見出し画像

出産予定日まで1週間。今、正直に思うこと

近所の喫茶店で、ホットのカフェラテを頼む時期になった。丁寧に泡立てられたフォームミルクは柔らかく繊細で、一口飲むと、まろやかな苦味が体の奥深くにゆっくりと染み渡る。

隣に座る夫が頼んだホットコーヒーからは、か細く湯気が立ちのぼる。その様子を眺めながら、深まりゆく秋寒にこわばる体と心が、しゅるしゅるとほぐれていくのを感じた。

ひと息ついた瞬間、ぽっこりと膨らんだお腹の内側がぐーんと押される。視線を向けると、お臍の右側に現れたのは小さな丘。手を添えると、小高い丘は自由に動き回り始めた。

「起きたみたい」

夫にそう告げると、私よりひと回りほど大きい手がお腹に優しく触れる。小高い丘は消えたり現れたり、左右に移動したりと忙しい。丘の硬さに触れ、窮屈になってきた世界から飛び出そうと踏ん張る、小さな足を想像する。

この喫茶店を初めて訪れたのは、妊娠がわかった翌日、3月のことだった。季節は巡り、11月。出産の予定日までは1週間ほど。

年越しに先立ち、まだ見ぬ、最愛の人と会える日までのカウントダウンが本格的に始まった。

* * *

お仕事以外でこうして文章を綴るのは4ヶ月ぶり。最後に書いたのも妊娠についてだった。ありがたいことに、この文章を読んでくれた友達からお祝いのメッセージがたくさん届いた。私の幸せを、まるで自分のことのように喜んでくれる人たちに囲まれて生きていることが、嬉しくて仕方ない。

今回、4ヶ月ぶりに文章を書こうと思ったのは、妊娠中の思いを書き残して置きたかったのと、来る出産に向けて母になる意志を固めたかったから。

白く小さな肌着を畳みながら、その袖に腕を通す我が子を想像しては、早く会いたくてたまらない気持ちになる。同時に、どれだけの育児本を読み込んでも新しい家族との生活には想像し切れない部分があって、暗雲たる不安の塊が少しずつ膨れあがっているのも事実なのだ。

この文章がその不安を払拭してくれるとは限らないけれど、わずかな自信に、もしかすると未来の自分を支えるものになるのではと期待を寄せて、筆を走らせている。

文字通り「一心同体」で10か月以上も過ごしてきたちびちゃんとの日々、特にここ数ヶ月のことを振り返りながら、出産への思いを綴りたい。

* * *

10月に入り少しずつ仕事をセーブし始め、11月には完全に産休に入った。それまでは「人生の夏休みをどう謳歌しようか」と浮かれていたけど、働かない日々は想像以上に退屈で、ひとりで余暇を楽しむ下手さを思い知らされるばかり。

裁縫に挑戦したり、新しくSNSを始めてみたり、興味のあったジャンルの本を読み始め、普段は手を出さないような映画やドラマを見たりもした。

けれど、1日が過ぎる体感速度は異様に遅く、働かない日々が積み重なるにつれ、社会から自分だけが取り残されて行くような、そんな焦燥感すら芽生え始める。

以前、仕事でこんな話を聞いたことがある。出産を機に家庭に入り、長年のブランクを経て社会復帰した方の体験談。大好きな子どもたちの成長を近くで見守れる幸せを噛み締めつつも、子どもたちがお昼寝している間に台所で夕飯用に野菜の皮を剥きながら、声を抑えて涙を流したこと。

夢を追いかけ、休みも惜しまないほど無我夢中で働いていた日々を思い出しては、「自分は本当にこのままでいいのか」と焦りが心を支配する。

妊娠も自分が望んだ未来のひとつで、幸せであることに変わりはないけど、働くことでしか得られない充足感も確かにあるのだと。

自分にとって働くことは、お金を稼ぐこと以上の意味と価値があった。

仕事のある月曜もまあ憂鬱だったけど、仕事ない月曜も憂鬱なんだと知った私は、平日の真っ昼間からヨギボーに寝そべり、そう痛感するのだった。

画像1

働くことは、お金を稼ぐ以上の意味がある。産休に入りそう再確認したとはいえ、出産や育児にかかる費用を考えれば、これまで以上に経済的な面にも目を向ける機会は必然と増えた。

