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がっかりされる覚悟  シロクマ逃亡記7

 水に肩の力の抜きかたを教えてもらいながら
 体力の回復を図っていた前回のシロクマ逃亡記。
 社会復帰前最後の逃亡記は
 思いがけないものになった。

 この病気休暇の着地点はどこか?
 ずっと考えていた。
 前回のシロクマ逃亡記までは、
 「私は運がいい」大事にならずに済み、
 引っ越しも終わり、体調も整って、
 これからは自分の生活と仕事は
 半分ずつ頑張る。
 そんな生き方をしようと心に決めて、
 仕事復帰するのが着地点になるはずだった。

でもたくさんの人に話を聞いてもらい、
本を読み、ドラマにはまり、
いろいろ考えているうちに
本当は自分がどうしたいか、分からくなっていた。
仕事復帰はしたい。
でもどう生きていけばいいか、悩む。
「自分に何ができるか」一緒に考えてもらいたい。
縁側コミュニティの仲間、
パーソナルファシリテーター「うえるさん」
https://wellcomeyy.com/
そう依頼し、
今の自分の思考の整理を手伝ってもらった。

うえるさんに1on1ファシリテーションしてもらい
宿題を軸に自分の人生にいらない、我慢できない、
減らしたい時間から考えを深める。
その後思考をひっくり返し、
「こう在りたい」を見つめた。
うえるさんは聡明で穏やか。
そして基本的に自分がしゃべっているだけ
なのだが、質問してもらうことで
頭の中を一緒に整理してもらい、
忘れていたエピソードや気持ちを思い出した。

そして、最後の最後に出てきた気づきは
思いがけないものだった。
私は悲しんでいたし、怒っていた。
そしてちょっとだけ強くなった気がする。
伴走してもらったことでたどりついた
今の気持ちをここに残しておく。

私は27年間高校の体育の教員として働いてきた。
時代とともに変わってはきたが、
わかりやすく体育会系男社会の中にいた。
はっきりとものを言う性格の私は、
今までいろんなものと戦ってきた。
女であることでわかりやすく
軽視されたこともあるし、
(私個人だったのかもしれないけど)
良かれと思って言ってるんだろうなと
残念な思いをすることもたくさんあった。

男社会が大嫌いだ。
既得権益のある立場の人は、
私からすれば勝手なことばかりいっていた。
手柄は全部自分のものにして、
フォローされるのが当然みたいな顔をして、
「女の人は家庭があるから大変だよね。」
とか言う。

「職場に保育所があれば
 何時まででも働けるのにね。」
「仕事もだけど、子ども産みたいでしょ?」
「家庭のことを大事にして欲しいから、
 敢えて仕事を振らないんじゃない?」

あなたに家族はいないの?
あなたの子どもは誰が見てるの?
あなたのご飯や洗濯や掃除は誰がしてるの?
子どもって何時に寝るか知ってる?
仕事するかしないかは私には聞かないの?

そうやって手柄以外を
「女」に全部やらせておいて、

「何をしに、体育の先生になったの?」
→もっと部活をして、チームを勝たせろの意味
「部活をしない体育の先生って言うのは、
 ちょっとね」
→体育の先生は部活してなんぼの意味。
「誰おまえ?(何大学出身の何の専門競技?)」
→国体で点も稼げないのに、
 何で体育の先生してるの?の意味。

直接言われたこともあるし、
なんとなく感じたこともあるし、
私が勝手に引け目に感じたこともあるだろう。

長時間労働をかいくぐり、
土日の部活でも代休は簡単には取れず、
高速道路かのようなスピードの仕事。
それでも生徒達といる時間は楽しい。
だからやめられない。
そんな思いがぎゅうぎゅうに詰まっているのが
前提で働いてきた。
何も犠牲にしたくなかった。
家族も、自分の人生も。

