実業家が愛した美術十選④ 寒山拾得図
「この画中の人物は何やら物を言うそうなり」
森蘭丸は主君織田信長がこうつぶやくのを聞いた。信長が言う「この画」とは伝顔輝筆「寒山拾得図」にほかならない。
ある日、信長の癇癪に閉口した蘭丸は、寒山拾得の2人が「近頃の殿の御短慮はもってのほかでご用心これなし」と話しているのを聞いたと述べて、信長をたしなめた。
信長は激怒し、「陰口をたたく寒山拾得を今すぐ焼き捨てよ」と蘭丸に命じる。蘭丸は寒山拾得の前でしばし端座したあと「2人は殿のご威光に恐れをなして何も物を言いません。平にご容赦をお願い奉ります」と謝る。信長はたちまち機嫌を直し、寒山拾得は灰燼に帰すことを免れたという。
この信長所蔵の寒山拾得が時を経て川崎正蔵の手に入った。川崎造船所を一代で築き上げた川崎は大の古美術品好きで、明治23(1890)年に川崎美術館を開いた。中でも寒山拾得は川崎の宝で、「ロシアが本土に攻め込んで来たら寒山拾得を持って逃げる」と周囲に漏らしていたほどだ。
信長と川崎はともに冷徹な性格が共通する。寒山拾得がもつグロテスクな趣は、現実を冷めた目で見る人物を惹きつける何かがあるのだろうか。
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本稿に登場した川崎正蔵や「寒山拾得図」にまつわるエピソードなどについては拙著『幻の五大美術館と明治の実業家たち』をご覧ください。