アノトキノコトバ
私には忘れられない「言葉」がある。
高校3年生で進路を考える時、
学校の先生になろうと決めていた。
ただ、細かいことについては迷っていた。
大好きなことを仕事にはしたいのだけど、
同じ夢を目指す同級生みたいに、
その職業にふさわしい力を持ち合わせて
いないように思ったのだ。
でも、だからこそ、
力を付けてそこを目指したいと思った。
そのことを、担任の先生に告げた時にこう言われた。
「あなたはその先生には、なれないと思うよ。」
(ならないほうがいいよ、だったかも?)
えっ? そんなこと言う?
もうかれこれ30年前の話なので、
事の詳細は忘れてしまったが、
あの時の言葉は今も覚えている。
しかも、大事な節目節目に思い出す。
第1希望の大学に落ちた時。
(やっぱり先生の言う通りなのかも)
大学で同じ進路希望の仲間たちに出会ったとき。
(私にしかできないことがいるはずだ!)
採用試験になかなか合格せず、現実を突きつけられた時。
(先生の言いたかったことはこういうことか)
やっと採用になった時。
(やったー!!ほら見ろ!なれたじゃん!!)
(鼓舞するためにわざと言ってくれたのかも?)
仕事に派閥があると実感した時。
(居場所がなくてつらいよって意味だったか?)
子供を産んで育休明けの時。
(この仕事続けるって、こんなしんどいの?)
その時その時で思うことが違っても、
いつもあの時の言葉を思い出す。
今もう一度先生に会って聞いてみたい。
「先生、あのときどんな思いで
あの言葉を言ってくださったんですか?
私、あの時の言葉のおかげで、
自分を奮い立たせたり、慰めたり、
達成感を感じたりしてきましたよ。」
一つの言葉や出来事が、
心の中でふと頭をもたげる瞬間がある。
あれは言って良かったかな?
あの人にどう響いたかな。
どんなふうにあの人の心に残っているかな。
自分が忘れていることでも、
相手にとっては一生残る言葉がある。
誰にでもあると思う。
ずっと引きずり心に刺さったままになっている一言や、
辛くなった時に大事なお守りのように取り出してきては
勇気をもらう一言も。
私たちは、それを発する側でもあることを
忘れないでおきたい。
私が発したその言葉や、その瞬間の記憶が、
「安心」や「希望」であることを
願ってやまない。
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