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No.1 オレたちバブル入行組(Z世代読書感想文)


1-1 読書前予想文

 池井戸潤氏の作品では、中学時代にハゲタカの上下巻を読んだ。バブル崩壊後の不良債権を外資系ファンドが次々に買収していく様相を記述した作品で、正直なところ数千億円という多額の資本が動く様子と旅行で見た事がある鬼怒川の荒廃したホテルを照らし合わせて読み、ああ、なんだかケタが違う世界があるのだなあと遠くに落ちる隕石でも眺めるような心地だった。

 オレたちバブル入行組は馴染みの「半沢直樹」、堺雅人氏主役の人気ドラマであり、私も2期は釘付けで観た(1期はあまりに中学校で「倍返し、倍返し」とやかましいから観なかった)。バブル期の大手銀行に新卒で入行したエリート銀行マン半沢直樹(課長)は中間管理職、上と下に挟まれたストレスだらけの立場で理不尽と闘う…。なんと世知辛いストーリーだろうか、フィクションでわざわざこんなにも息苦しいものは読んでいられない…。

 今回わざわざ書籍を購入する運びとなった決め手は、表紙の白とスカイブルーを基調とした健やかなデザインと本をパラパラめくった時に目に入った「(出身大学、俺)慶応(なんで)」。最近、自身の行いが怠惰なためすっかり学歴など誇りに思えない私には、この学歴の自負が斬新だったため買うに至った。

銀行マン、楽しいか?

 小見出しについて、私は楽しくないと思う。金貸しも、金返しも多大なプレッシャーがかかる立場。私はお金がない時分に何回かカードローンを使った事があるが、50万円の利用枠のうち20万円を借りただけで生気を失った。法人への融資では少なくともその100倍は額面が上がると考えると、もう責任ある仕事などしないで遠い田舎で牧歌的に暮らしてみたいとも思う。

バブルという泡沫

 バブル期といえば、ミラーボールや派手派手しい格好の男女、大盤振る舞い、酒、セクハラ、ケンカ、成り上がり…(若干何かを混同しているような気がする)。右から左へカネが流通して庶民という庶民が踊り狂う時代という印象がある。1985年プラザ合意→日本株&地価の高騰→日本株、土地への投資の急増と更なる地価高騰→莫大な資産譲渡益が市場に流出→物価、所得の急増→購買活動の活発化→物価、所得上昇→…

