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精神年齢と政治の話

子供らしくない子供だった。
可愛げのない子。
幼児期は保育園も幼稚園も行けず、子供どころか大人も少ない野中の一軒家(借りた納屋)育ちなので、他人と接触する経験が極端に少なかった。
ものごころついたときには、年の離れた兄はすでに大人の部類で、家族も大人だけ。

加えて、母は私をあまり子供扱いしなかった。
人格を尊重などという大仰な考えはなく、家族の一員としてなすべき役割を担った一人の人間として私に接した。
小遣いやお年玉や誕生日のプレゼントというものはなく、必要なお金は、大人と同じように熟練度に応じて内職の賃金をもらった。
金は働いて得るものである。
「子供」としての立ち位置が少なかったから、私自身、自分が子供であるという意識がなかった。

大人には物おじせずに意見を言った。
しかも理屈っぽい。
屁理屈もこねる。
これは相手にすれば「可愛げがない」ということになる。
性的にではなく「早熟た子」だった。

逆に、子供(同年代か年下かあるいは年齢差が少ない年上)に対しては、どう接していいかわからなかった。
傷つけそうで、怒らせそうで、怖くてものが言えない。
大人にはきちんと挨拶できるのに、子供が出てくると母の陰に隠れる。

中学を卒業して初めて一人旅に出た。
その頃は、その年齢で一人で旅する女の子はあまりいなくて、出会う人すべてが私より年上で、つまり大人である。
これは、私にはひどく居心地が良かった。

高校時代、学校の思い出はほぼないが、これは、同年代の子たちと接するのが相変わらず苦手だったからだ。
みんなが興味を持つものに、私は持てない。
何を話していいかわからない。
でも、いじめられないように、仲間外れにならないように、無理やり興味のあるふりをして話を合わせた。
ストレスでしかない。
だから、学校をズル休みして、旅ばかりしていた。

高校時代までは、実年齢よりも年上に見られた。
旅先でも、大抵は「女子大生」だと思われていた。
そして、社会人の人、自分より年上の人と話すのが好きだった。

追いついたのは大学に入ってからで、年相応に見られることがとても嬉しかった。
新卒で決まった採用先をキャンセルしたので、大学を卒業してしばらくは、当時でいうプータローだった。
フリーターなどという言いようはまだない。
そのせいか、女子大生と見られる期間が割りと長く続いた。

結婚して、就職してからも、結婚しているように見えないと言われた。
どういう意味なのか。
しっかりしてないということか。
考えが幼いということか。
ちょっと悩んだけれど、年をとるにつれて、若く見られることは単純に喜ばしい感覚になっていった。
以来、内面というか精神年齢については、意識としてはほったらかしである。

その後、「事務職人」としてマイ電卓とマイボールペンとマイ座布団を抱えてあちこちの会社で仕事をしたが、いつのまにか、私は年上の人より年下の人と話すほうが居心地が良くなっている。
いつからか定かでないが、面接のときに「社員は若い人ばかりですが気にしませんか?」と問われるようになったが、気にしない。
相手は気にしているだろう。
もっと若い人がいいと思っているに違いない。

いまはもう、ほとんどの場合、周りはみんな年下になったが、ここに至るまではむしろ年かさの人ばかりの職場だと、ひそかに「うへっ」と思っていた。
自分と大差ない年齢の男性上司に「昭和的な考え方についていけない」みたいな違和感があった。
自分もガチガチの昭和人なのによく言うよ。
かといって、考え方がいまの時代に合っているというわけでもないくせに。

もしかしたら私の精神年齢は、見た目と合致したようなあたりから成長してないのではないか。
経験によって多少は変化したかもしれないが、実年齢ほどには追いついてないのではないか。
だから、昔は年下が苦手だったのに、いまは年上が苦手になっている。

ああ、そうか。
だから、鏡の中の白髪頭の自分に耐えられないんだな。
意識と実像が合ってないんだな。
そこを合わせるためにグレイヘアを望んだんだなと気づいた。

今日は、テレビで立憲民主党の代表選の中継を見た。
決選投票に残った二人の60代男性候補者の演説を聞いて、どちらも非常に「昭和的」だと思った。

そもそも私は名言とか格言とか偉人の業績とか引用するのが嫌いなのだ。
自分が年を重ねてから、その嫌悪感は増した。
さまざまな経験を経たあとでは、抽象的な言葉に「ふん!現実の苦労も知らずに何をもっともらしいこと言ってんだ」と憤慨してしまう。

枝野さんはやたら声を張り上げて原稿を読んでいた。
どの言葉も語感が強い。
しかし、そのどれもが強すぎて、高校野球の選手宣誓を聞いている気分だった。
最近は、見ていないから、すこし前の時代のやつ。

野田さんは原稿なしだったが、言葉の選び方がおかしい。
「弱い人」のくだりもそうだが、「親ガチャ(悪い意味)という言葉を死語にしよう」と言った直後に「国ガチャ(良い意味)に当たった」と発言するのは違和感しかない。
真意はわかるが、それを言うなら「総理ガチャ」か「政権ガチャ」だろう。
国単位で良し悪しを言うのは、他国に失礼だと思う。

私は現政権を支持していない。
しかし、この代表では政権交代はできないと感じた。
本気と覚悟をアピールしていたが、意気込みだけでは国民はついてこない。
政権交代を望む人が何を求めているのか、この人たちはわかっていない。
あるいは、支持政党を持たない人たちが(私もそれに近いが)何になら惹きつけられるのかを。

もし、立憲民主党が次の総選挙で大敗したなら、今日選出された代表は、責任を取って早期辞任に追い込まれるかもしれない。
そうか。
まだあきらめるのは早い。
要は次の次なのだ。
今回、負けるとわかっていて1期生の女性候補が出てきたのは、それを踏まえてだと感じた。

私のグレイヘアより先に実現するだろうか。
元気なうちに、もうすこしまともな政権を見たいものだ。


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風待ち
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