いたくなってしまう。でも言いすぎるともったいなく感じてしまうので、イイこと言いたいときに使うようにしている。

・似るか似ないかは関係なく、ながい線と息で、ゆったりと稜線をたどる。すると自然に、反射光だとか空気遠近法だとかの現象が画面に映されてゆき、じっくりとかたちが浮き上がってくる。それは一般に、「素描(デッサン)」というよりも、「ドローイング」といわれるのかもしれない。しかし行為としていうならば、「素描」という言葉をもって、この上なくあらわされるのだとぼくはおもう。素のままのじぶんで描くというのは、じつにハツラツとしていて、かつ静けさもおびた、ある種の祈りのようだ。

・島田との対話で印象的なのは、「デッサン力と描写力」の対話だ。いろいろと巡り巡ってその過程の記憶は曖昧だが、終わりには「デッサン力とは、絵としてどうかという力」というところに落ち着いた。デッサンとは、絵画技術・絵画行為におけるすべてのプラットフォームなのだとおもった。

・今年の花見で星さんが言っていた、「素描こそ、最高の表現なんだよね」ということばの重みは、ひさびさに感じたものだった。すこし酔っていたので、このことばを忘れてしまってはいけないとおもってすぐスマホのメモ機能に打ち込んだ。翌朝目がさめても、鮮明におぼえていた。ぼくたちのように美術を志しているものたちに「素描」という課題が重く課されているその所以は、やはりそこにあるのだと信じたい。

・素描の視野と呼吸をもって、この世界を生きるということをしてみたい。いまはまだ、とりとめのないものばかりができてしまう。

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