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向かい風
入眠剤を処方してもらうための月イチの通院日。
一昨日くらいから天気予報を見て、今日、等圧線が混んでいることはわかっていたので不安だった。
予約日を変更したいけれど、手持ちの薬はせいぜい1週間分くらいしかない。
1週間以内の新たな予約はたぶん取れない。
雨が降っても槍が降っても行くしかない。
猛吹雪でも出勤してくれるエッセンシャルワーカーもおられるのに、甘いこと言ってんじゃないと自分を奮い立たせる。
クリニックは電車で3駅。
駅から500m。
普段ならなんということもないけれど、今日は怖い。
交通事故の後遺症で、転倒時に左手をつくことができないから。
髪の毛はぐちゃぐちゃになり、目に砂埃が入る。
でも、思っていたほどではない。
と、油断していたら、突然、風が強まった。
なるほど、瞬間最大風速というやつか。
風速8mでも、瞬間最大風速が25mにもなる。
前を歩いている高齢女性がうずくまった。
飛ばされそうになったので、予防的にしゃがんだらしい。
気持ちは駆け寄ろうとしたが、風圧で足が前に出ない。
大丈夫ですか?と声だけかけると、女性は振り向いてうんうんと頷いてくれたので、互いにその姿勢で固まったまま、風速が8mに戻るのを待った。
クリニックには扉が開く15分前に着いた。
いつもなら、2、3人はすでに並んでいるのだが、今日は一番乗りになってしまった。
そうだよね、こんな日に外で待つのはつらい。
そもそも私は、電車の遅れに備えて若干早めに家を出ている。
だから、大雪や台風で、電車が運休にならないで遅延のときは、むしろ早めに着いてしまう。
遅刻するなら休みたい性質だ。
今日に限ってなかなか開かない。
10分待ってから、時間が気になって読書にも身が入らない。
こんな日だもの。
すこし早めに開けてくれるんじゃないかしら?
などと、都合のいいことばかり頭に浮かぶ。
でも、思い通りにはならない。
たぶん、クリニックのスタッフの方々も、電車遅延に巻き込まれているのだろう。
いやいや、その分、早く家を出ないの?とか、ちょこっと思ってしまった。
ついつい今の自分基準で比較してしまうのは私の悪い癖。
そうしたくても、私だってデイサービスの送迎車が来るまで家を出られなかった時期もあったのに、勝手なものだ。
10分遅れで受付が開始され、受診。
といっても「変わりないです。よく眠れています」しか言うことがない。
先月末から花粉症の薬と併用するようになって、一段と眠れるようになっている。
それを言うと「花粉症ですか。僕もです!」と先生、なんだか嬉しそう。
去年の今頃は、能登の地震の共感疲労で眠れないと訴えていたんだったな。
そのとき先生は「僕も同郷です。学生時代の仲間が被災地で治療に当たっています」と苦悩の表情を浮かべたことを思い出した。
心のお医者さんだって、共感はしたいのよな。
「僕も!」「だよねー」って言いたいのよな。
仲間意識が高まったところで、花粉症の薬も処方してもらえないかと頼んでみたら、OKだった。
これで月末に予定していたアレルギーのクリニックに行かなくて済む。
15分ですべて終了して外に出ると、来たときよりさらに風が強くなっていた。
あおられて転んでいる女性がいたので、周囲の人たちと一緒に手を貸す。
なかなか起き上がれない。
なんなら救急車呼ぼうかと思ったけれど、特にケガはない、痛いところはないと当人は仰る。
同じ方向に行く人に肩を借りて足を引きずりながら歩いて行った。
そのときは、見栄もあって「大丈夫、たいしたことない」と言いがち。
家に帰ってから痛みが増して、診てもらったら骨折していたというのは、実際に母に起こったこと。
そうでないといい。
老いた女性は、みんな母に見える。
自分もまた、誰かにとって「老母」に見える年齢に近づいていくというのに。
買い物をしてリュックに詰め、入りきらない分はマイバックに入れた。
左手の力で持てる分量だけ。
右手は何かあったときのために空けておく。
しかし、軽量すぎると風にあおられるので加減が難しい。
行きは向かい風。
帰りは追い風だった。
状況にもよるけれど、向かい風のほうが歩きやすい。
立ち向かっていくほうが、自分の力や重心をコントロールしやすい気がする。
進むべき方向を見定めようと見開いた目の前には砂塵。
それでも。
自分では見えない背中側から力がかかるのは怖い。
人生も似たようなものかなと、ふと思った。
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