![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/5562073/rectangle_large_1e61702466d928d44be65c4338857d8f.jpg?width=1200)
「金時計の下に、10分後」
「このあと、彼と待ち合わせることになった」
久しぶりに会った友達とのランチ。彼女はスマホに目を落としながら、ゆるんだ顔でそう言った。
最近できたばかりの彼氏が、駅で待ち合わせないかと誘ってきたらしい。
(いいなあ…)
口にこそ出さなかったものの、素直に羨ましいと思った。こう言うと、君にも彼氏がいるでしょ!と一蹴されそうだが、私が羨ましいと感じているのは“彼との待ち合わせ”というシチュエーションなのだ。
同棲を始めて約1年。彼と待ち合わせる機会がめっきり無くなってしまった。
それもそうだ。一緒に住んでいるのだから、どこかに出かけるときは待ち合わせる必要がない。一緒に家から出ればいい。
“待ち合わせ”は、無いならないで特に困ることはない。むしろ楽だ。
どちらかが遅刻して気まずい雰囲気になることもなければ、たくさんの人混みから相手を見つけ出すのに苦労することもない。
そう分かっていても、私は“待ち合わせ”が恋しくなってしまうのだ。
*
彼と付き合いたての頃。お互い大学の寮に住んでいたため、デートの待ち合わせはいつも寮門前だった。
築50年以上の寮はボロボロで、門の近くにあるのは汚い駐輪場。
お世辞にも、デートの待ち合わせに向いてる場所とは言えなかった。
だけど、当時の私は「じゃあ、5分後」とLINEが来てから寮門で待ち合わせるまでの時間が、何よりも好きだった。
女子寮の玄関を出て、あれだけ念入りにブラッシングした前髪を右手で押さえながら歩く。
(どんな顔しよう…)
(一言目は何を話そう…)
そんなことを悶々と考えながら、寮門前まで向かう。あの時間より心地よいドキドキを味わえる瞬間を、私は他に知らなかった。
*
友達とランチをした週の金曜日。夕飯を食べながら、彼と土日の予定について確認をしあった。
「土曜日の午前中、名古屋で用事があるんだけど」
そう話すと、意外にも彼は「久しぶりに名古屋に行きたい」と言い出した。
結局、一緒に電車に乗って名古屋まで行き、私の用事が済むまで彼は名駅近くのカフェで時間を潰すことに。
所用の場所までは駅から徒歩でおよそ10分。じゃあね、と別れてから2時間もしないうちにすべての用事を済ますことができた。彼のところへ向かう前にスマホを取り出す。
「金時計の下に、10分後ね」
慌ただしくそう打ったあとに、ハッとする。
いつぶりかも分からない、彼との“待ち合わせ”だった。
厳密に言えば、ちゃんとしたデートの待ち合わせではなかったけれど、そんなことはもはやどうでも良かった。自然と歩く速度が早くなるのを感じる。
金時計に向かうまでの道のりで、女子トイレを見つけて思わず入ってしまった。鏡の前で、少し伸びた前髪を左に分ける。いつかの待ち合わせも同じことをしてたなと、ぼんやり思った。
駅構内に入ると、金色のシンボルマークがすぐに目に入る。土曜日の名古屋駅は、当然のようにたくさんの人で溢れていた。今朝、彼が選んでいた服を思い出してみる。彼の背格好と似ている人を見つけては、心がくすぐったくなった。
次の瞬間、右手で握っていたスマホが小さく振動する。
彼からのLINEを見て、メッセージに書かれた場所へと目を向けた。見慣れた姿がそこにある。金時計に背を向ける形でゆっくりと歩き出した。
やっぱり私は今も、この時間より心地よいドキドキを味わえる瞬間を知らない。
そう思いながら、彼に気づかれる前に
整えたばかりの前髪を右手で少し押さえた。