 お金があるぞ!使え!ラクに働け!まだあるぞ!使え!ラクに働け!…なんだか、現代(2020年代)でいえば最低賃金が日本の2倍、夢の国オーストラリアのお気楽な生活のような気がする。金がある!使え!セックス、大麻、暴走車、カンガルー!ここは夢の国オーストラリアだ!働くな!金を掘れ!ここは資源の国オーストラリア!!の結果、寿司は日本円で5000円かけてもイマイチ、都市部で日本のビジネスホテル(例:APA)レベルのサービスを利用したければ安くても15000円は払う、当たり前のように車は10年以上前の中古車(基本は25万キロ以上のロングランナー)…でも何だか芝生が綺麗に刈られていて、ゴミ出しは全3種類で分別なんか日本と比べてほぼ適当でよくて、とりあえず酒のもうぜ!みたいな、何だか夢の中に居るような感覚の消費生活。しかし本質はこう。「ああ、この国に居ても鮮魚を使ったうまい寿司は、ラーメンは一生食えない。2階建ての家にはきっと住まない。多分大していい車は買わない。アニメや漫画は20年遅れ。ChatGPTなんて使われる気がしない(私は2023年末に日本に帰国してはじめて知った)。結局アジアに行きたいな!って言って香港やら、シンガポールやら、日本旅行に出かけるんだ。」ないものねだりの性格が見つけた束の間の快楽と、束の間を過ごした後の莫大な不足を感じる。それ(なんか数字儲かっている上いい生活出来ている感に対し、実際には生産高上がってない状態)を経済を分析するエラい方々は「実態経済との乖離」という。それを真に受けちゃネガティヴでつまらない。でも、確かにある夢の代償にある夢を諦める感覚はあった。オーストラリアでは、そう真面目に働かなくても生きていけるイージーな感覚があった。ユニクロの服はブランド品。ナイキやアディダス、アンダーアーマーの靴はハイエンド(一足2万円)。料理店で週5日お皿洗うだけでも、十年前の日本車でシドニーまで行ったり、スポーツウェアを買ってエニタイムフィットネスに登録して鏡越しにセクシーな女の子を眺めたり(職場の黒髪キレカワなウェイトレスの女の子がセクシーなウェアでトレーニングしてたり❤︎少し汗のにじんだグレーのウェア…グラマラスなバストとヒップが忘れられない…"oh, you look so… sexy" あの時のはにかんだ美貌が忘れられない〜!!!その後の少し照れながら"これはtechniqueが大事なの"………あー何でアビーとエッチしなかったんだろう。馬鹿じゃねーのか?)、夜な夜な遊びまわったり、誰の土地か知らない綺麗な芝生でカンガルー、牛、馬、etc.を横目に寝たりと何でも出来た。あの生活は田舎育ちの私には最高だった。しかしいずれ帰国する日本やその上位に位置する諸国のニュースが入る都度、確かにそういった競争から取り残されていく感覚があった。(オーストラリアに)戦争はない。イギリス王立空軍のF35が飛ぶ空には軍事的な脅威など感じられない。そのかわりここには技術が無い。色々とコストが高い。情報が乏しい。カルチャーが遅い。スポーツの種目が乏しい。あまりにシンプル過ぎて不安、単調で…自分がカンガルーになってしまったような気がして怖かった。極端な話、娯楽用大麻を医療用に処方されたと嘯きテキーラと共に味わい、愛してると囁き合って夜のプールにダイビングしながら誇らしげに「改善」の二字熟語を日本人に見せる様なファンキーな生き方だって当人が最高であれば最高である。(さすがに悪口が過ぎるけれど、幸せとはつまりそういうことである。)しかしそれでは、諸外国の進化に遅れを取っていつの間にかどこかに支配されているかも知れない。事態はアヘン戦争さながらである(時代は変わり、着々と中国資本が展開する)。
 それに比べて日本は圧倒的に情報が多い。競争は激しい。高度な技術が安く手に入る。地価、家賃はオーストラリアよりは安い。外食のコストパフォーマンスが良い。溢れんばかりのサービス、品揃え、誘惑、ホビー、恐ろしい量の広告。しかし代わりに最低賃金は安い。事業は多分そんなに儲からない。アイデアはバーゲンセール状態かもしれない。だからウィンドウショッピングだけでもそこそこ面白い。しかし私にはあれが無い、これが無い、またはあれが欲しい、これが欲しいの連続。持っているのに持っていない意識。贅沢なのに貧乏で、世界がこのままではいけないと走るのに合わせて日本もこのままではいけないと牛のように走る。そしてアイデアは尽きこれ以上生めそうにないという絶望感、あるいは、ひたすら「不要」「不要」と言って煩悩と戦う…。何だか半沢直樹からだいぶ逸れているけれど、私の経済というある意味バブルに対する感覚はそんな感じ。必ず言えることは、ヒトの幸福が資産で測れないこと。かわりに考え方が幸せの鍵を握っていて、その鍵を持たないヒトはヒトと充実比べをし、資産を充実の度合いにしがちであるという事。彼らは貧富の差が自宅でも確認出来る時代にあって、夕飯を炊くことさえ嫌になる世界の富める者の声を聞いてしまう。嫌だと知っていながら、嫌でも毎日のように聞いてしまうのだ。
 私は自由競争という名の経済戦争に加担する位ならばお茶の葉を摘んでリンゴでも齧っていたいと思う。実際、私が皿洗って働いていたホテルが中国資本になったとき現場(出身:オーストラリア、ベトナム、スリランカ、インド、香港特別行政区、ニュージーランド、日本、フィリピン、フィジー)の空気がやや張り詰めていたのを思うと…。資本の奪い合いはある意味内出血の戦争なんだわ。それをすればカネが入る。カネで何でも買える。しかしどうも穏やかではないし、それが人間の内側を崩し、結局は豊かさの感覚を壊してゆくと思う。タワーマンションの上階で飲むウォーターサーバーの水と深山幽谷の湧水、どちらが貴重?眠らない大都市の静かな夜景を独占しながら飲む水と木々と共に眠る田舎の冷たい井戸の水、どちらがより風情ある光景?まあ東京で夜景見ながらお酒飲むか瀬戸内旅行で温泉入って美味しい魚食べるかって言ったらどっちも良いねってなるだろうけど、毎日ゲーム&ウォーターサーバーの水が飲めて最高だなんて言う子供と生活するバカな親にはなりたく無いと思うかな。世の恥晒しだ。もし仮に余るほどのカネがあるならば、47都道府県の空き家を改築して家具付けて良い人に住んでもらって泊まりに行く。じき海外にも進出するわ。貸家×会員制宿舎だな。知的でコミュニケーション力があって旅のモラルが高い人しか会員にはしないんだ。最高だ。

【余談】筆者は話の逸脱具合を何とかしたいと思っている。

1-2 読書感想文

【2024/9/18時点】 半沢さんが5億円の不渡りの回収に奔走している所を読んでいます。

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