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君に会えるまで、17時間21分の物語

一生忘れない、初めてのお産の体験を書き残そうと思う。

このnoteを書いた5日後、予定日の3日前にあたる日に本陣痛を迎え、無事に出産した。

これは出産を終えた3時間後に、昂る気持ちのまま綴ったメモだ。

最初はこのメモをもとにお産の体験を書き直そうと思ったけど、あとで読み返したら、出産直後のあのときにしか書けなかったであろう言葉が多かったので、ほぼコピペで載せることにした。

大切な君に会えるまで、17時間21分の物語。

***

定期検診の時点で子宮口は1cm程度の開き。赤ちゃんの心音確認時に前駆陣痛の気配が一度は表れるものの、すぐ消失。先生からは「今日、明日で産まれることはよほどないかなと思いますけどね」と言われ、若干のがっかりと安堵が混じった気持ちになった。

帰宅前に夫と近所のイルミを鑑賞。近くに大社があったので安産の願掛け。ふたりで見る最後のイルミかな~なんて思いながら、素朴なイルミをそれなりに堪能した。 

夕飯は無印良品のカレーに手作りナン。あまり意識してなかったけど、カレーはお産を呼び寄せるジンクスがあるらしい。

その効果かは分からないけど、就寝後、夜中2時に子宮の鈍い痛みで起きる。

これまでも腹痛の痛みで起きることはあったが、この日はどうも様子が違う。鈍い痛みが定期的に訪れる感覚があり、もしかしたらと思って、愛用の妊娠アプリ内で陣痛カウントを起動。

計測し始めたら、2時間のうちに感覚が7〜8分から3〜4分になった。3〜4分と言えば、出産過程のかなり後半かと思い、それにしては堪えられる痛みだな~と不思議に思い、産院に電話をかけるのを躊躇ってしまった。

思えば、この時点で教科書に載っていたような、セオリー通りのお産じゃなかったのだ。セオリーを信じすぎるのは良くない。信じられるのは己の身体と直感のみだ。

とりあえず、心細かったので隣で眠る夫を起こし、状況を説明。しばらくしても痛みが引く気配がなかったので、産院に電話をかけたら「とりあえず病院に来てください」とのこと。痛みに耐えながら準備して1時間後に出発。

夜中の病院にどこかワクワクする余裕もありながら、通されたのは分娩室。この日はお産のラッシュで、お腹が痛いと連絡があったのは私で5人目、私の次にも連絡があったそう。

部屋の準備が追いつかず、一旦はこちらで様子を見させてくださいと通されたのは分娩室。固い分娩台に横になり、赤ちゃんの心音確認と子宮の張り具合を見ると、やはり3〜4分に一度の感覚で陣痛がある。

この日、途中まで担当してくれた助産師さんは夕方の健診時にもお腹の張りを見てくれた人で、「夕方に見た、あの柔らかいお腹とは思えんね~」と話してくれるほどにお腹はカチカチだった。

永遠に引かない定期的な子宮の痛み。噂に聞いていた通り、重めの生理痛のような痛み。次第にキュキュキュ~ッと子宮を搾り取られるような鋭い痛みに変わり、開始から10秒ほどでピークに達する。痛さが山登りしてる。

この時点でもう辛い。ピーク時は分娩台横のバーを強く握るほかない。息を吐くことに集中して何とか乗り切れる。

途中で何度か内診があり、朝10時の時点で子宮口は3〜4cm。お産を山登りに例えるなら、中腹にすら達していない段階だろうか。めちゃしんどい。こんなに耐えてもまだ中腹未満?と、先を考えれば考えるほど血の気が引く思いだった。

ただ不思議と時間の経過は鬼早かった。あれ何でだろう。不思議。

朝10時からは入院部屋に移動し、ひたすらお産が進むのを待つばかり。うつらうつらしながらも、だんだんと強まる陣痛に悶絶。夫に背中や腰を撫でてもらったり、テニスボールころころしてもらったり、あれこれサポートしてもらって、どうにか気を紛らわす。

この時間の記憶はあまりなく、半分寝てた説もある。かと言って、寝られるほどには痛みに慣れたわけでもなく、身体が来るお産の正念場に向けて、「もうここしか寝られる時間がないんですよ…!兄貴…!すいやせん…!」と強制的にオフってくれたのかもしれない。

痛みが確実に強くなるのを感じつつ、目を瞑り、痛くなるたびに覚醒を繰り返すこと午後2時。

再び病室移動。本格的なお産に向けて分娩の準備を始める。病室移動は自分で歩くも、激痛で歩みが止まる。陣痛の感覚は短くなったり、長くなったり。それでも痛みだけは確実に強くなり、遂には腰痛も発症。お尻のほうに圧がかかる感じがあり、少しずついきみたくなる気持ちも芽生える。

病室移動してから正直あまり記憶ない。この頃にはすでに疲労困憊で、終わりの見えないお産に何度も泣きそうになった。夫が話しかけてくれるも上手く話し返せない。言葉が出てこず、声も絶え絶え。子宮口は夕方6時ごろに全開。

