Pardon,Monsieur.
夜の地下鉄の車内で、その男は眠り込んでいた。
酔っているのだろう。
だらしなく口を開けて、大柄な体躯が斜めに雪崩落ちていた。
そのため、座席の二人分を占領している。
車内は、つり革が埋まるほどの混み具合。
仕事帰りと思われるスーツ姿が多い。
そのひとりが、私の右隣に立っていた。
左隣には、仕事の友人。
私たちは、とあるイベントの仕事を終えた帰りだった。
前の席に、件の雪崩男が爆睡していた。
それは突然だった。
右隣のスーツの中年男性客が、私の前を横切るように手を伸ばし、雪崩男の肩をポンポンと叩いた。
「お客さん、ダメですよ。もっとこっちへ寄って!」
雪崩男は、目こそ開けなかったが、声は届いたらしく、いくぶん体勢を立て直して片側に身体を寄せた。
寄せられた側の女性客は、一瞬窮屈そうな顔をし、それはそれで気の毒ではあったが、雪崩男が占領していた席の一人分は確実に空いた。
スーツの男性は、私たちに言った。
「どうぞ」
だが。
残念ながら私たちは、次の駅で降りることになっていた。
友人がその旨を告げる。
「どうぞ」と今度は私が男性に手でそれを示した。
しかし、男性は座るのをためらって、私の隣に立ったまま。
ポツンと空いた席を前に、私たち3人は、すこしばかり話をすることになった。
公共の場所でのマナーや気遣いに欠ける行為に注意をするのは、勇気が要りますよねとか。
電車はすぐに次の駅に着いて、私たちの会話は、なんだか中途半端な感じで終了した。
乗り換え通路を歩きながら友人が言った。
「気になったのはね・・・」
「あの人が、酔っ払いに『お客さん』と呼びかけたことなんだ。」
え?
私はまったく気になっていなかったので、すこし驚いて訊き返した。
「あの人は、地下鉄の職員じゃないんだから『お客さん』って呼ぶのは変じゃない?」
そうかなぁ?
「あの人は、単にあの電車のお客さんのひとりという認識で、そう言ったんじゃない?自分もお客だけど、寝ている男もお客、同じ客同士ということで。」
反論しながら、自分でもピンと来ない。
それで、
「じゃあ、何て呼びかければよかったと思う?」
と問い返した。
「それは、オジサンとかオトウサンとか・・・」
友人の苦笑から、彼もまたその返答が自分でもしっくりきていないような気がした。
それで私は言った。
あのね。。
母が、70代の頃。
若く見える母も、それなりに年をとってきて、電車に乗ると席を譲っていただくことが増えた。
その頃、母を知っている人は苗字で呼ぶが、見ず知らずの人は口々に言った。
「おばあちゃん、どうぞ。」
「おばあちゃん、気をつけてね。」
ありがたさの中で、ときどき私は違和感を感じていた。
母は・・・
母は、老女であるから、おばあさんであることは間違いない。
でも、母には孫がいない。
呼びかけた人は、もちろん母の孫ではない。
自分の母が、若くて美しいことが自慢だった母が、他人から、しかも私や母とそれほど年齢の違わない人から「おばあちゃん」と呼ばれる。
実の娘の私でさえ、母をおばあちゃんと呼んだことはないのに。
孫がいる人には当たり前で自然なその呼びかけが、私には奇妙な違和感となった。
母もまた、一瞬「え?」という表情をした。
自分のことだとはわかっているし、自分がそういう年齢だとも自覚している。
けれど、あまりに呼ばれ慣れていないので、まるで外国語で話しかけられたような顔になった。
そのうち少しずつ慣れてはきたけれど、最初に感じた違和感と、かすかな痛みと憤りは、埋もれてしまった棘のように母と私の深部に潜んだ。
いまの私は未婚。
未婚というのはおかしいか。
「いまだ」結婚していないのではないから。
でも、何かの用紙の記入欄って「未婚」と「既婚」しかないよね。
街の商店ではときどき「奥さん」とか「お母さん」とか呼びかけれられることがある。
見ず知らずの人で、名前を知らないのだから仕方がない。
年齢から見ての「お母さん」なのだろう。
もう誰かの「奥さん」でもないんだけどね。
子供なら「おばちゃん」というところなのだろうが、知らない大人からいきなり「そこのおばさん!」と呼ばれたら、場合によっては喧嘩を売られているように感じるかもしれない。
でも、母が「おばあちゃん」と呼ばれたよりは、自分のことのほうがうんと違和感は少ない。
しかし。
あらためて考える。
「じゃあ、なんて呼びかければいいの?」
日本語は、他のどの国の言語より繊細で、その語彙も豊富だと言われている。
微妙なニュアンスを含んだ日本語を、正確な外国に置き換えることは不可能ではないかと思えるほどに。
けれども。
私は、思う。
日本語は、不便だ。
なぜなら、年齢や立場を表さないで、ただ男女だけを区別して呼びかける敬称というものが、日本語には見当たらないからだ。
フランスでは、もともとは閣下という意味の「Monsieur」が、一般的な男性全般への敬称として使われている。
日本で、ムッシュと呼べば、昔なら下駄を鳴らしてかまやつひろしがやってきそうだ。
ミスターといえば、長嶋さん。
このたとえからして、すでに「オバサン」から「バアサン」への過渡期なのだと自覚している。
あれがパリのメトロであれば、私を含めた多くの乗客が、雪崩男に呼びかけただろう。
「Pardon,Monsieur.」
女性では、「Madame」と「Mademoiselle」の未既婚の問題があるけれど、不明な時は「Madame」と呼びなさいと教わった。
当時は「Madame」のが格上という感じらしかったが、いまは違うかも。
しかし、暮らしてみると、日本と同様、「Mademoiselle」と呼ばれたい「Madame」もいると思われる。
それはともかく、大切なのは、これらの中に無意識ながら「敬称」という意味合いが残っていることだ。
日本語の「オジサン」「オバサン」には感じられない。
以前、テレビで見たのだが、関西では(一部かもしれないが)、見ず知らずの人に「オッちゃん」と呼ばれるのはいいが「オッサン」と呼ばれると腹が立つという人もいるらしい。
発する側に悪意や蔑視が何ら含まれていない言葉も、受け取る側にしたら、そうだとは限らないのである。
だから。
日本語は不便だ。
その人の個人的事情、実年齢や未既婚や子供や孫のあるなしにまったく関係なく、すべての男性に呼びかけることのできる「Monsieur」に当たる日本語が見つからないことに。
私も「Madame」と呼ばれたい。
母のことも死ぬまで「Madame」と呼んでほしかった。
酔っ払いもホームレスも社長も大学教授もフリーターも学生も、みんな「Monsieur」と呼び、呼ばれることの安心感。
「Bonjour,Monsieur.」
こんにちは、の後に、「あなた」を示す敬称をつける。
他の誰でもないあなたに、こんにちはと告げたい。
あなたにとって今日がいい日であることを願っています、と伝えたい。
ヨーロッパを旅したころから何十年。
この地下鉄内のできごとがあってからも、すでに数年が経っている。
でも、そんなことをいまだに考える。
読んでいただきありがとうございますm(__)m