噂には聞いていたけど、国の補助があれど出産にかかる費用が10万円にものぼる(産院によって差はあるとは思うけど)のは驚きだったし、赤ちゃん用品店に通っては、育児に必要なものの数と値段が想像のはるか上であることを思い知らされた。

ベビーカーや抱っこ紐、ベビーベッドにチャイルドシート……繊細な赤ちゃんが使うことを考えれば、機能性や安全性、素材にこだわった商品が並ぶのは当然で、その分、値が張るのも分かる。

されど、初めての出産や育児に必要なものの数は山のようにあって、姉や知人から譲り受けたものがなければ、かなりの出費になっていたはず。

新しく家族を迎えることには相応の責任とお金が必要だと実感し、妊娠して初めて、フリーランスになったことを少し後悔した。

フリーランスだからという理由で、会社員として働く妊婦さんに比べて受け取れる補助金が圧倒的に少なかったからだ。その背景には相応の理由があるはずで、フリーランスになった時点でそうしたハンデがあることも覚悟して、受け入れるべきだったのかもしれない。

だけど、企業に属してないからと言って惰性で働いてきたつもりはないし、決して安くはない税金や保険料も払ってきたはずなのに……と悔しさを感じずにはいられなかった。

* * *

序盤から不満パレードになってしまったけど、妊娠してから味わった幸せはこの何倍も大きい。そう感じさせてくれるのは、私たち夫婦ふたりの家族の存在だ。

どちらの両親もこまめに連絡をくれ、体調を気遣ってくれるのはもちろん、ちびちゃんが産まれたあとの生活や精神的なケアを、私たち以上に気にかけてくれている。

外出時に持ち歩くカバンには、ふたりのお母さんからもらった安産の御守りが重なりぶら下がる。淡いピンクと濃いオレンジの布袋を見るたび、触れるたび、とてつもない安心感を覚えるのだ。

出産前、最後にお互いの実家に帰ったとき、私と夫が生まれたときの記録を見ることになった。

「あすかの一年間」と題された手作り冊子の1ページ目にこんなことが書いてある。

長女は同時小学校6年生、次女は小学校3年生、長女とは一回り以上離れている。誰もが予想しなかった、でも誰からも祝福されてあすかが生まれた。

自宅アパートの寝室、夕方にひとりでこの文章を何度も読み返しながら、ぽろぽろと涙が溢れた。お腹に手を当て、命のめぐりに思いを馳せる。冊子はどの場面で使うとはなしに、ただ大きな力になってくれる気がして、陣痛バッグに忍ばた。

一方、夫の実家には、夫が生まれた日から数年分の記録を収めたDVDが何十枚もあった。生まれた翌日の様子、授乳やお昼寝、初めてのハイハイや歩き始めた日、「あんよ」や「おてて」が分かるようになった日、そして、一歳の誕生日。

夫がどれだけ愛され、大切に育てられてきたのか。少し画質の粗い、だけど、どの場面も眩い動画の山から溢れんばかりに伝わってくる。

これまでに私たち夫婦が、それぞれの家族から注がれたたくさんの愛を、今度は私たちがちびちゃんに贈る番なのだと、日に日に強く感じている。

* * *

予定日が近づくにつれ、夫と産後の生活について話す回数は増え、夫婦ふたりで過ごす時間をより大切にするようにもなった。

週末には地域の喫茶店を巡ったり、話題のラーメン店に開店前から並んだり、この間は何年かぶりにお揃いの帽子を色違いで買ったりもした。

一緒に暮らし始めてから約5年。ほぼ毎日ふたりでお風呂に入っては、一枚のバスタオルを取り合うようにして身体を拭いたり、ゴミ捨てのついでにパジャマ姿で夜の深い住宅街を散歩したり。

