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河原あず、東京カルチャーカルチャーを卒業します。

こんにちは。コミュニティ・アクセラレーターの河原あずです。今日は令和2年の4月1日。今年は桜もきれいに咲き乱れましたが、一方で世界を揺るがす大騒動もあり、落ち着かない日々を送っている方も多いかもしれませんね。そんな中、この場を使ってご報告したいことがありまして、noteのエントリーを書いております。

河原あずは、2020年3月31日付でイッツ・コミュニケーションズ株式会社を退職し、東京カルチャーカルチャーを卒業することとなりました。

イッツ・コミュニケーションズ(以下イッツコム)には2017年11月から2年4か月あまり、東京カルチャーカルチャー(以下カルカル)にはニフティ時代から数えて丸12年お世話になりました(途中ブランクあるけど)。

一方で、ぼくがサラリーマンでありながら割と自由に振る舞ってたあまりに「あれ?あずさんってフリーランスじゃなかったの?」という方も少なからずいらっしゃいまして、そう誤解していた方には、見かけと実態がようやく一致するということかもしれません。

特にシリコンバレー駐在(2013/8~2016/8)から帰任以降、できるだけ自由気ままなワークスタイルを維持しようと、会社にあまりいかずに外の人たちとのつながりをつくって活動してきました(実はけっこう意図的にデザインしたワークスタイルだったのです)。そんな日本の会社では本来なかなか認められないようなワークスタイルを許容してくれた、ニフティ時代、およびイッツコムの上司や同僚やマネジメントには感謝しかございません。本当にいろんな皆様に支えて頂いていたのだなあと、あらためて実感する日々です。

※どういう仕事をやってきたのかをみたい方はこちらをご覧ください。

退職を決めたのは年末くらいです

さて退職理由ですが、まず最初に言うと、新型コロナウイルスが理由でありません。むしろ大誤算ってのが正直なところ(笑)ぼくは対面コミュニケーションをつくるのが仕事の主だったので、決まってた仕事も飛びまくりですよ。まったくどうしてくれよう。

さておき……誕生日が12月30日の自分は、昨年末に39歳になりました。40歳に向かうこの1年をどう過ごすかと考えたときに、いったん組織を離れてみて、自分が何を軸に生きていくのかを考えてみるのもいいかもなって思ったのが、退職を考えはじめたきっかけでした。

会社の中にいると、いくつかのキャリアパスがあるわけですが、ぼくの場合は、自由にやってきた外れものなせいか、今後10年を何を軸にどう生きたらいいだろうっていう問いかけに答えられるようなパスが会社の中には見当たりませんでした。

大きな会社の管理職になりたいわけでもないし(たぶん向いてない)エース人材と呼ばれたいわけでもない(自分のペースでやりたい)。けど自分がわくわくすることはやり続けたい。いろんな素敵なひとたちと素敵な価値をつくりあげたい。そう考えたときに、別に会社組織を否定するわけじゃないんだけど、「会社員ではない」という選択肢を一度経験してみてもいいかなって思ったのです。

幸い、秋から冬にかけて、自身の仕事のアウトプットは客観的に見ても充実していて、自分の仕事にようやく自信が持て始めたというのもありました。もともと自分への自信はそこまでないタイプなのですが、数や質やバランスの面でけっこう手ごたえがあったのです。

Peatixの藤田祐司氏と共著で「コミュニティ思考(仮)」という本をダイヤモンド社から出せることになったのも、きっかけの一つとしてありました。本を出すことが決まったのが同じく年末で、「この本が年度明けくらいに出る予定だし(その時は2020年4月刊行予定で動いてました)本をひっさげて、地方まわって、いろんなコミュニティの人と対話できたら楽しそうだなー」って思っちゃったのです。そうなると有給休暇なんてあっという間に消えてしまいます。業務だって進みません。なので、せめて本が出て、セールスが佳境な時期は、身をあけておきたいなって思ったのでした。

それで退職意思を上司に伝えたのが1月半ば。手続きを進めたら大きくなってったコロナ騒動。中身を精査しなくてはで出版も想定より遅れそうだし(2020年6月発売予定で調整中ですが今回の騒動で遅くなる可能性も…)まったくもって地方まわるどころじゃない状況ですが(笑)前向きに考えたら、自分の進みたい方向や軸を、この期間の間にしっかり定めなさい、という、天が与えてくれたチャンスなんじゃないかなと思ってもいます。

