見出し画像

出不精

近くの珈琲豆屋さんが閉店した。
リモートワークの楽しみだった「おうち珈琲」では、高いと思いつつ豆を買っていたのだけれど、失業状態になってから後ろめたくて控えていた。
その間に閉店の告知がされていたらしい。
お気に入りはヴァテマラ。

ネットでも購入できるけれど、豆屋さんがその場で好みのとおりに煎ってくれていたのを見ていたから、通販はなんとなく疑わしい。

豆を買うのは贅沢度が高かった。
元夫は、ローストまで家でやれと言ったが、そこまではできない。
こだわりと手間とのバランスを考えると、電動のミル(押しているときだけガーッと可動できてラクチン)で挽いて手で落とすくらいが上限。

それすら面倒なときもあるので、市販のドリップパックを買っている。
小川珈琲の「冬限定」版を春先にまとめ買いして、次の秋まで持たしている。
マグカップが大きいので1回分にこの10gでは足らなくて、さらに大袋の粉を追加している。

失業手当は来月まで。
しかし、怠惰に慣れてしまって、仕事の選択のハードルがどんどん上がっている。
「自分の希望に合う仕事がないからしかたがない」というのを言い訳にしている。
このまま、不定期な校閲だけで暮らしていけないかと資金繰りをシミュレーションしたり。

父も母も卒寿まで生きた。
私はそこまで生きないと思うけれど、こればっかりはわからない。
健康状態によっても、かかる経費は天と地ほど違ってくる。
予想や試算のしようもないが、仮に卒寿まで生きられても、その過程で資金が尽きることは確定的。
珈琲豆がどうのと言っている場合じゃない。

でも。
いつまでこの暮らしができるかわからないからなおのこと、いま我慢したくないのよなぁ。

エアコンの暖房は朝1時間だけ。
炬燵も食事のときとPCを使うときだけで、中が温まるとスイッチをオフ。

読書時は、ソファで足温器に足を突っ込み、電気ひざ掛けを掛ける。
テレビをYouTubeにして、BGMを流し(音が欲しい派)、ソファで珈琲を飲みながらkindleを開く。

膝の上のクッションは、高さを足すため。
テーブルのメガネは老眼鏡ではなくブルーライトカット用。
近視用の眼鏡をかけなくて済むように、kindleの文字を大きく設定している。

そうしていると、この至福のひとときを手放したくないと思う。
これまでの長くて(自分的には)しんどい日々は、このためにあったと思えてくる。

ネトフリで話題の恋愛リアリティ番組をちらっと見た。
こんなにネットの恩恵に慣れた暮らしをしているのに、「ネットのない旅」や「スマホのない恋愛」を特別なものだという設定がどうにもピンとこない。
自分が旅や恋をしていた時代はないのが当たり前すぎて、ないことの非日常感を共有できない。
年を取った証拠だが、時代(文明)の転換期に生きた弊害か。

別の恋リア番組も最初だけ見たが、出場者たちがとにかく「結婚したい!」「出産できる年齢に間に合わない!」という焦りに「うっ!」となってしまって離脱した。
いまの私は「離婚したい!」「一人になりたい!」という思いにしか共感できないのかもしれない。

先日、触れた「ホットスポット」の「ドアを閉めたらすぐに鍵をかける音にホッとする」問題は、今回の放送で解決。

ヒロイン清美も、娘一人を置いて外出したあと、鍵をかける音がしなかったことに「開けっ放しなのではないか」と不安になり確かめていた。
「音がしたほうが安心」に気づいたというモノローグに安堵。
だよねー。
視聴者がここに違和感を覚えることを見越していたのだろう。
作家が気づいてほしいところに私は気づけたという点にもホッとした。

明後日から春の陽気になるらしい。
花が咲くことは嬉しいけれど、花粉がドッと排出されるのを思うと憂鬱。
輪をかけて出不精になりそう。
あんなにムキになって旅をしていた頃とは別の自分になった私。


件の恋リア番組の舞台はニースだった。
私は、旅情報ケチなので、どこが良かったかは、相当親しくてかつ一人旅の人にしか教えたくない。
お気に入りの場所が番組や物語のロケ地になっていると「どよ~ん」とする。
情報番組などで「おススメの絶景」とかに取り上げられると、「何してくれたんだ!」とテレビ局に怒鳴り込みたくなる。
インスタなどにあげられて人が殺到するのが本当に嫌だ。
写真はニースの近郊の田舎の村だが、映ったら怖いのでもうその番組は見ない。


いいなと思ったら応援しよう!

風待ち
読んでいただきありがとうございますm(__)m