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紅鮭の骨

三浦綾子の「氷点」のワンシーンに、家にやってきたおばさん(母親の親友である辰子)と二人で食卓を囲む少年(ヒロイン陽子の兄の徹)との描写がある。

少年は、出された魚に手をつけない。
魚が嫌いなのかと問うおばさんに、少年は首を振る。

じゃあ、どうして食べないの?

だって、お魚には骨があるから・・・。

その母親は、魚を出したら、初めにその骨を全部丁寧に取り除いてやる。
そうするのが、子供への愛情であり、母親の当然の行為と思っている。
だから、子供は、骨を取り除いた魚しか食べたことがない。
でも、もう子供は、それを必要とする幼年期を過ぎている。

おばさんは、わざと骨のある身を箸ですくって、少年の舌に乗せてやる。
そして、自分で骨の有無や在り処を探り、選り分け、出すという手順を教えてやる。

そして、ほらね、ちゃんと自分ひとりでも食べられたでしょ、と笑顔で褒めてやる。

私は、この辰子さんのファンだ。

元夫の弟は、豪邸1億円が7千万円になったとき、安くなった!と現金で買った人。
ものすごく裕福な家の令嬢と結婚したので。
その家で生まれ育った元甥は、ものごころついたときから、当たり前にモノとカネがあふれる暮らしだ。

私は、かつて、正月になると、こやつらが遊びにくるときの婚家の手伝いに駆り出された。

こやつらは、鮭といえば紅鮭しか召し上がらない。
コンビニのスナック菓子とか縁日の露店の食べ物などは、親と祖父母にきつく禁じられており(元夫もそうだった)、お菓子は、デパ地下に出店しているような有名店のものしか口に合わない。

そうして、小学校も高学年になった子や孫のために、母親や祖母は、紅鮭の小骨をちまちまと取ってやるのであった。

という話を、以前、別サイトで書いて憤慨した。

すると、そういうふうに甘やかされて育った子供は、大きくなっていつか挫折しますよ、そのとき、自分の力だけでは立ち上がれませんよ、とコメントをいただいた。

そうかなぁ・・・。

そこには、無難なリコメをしたけれども、私は、内心、そうとも言えんのじゃないかと思った。

そういう子供は、子供のうちは、行く手にある石を親が取り除いてくれる。
成長して、親が取り除かなくなっても、誰かが代わりに取り除いてくれたり、石そのものがない幸運に恵まれることが多いような気がする。

親の代わりに取り除いてくれるのは、たとえばそうすることでその子や親との利害関係が好転すると思える人。
その人は、当人たちにではなくて、その資産や権力に傅いてそうしているのに、当人たちは「それも人望のひとつよ」なんてしらっと言ってのけ、本気で信じていることもある。

子供の頃から鮭といえば紅鮭、お取り寄せのご馳走しか食べて来なかった子は、家の中だけでなく、外でも似たような環境を選ぶことができ、次々とそういう環境を繋いでいけるんじゃないか。
同じような裕福な子たちばかりの私立校に進学し、似たような生活レベルで培われたカネモチの常識の世界を、ずっと保つことができるのかも。
卒業したらいきなりボランティアの炊き出しの列に並ばなければ生きていけない、なんてことにはならない気がする。

彼らは、自分に傅くことで得をする人たちに、ずっと小骨を取ってもらうか、あるいは食べやすいところだけを食い散らかしても、骨の周りに残った身をもったいないと思わないで生きていける。

だから、あの元甥たちも、特にそういう面での苦労はないまま、いまそこそこのおじさんになったと私は思っている。
何より、親や祖父母たちが、きっちりと安心と安定のレールを敷いていってくれただろうから。

魚の骨を取ってやることより、自分で取れるように教えてあげることが愛情で親切なのだと思っていたけれど、一生、自分で取る必要のない人生もあるのだということに、年をかさねるにつれて気づいていく。

政府はやたら「投資」を推奨するが、そもそも元手がなければできないのよ。
元手があったとしても、私はコップからこぼれた桝の酒しか飲まないけどね。

人生に一発逆転は、そうそうない。(特に経済面で)
カネモチに生まれたら、カネモチのまま生きて、カネモチとして死ぬ。
世の中はますますそうなっていくように思える。

人生も世の中も、理不尽で辻褄の合わないアンバランスなもの。
アクシデントが降りかかる人には、これでもかとやってくるのに、来ない人には、当人が飽きるほどの平穏と平凡な人生だけがあって、淡々と平坦な道を歩けるように見えることも多い。

お天道さまは見ている、なんて言うけれども、どこか明後日の方角を見ているんじゃないかと私には思える。
止まない雨はないという励ましもあり、確かにそうだが、止んでもすぐまた降る雨もある。
明けない夜はないが、昼の長い人と夜ばかりやたらに長く感じる人生とがあるんじゃないか。
それは、気の持ちようなんかじゃなくて、現実にある生活環境として。

だから、恵まれた子供時代を過ごしたから、後で苦労することになるよ、とは私は思わない。

努力は報われない。
私はそう思っている。

そして。
報われるからするのではなくて、報われないとわかっていても、力を尽くさずにはいられない人を尊敬する。

サーモンの自動骨取り機が開発されたというニューストピを見た。
幼児や高齢者、それと彼らを世話する人にとってはありがたい。
まだ導入されていないから、いまは一本一本、人が手でつまんで取っているのよなぁ。

そのうち、魚といったら、骨が取り除かれているのが当たり前と思う子供が増えるかもしれない。
そうなれば、こんな私の思い出話も、なんのこっちゃという例になる。
だから、いまのうちに書いておく。


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風待ち
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