こんな身勝手な相談をしたら、カルカルの上司やメンバーたちは暖かく理解して下さり、むしろ真っ先に応援の言葉を頂いたりして、本当に感謝しています。やめた仲間たちも含めて、本当にたくさんの愛に支えられてたなと実感してます。

イッツコムからは、親会社である東急さんとの仕事を継続するために業務委託契約を結ぶことも提案いただきました。業務委託は一部プロジェクトで続くので、厳密にいうと完全なカルカル卒業ではないんですが、付き合い方は変わるけど、ちょっとつながりが深めのアルムナイ(同窓生)的な関係になりそうです。

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いったん独立起業。お仕事のご相談大歓迎です

今後なんですが、まだ「これ!」というのは決めてません。いったんフリーランスになります。かっこいい言い方すると「独立起業」なんですかね。

多くの起業家に聞くと意外とそう言うんだけど、まさか自分が起業するなんて思ってもみませんでした。何回も「あずさん起業しないんですか?」って聞かれたことあるけど、まったく想像つかないと答えてきてたのです。実際、ぼくはなんの誇張も謙遜もなく「安定志向」な人間でして、自分にとって許容できる外のリスクはとらないタイプなのです。正直、自分が通用するのか?という不安もあります。けど、自然と決断をしていたのは、そういうタイミングだったんだろうなあって思うのです。

今後は、会社をつくるかもしれないし、本のこととコロナ騒動が落ち着いたらどっかの会社員に戻るかもしれないし、先のことはまだわかりません。こんな世の中の情勢なので、柔軟に構えたほうがいいかな、とも思ってます。

けど一つだけ決めていることがあります。それは「コミュニティ・アクセラレーターとしての活動をさらに加速させる」ということです。所属は変わっても、これは変えずにいきたいと今のところ思ってます。

コロナ騒動で時間もできたので、信頼できる仲間に言語化を手伝ってもらっているのですが、この騒動が落ち着くころには、こういう風に加速していくのだ、という「ビジョン」をみなさまの前に提示できればと考えてます。

日々実現したいと考えているのは、新しい価値をつくる人たちの活動をコミュニティの力で加速させたいということ、迷っている人たちの中に隠れている可能性を引き出してコミュニティの力で次のステップにつなげていくこと、自身がある種の触媒となり、そのような人たちのつながりを元に新しい価値を一緒に創造していくことです。例えば以下のようなお仕事をやってます。

・コーチング(自らの価値に気づく)
・人材育成研修、チームビルディング(言語化された価値同士のつながりをつくる)
・コミュニティのプロデュース(価値をいっしょに広める)
・コンテンツのプロデュース(価値をいっしょにかたちにする)
・イベントのプロデュース(価値を増幅させ求めている人たちと引き合わせる)
・講演や執筆(価値に共感してくれる人たちとつながる)

言語化が下手なもので、ふわっとしているし、まだ練り切れていないのですが、これらの範疇にひっかかる活動をさまざまな企業や組織や個人といっしょにコラボレーションやれたらなあって思ってます。ありがたいことに、ほぼ公にしてなかったにも関わらず、噂を聞きつけた複数の方からありがたいオファーも頂いていますが、他にもまだまだ案件つくっていきたいので、これらのキーワードにピンときて「河原あずといっしょになんか面白いこと巻き起こしたいな」って思ったらご連絡いただけますと幸いです。白紙でもいいので、まずはZoomか何かで話しましょう。幸いにして4月の予定はほぼまっさら。話す時間はたくさんあります。コロナ騒動は、ほんとうにいい時間を与えてくれたものです。

今までも「自分でもイメージはハッキリはしてないんだけど、あずさんに相談するとなんか起きそうだ」って感じで連絡をいただいて案件が生まれることがほとんどでしたし、そこで熱量あるユニークなプロジェクトを立ち上げられるのが自分の強みだと思っていますので、顔が浮かんだらまず連絡いただければ嬉しいなーと思っております。

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ビジョンのかけらについて語っておきたい

今まであまりビジョナリーに語ってなかったんですけど、足りない頭で必死に言語化している最中のパーソナルビジョンについてかけらだけしゃべっておきます。

ぼくは「とても素晴らしい可能性を持っているのだけど、何かボトルネックがあって次に行けない人たち」に寄り添って、次に行くきっかけになるべく背中を押す役回りでいたいのです。