ここからが本当に辛かった。朦朧とした意識のまま、お産部屋に様々な器具が運ばれるのを耳で感じる。子宮口は全開だが、陣痛の間隔が多少弱まっているとのこと。初のお産だと、疲れからこうなることがあるらしい。助産師さんの指導に従って初めていきみ始める。

「うんちを出す感じ」と言われ、肛門に力を入れ始めると赤ちゃんではなくうんちばかり出てくる。聞いてはいたけど、この段階でうんち出てくるの本当に恨んだ。うんちに気が入って集中できない部分もあったし。

最初はいきむ方法があまり分からず、助産師が「こっちに力入れてね~そうそう~」と言って膣を引き伸ばし、それに従うように頑張る感じ。だけど、どれだけいきんでも赤ちゃんが出てくる感覚はないし、陣痛に合わせていきむのが本当に辛いしで、何度も途中でギブアップしたくなった。

痛みのマックス。最後の最後にあれだけ力むお産、過酷すぎる。叫ばずにいられるならと思ってたけど、到底無理だった。叫び、呼吸困難になり、身体が震える。

1時間経過したあたりで、何となく膣に何か挟まってるような感覚になり、もしかしてと思いながらも痛さでそれどころではない。助産師さんがコールでお医者さんともうひとりの助産師を呼び、「あ、もうそろそろ終わるんだ」と希望の光。

最後は酸素マスクつけて、意識も飛びそうになりながら、なんとか、なんとか、最後の力を振り絞って一気にフィニッシュ。

会陰切開せずに済むならとマッサージしてたけど、やはり会陰は切った。麻酔してたのと、お産の痛みがあったからか、会陰切開の痛みはほぼ皆無だった。会陰切って、最後に少しだけ力んで、周りが「下見ててね!出てくるよ〜」と声をかけるのに合わせ目線を精一杯お股に向ける。

次の瞬間、お腹の下のほうからどぅるん!と勢いよく赤ちゃんが飛び出し、助産師が赤ちゃんを抱え、赤ちゃんの必死な鳴き声が病室に響き渡る。

放心状態になりながら、夫が隣で「ありがとう、本当にありがとう。よく頑張ったね」と言ってくれた声が聞こえた。

根っからの泣き上戸なので、赤ちゃん誕生の瞬間は号泣間違いなしと思ってたけど、放心状態で感情が追いつかず、ただ、元気そうに泣いてる赤ちゃんを隣で見て、これまでに感じたことのない、温かい安堵の気持ちと幸福感に徐々に身体が満たされていくのを感じた。

この子がお腹の中にいた赤ちゃん。10ヶ月もずっと側にいた赤ちゃん。私と夫の初めてのかけがえのない赤ちゃん。ありがとう。無事に生まれてくれてありがとう。本当にありがとう。大変だったね。ママ、上手くいきめなくて苦しかったよね。もうちょい練習すれば良かったね。ごめんね。諦めずに外に出て来てくれてありがとう。ようこそ、赤ちゃん。よろしく、赤ちゃん。

実物の赤ちゃんは、エコーで見る何倍も愛くるしかった。エコーでは夫にそっくりだと思ってたけど、夫とも少し違う雰囲気があって、かと言って、私に似てるかと言われたらどうなんだろうという感じ。

お目めは一重ぽいけど、クリクリとした瞳がこちらをハッキリと捉えていた。よく生まれたばかりの赤ちゃんはガッツ石松に似てると言われるけど、そこまでしわくちゃでもなく、割とハッキリした顔立ちだなと思った。

何にせよ愛くるしいことに変わりはない。親バカ上等。こんなに愛らしい我が子を前にすれば、バカにならないほうが無理だ。

お産後の状態経過も兼ねて、2時間ほど赤ちゃんと夫と一緒に過ごした。お互いの家族に出産報告をして、テレビ電話で赤ちゃんの顔を見せてしばし談笑。赤ちゃんはまだ目がハッキリと見えないはずだけど、音のするほうに顔を向けていた。

途中で初めての授乳も経験させてもらった。右脇に子を抱え、乳首を含んでもらう。私のおっぱい、乳首があまり出てないから吸いにくそうだったけど、それでもチュッチュッと音を立てながら、頑張って吸おうとする我が子。

愛くるしすぎる。この世の宝物、全部詰め込んだ以上の輝きがここにあると思った。母乳、ちゃんと出てなかったと思うけど、これから一緒に最高にハッピーな日々を過ごしていこうね。

***

ここまで書き切って、電池切れしたように目を瞑ったのを覚えている。出産から2週間が経ち、里帰り先でたくさんの人に支えられながら、慣れない子育てに奮闘する日々。

話には聞いていたけど、夜がふけると、漠然とした不安から泣きたくなるときもある。けど、腕の中でスヤスヤと眠るちびちゃんの顔を見て、じんわりと滲むような優しい温かさを肌で感じて、安心と元気をもらっている。

何もかもが手探りで、まだまだママ初心者だけど、ちびちゃんとともに、少しずつ親として成長していきたい。

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