当たり前のようにふたりで過ごしてきた日常は、あと数週間のうちに非日常になる。新しい生活は楽しみだけど、正直、寂しくもある。

夫婦からパパとママになるとき、ふたりの関係性はどう変わっていくのか。より家族の意識が強まるのだろうか。ぐっと大人になるのだろうか。

どうしたって見えない未来を想像しようとして、不安ばかりが先走る。自分だけが焦ってると思いがちだけど、夫も同じくらい、もしかしたらこれ以上に背負ってるものがあるかもしれない。

画像2

数年前、夫が尿路結石で救急にかかったとき、病院までの道のりで青ざめ、冷や汗をかき、小さく震える彼を前に、アタフタと困惑しつつ、背中をさすることしかできなかったのを思い出す。

目の前で大切な人が苦しんでいても、どうすればいいか分からず、その側で「大丈夫だからね」と伝えるのが精一杯。代わりたくても、代わってあげられない。そんなもどかしさに襲われた。

妊娠中、種々のマイナートラブルに項垂れる私を側で見てきた夫も、同じだったかもしれない。

大きくなるお腹や胸、胎動、腰痛、胃もたれ、猛烈な睡魔に、恥骨の痛み……日々ダイレクトに妊娠による身体の変化を感じている私よりも、夫のほうが「親になる」という自覚が芽生えにくいのは、無理もないことだと思う。

だけど、重い荷物を持ってくれたり、歩調を合わせて歩いてくれたり、毎晩マッサージをしてくれたり、仕事を休んで検診に付き添ってくれたり、図書館から育児本を借りて読んできたりと、夫は自分にできることをコツコツと積み重ね、着実に父になる準備をしてくれている。

夜、左向きに眠る私の後ろから伸びる大きな手。この時期になると冷え性なその手は、どこか遠慮がちにお腹を触る。その上に手を重ねるとき、漠然とした不安をかき消すほどの安心感に全身が包まれる。彼となら、きっと大丈夫だと。

* * *

ここまでツラツラと妊娠中の思いを書き連ねてきたけれど、最後はやっぱり、もうすぐ会えるちびちゃんへの思いを綴っておきたい。

ちびちゃんへ、そちらの環境はどうですか?最初は泳ぐ余裕すらあったお腹の中も、だいぶ窮屈になってきたんじゃないでしょうか。狭くはあれど心地よく過ごしてくれていることを願う日々です。

この間、定期検診に初めてパパが付き添ってくれました。これまでコロナの影響でNGだった同席が許可されたのです。ここ数ヶ月、エコー検査では後ろを向いていたり、手で顔を隠したりと、ハッキリと映らなかったちびちゃんの顔が、その日はしっかりと見え、びっくりしました。

「せっかくふたりで来たのなら…」と気を利かせてくれたのかな、と勝手に思って内心ニヤニヤ。さらに、画面に映った顔、特に鼻と口回りが目の前に座るパパにそっくりで、大笑いしそうになるのを堪えるのに必死でした。

検診で「まだ産まれる気配はなさそうですね」と言われるたびに焦る自分がいて、予定日が近づくごとにソワソワしていたけど、ちびちゃんにはちびちゃんのタイミングがあると思うので、ママは栄養のあるご飯を食べ、適度に運動し、のんびり待つことにしますね。

ちびちゃんも長らく過ごした場所を離れ、外の世界に飛び出すのは勇気の要ることだと思います。普通に怖いよね。

だけど、どうか安心して会いに来てください。

ちびちゃんが飽きるほど、この腕一杯に抱きしめる準備はできています。

こっちの世界は大変なこともあるし、これからどんどん寒くなる季節だけど、あなたが生まれてくる日を心から楽しみにしている、温かい人たちがたくさんいることを忘れないで。

パパと一緒に、ここで待ってるからね。

画像3

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?