特に私にとっては、
学校にいる「弱い子」や「悪い子」も
優等生や有望選手と同じくらい大事だった。
誰のことも切り捨てられなかった。
詰め込みまくった私は、
転勤先でとどめを刺されて頑張れなくなった。

これからの私の願いは、
「心身ともに健やかに生きていきたい。」

そのためには、
手に負える仕事や生活をしていきたかった。
自分を大きく見せるために、
自分の手に負えないことまで
なんとか頑張ってやろうとした。
でも仕事をするために
自分の生活のために必要なことを
外注したり、機械にやってもらいたいとは
もう思えなかった。

なんでも「過ぎ」ることをやめたかった。
働き過ぎ、持ち過ぎ、食べ過ぎ、
頑張り過ぎていた。
他人に自分の心も時間も搾取されず、
自分のものにしてきたいと思った。

最後にうえるさんは
「それでも避け切れない球がきたとき、
 どうしますか?」
と聞いてくれた。
「はっきりできませんと断ります。」
さらにここで究極の質問。
「本当にできそうですか?」

苦しかったが、こう答えた。
「断っていいのか葛藤すると思う。
でも、引き受けてしまったら、
この休みが無駄になってしまう。
もう同じことは繰り返したくない。
だから、頑張って断って
がっかりされたらいいと思う。」
と返した。
うえるさんは笑って「安心しました。」と言った。
話ながら、私は
今まで誰にがっかりされたくなかったんだろう?
と振り返った。

私の仕事の価値
(弱い子や悪い子、
  その保護者の味方でいること)を
理解し評価してくれた人はそう多くない。

私の大事な仕事は、弱き者の声を聞くこと。
時に誤解される高校生の声を大人語(先生語、保護者語)
に翻訳すること。
しなくてもいい争いや傷や涙が
少しでもなくなるように、
できてしまった傷が少しでも
早く優しく癒やされるように、
ひとりぼっちの子どもが
できるだけなくなるように。

それができる先生でいたい。
だからこそ私は小さい声が聞ける人でいたい。
小さい声を聞くには、
耳を澄ます時間と心の余裕がいる。
猛スピードで走る車には、小さな声は届かない。

そうか、
私は私の価値を大事にしてくれない人
(男社会のなかにいたい人)
にがっかりされたくなくて無理をしてきたんだな。
ようやく分かった。
私が仕事を断って、がっかりする人、
あいつは使えないと思う人は
私のことを大事にしてくれない、
私の価値を理解できない人だ。
嫌われてがっかりされて、
願ったり叶ったりじゃないか。

私はもう自分の頑張りや時間を
消費されたり、搾取されたり、
利用されたりしないのだ。
私の価値を理解し、応援してくれる人は
頑張らなくても、頑張れなくても
ずっと私の味方でいてくれた。

私の仕事は数字には表せない。
でも、AIにはできないことを
やっている自負はある。
私の価値は私と関わった生徒が
分かっていればそれでいい。

「がっかりされる覚悟」をもつ。
「自分を大事にする」ことの本当の意味。
私に必要な力がようやく分かった。
仕事復帰をする前に、気づけて本当に良かった。

セッションを終えて、うえるさんに
素敵な先生だと言ってもらえた。
自己犠牲をする先生が多いなかで、
私は「生徒のために」と言わなかった。

私は「生徒のために」「子どものために」
と言う人が嫌いだ。
「○○のために」は「あんなにしてやったのに」
に容易に転嫁する。
私は私がしたいからやる。
常に主語は『自分』
やりたいのは、私。やりたくないのも、私。

これからも自分を主語にして
「がっかりされる覚悟」をもって
シロクマ逃亡記を終える。
私は北極にたどり着いたのだろうか?
まだ、道半ばな気もする。
それでもいい。
これからも自分のペースで
私の誇り高き北極を目指そうと思う。

たくさんの人の支えでここまでこれた。
感謝の気持ちしかない。
ありがとうございました。
これからも、よろしくお願いします。

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