高一。

最初に症状が出たのは、高1でした。
定期試験の2日目、私は自転車事故に遭いました。
一時停止した車と青信号で渡ろうとした私のタイミングがずれ、右脇腹に車体が接触。
数週間前には小指にヒビが入り、右手の小指にはギブスをしていたのですが、救急隊の人には「これも今ですか」と聞かれる始末。

30m先の病院になぜか救急車で運ばれ、母が来ると聞いたものの、母が一向にこない。
普段から、おっちょこちょいな性格の母親なので、パニックになって事故にあってないかとこっちの方が心配になり、ドキドキしたのを覚えています。

案の定、間違って、「〇〇病院にいってしまった」と
いろんな意味で顔面蒼白になった母と再会。

事故後、数週間はコルセットを巻いて過ごしました。
経過観察があり、遅刻をしたり初めて事故にあったショックと周りに特別視される感じ。
なぜか、今までなかったお腹が張りで、ガスを我慢するのが苦痛でした。

でもよく考えると、中学の時もなぜかテスト中だけお腹が鳴っていました。
もしかしたら、それが初期症状だったのかなと今は思います。

それからは、不登校になり、両親にかなり迷惑をかけました。
初めて、親に打ち明けたのは1年後。
ゴミ出しの日、黒いゴミ袋を見て、死にたい。と思いそこまで追い詰められた自分が怖くなって打ち明ける事ができました。

母は私に一人で抱ませてたことが一番つらいと、一緒に泣いてくれました。

外出が苦痛。
車や密室空間が苦痛。
恋愛はしたいけど、怖くて出来ない。
家では症状がでない。

こんな病気なければなぁ。と何度も思いました。

今、この病気で苦しんで人は最悪、死にたいと思ってるかもしれない。私はそうでした。
女=おならはタブーと言われる世の中に私は居場所がないんだと思いました。

苦しみを経験した人こそ、相手の痛みが理解できる。
これは、私が高校の学年主任に言われた言葉です。

私が母親になって、もし自分の子供が同じ症状で悩まされたときに君は理解してあげれる。
それは、素晴らしいことだよ。と

マイナスな面しか見てなかった私に衝撃を与えた言葉でした。

この言葉が同じ病気で悩んでる方の少しでも、力になれたら嬉しいです!

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