たとえば新規事業をやってる人だったり、起業家だったり、いわゆる一見普通のサラリーマンだったり、クリエイターだったりミュージシャンだったり……領域はさまざまなんだけど、そういう人たちの可能性に真っ先に気づける人でありたいし、それをバンドセッションのようなものを通じて増幅できる人でありたいし、ボトルネックを外していく過程を伴走できる人でありたいと心の底から思っているのです。

そのために必須なのが「人と人のつながりを編んでいくこと」。コミュニティが人々の活動を加速させる大きな理由が、もがいている人同士がお互い持っているものを持ち合って支えあって、それぞれの成功を目指す関係性を築けるからだと思うのです。

先日イベントやコミュニティ主催者のみなさまと一緒にオンラインイベントを開催したのですが、大変な状況の中、前向きに明るく語る登壇者や、コメントしてくる視聴者のみなさんの姿を体感して「こんな時代だからこそ人のつながりが必要だ」と痛感しました。人はひとりではいられないし、新しいことをやりたいと思って行動している人にとってはなおさらです。制約はでるでしょうが、新しいかたちでのコミュニケーションのつくりかた、人のつながりのつくりかたがでてくるはず。せっかくフットワークを軽くできることだし、どんどん新しい挑戦をできればと考えています。

今後、ますます生きづらい時代になることが想定できますが、そんな時代だからこそ、コミュニティに救われた一人の人間として、コミュニティの力をぼくはピュアに信じているのです。そんな活動の趣旨を共感してくださる方と、一緒にお仕事できたら、とっても嬉しいなと考えてます。

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昔話と、お世話になったみなさんへのお礼は尽きません

会社員生活をはじめて17年、富士通、ニフティ、富士通米国法人(2社)、ノジマ資本のニフティ、イッツコムと渡り歩いてきましたが、社内グループの転籍や出向とか事業譲渡による転籍ばかりで、実は退職届を出したのは今回がはじめての経験でした。これだけいろんな会社を経験してるのに、なかなかレアな人生だなあと思います。カルカルについては数えきれないエピソードもあるし、ひとつひとつ語って、個人名を出して御礼したい気持ちもあるのですが、それをやるとたぶん一万字超える上に「コミュニティ思考(仮)」の原稿締切がガチでやばいので(……)後日時間ができたら書きたいなと思っています。

サラリーマンとしてダメダメな自分を、まがりなりにも17年間サラリーマンとして生かしてくださったすべての皆さんへの感謝はたえません。特に、2008年4月1日から、干支が一周する期間、丸12年かかわった東京カルチャーカルチャーの関係者には、表現しきれない感謝の気持ちがあります。特に、イベント初心者の生意気な若造だった自分を迎えてくれて、12年間かかわって背中で育ててくれた横山伸介店長とテリー植田氏がいなかったら、イベントやコミュニティにかかわり続ける今の自分は生まれませんでした。ありがとうございます。東京カルチャーカルチャーは、宇宙一のイベントスペースです。

また、今のワークスタイルを許容してくれたニフティ時代のマネジメントの皆様にもあらためて感謝です。周囲からの横やりをブロックし、自分を鼓舞してくれて、こういう方向にいくといいとフィードバックをくれて、信頼してくれた皆さんがあって、今があるのは間違いありません。いざフリーになるとなって、適切なマネジメントを頂いていたことのありがたみを痛感してます。松井さん、せつさん、花川さん、鶴久さん、いつも見守って下さって、背中を押して下さってありがとうございました。

それと、あまり表立った実績にはできないのですが、東急グループへのカルカル移籍に関するもろもろは大仕事のひとつだったとぼく自身は思っていて、そこで影の立役者になった東急の貴島さん、当時ニフティからコネクティドデザイン(ニフティとイッツコムの合弁会社)に出向していた福西さんにも感謝申し上げます。今のカルカルがあるのは、みなさんの暗躍があってこそですし、渋谷での挑戦はみなさんのおかげで実現できてます。お2人からは独立にあたりエールも送っていただきまして、本当に勇気づけられております。

他にもあげるときりがないくらい感謝の言葉を述べたい方々がいるのですが、個別にお会いした機会などでお伝えできればと思います。

とりあえず外で頑張り続けることが最大の恩返しになると思い、自分のペースで活動していけたらなと考えてます。引き続き河原あずをご支援いただければ幸いです。長文読んでいただきまして、ありがとうございました。

2020年4月1日 河原あず

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