地図をどこから描きますか
本日は、給水ポンプ取替工事のため全戸断水。
出かける予定だったが、体調いまいちなので先送りした。
「今日でなければならない」という事象がほぼなくなったのはありがたい。
先月は、この地で初めて図書館から本を借りたが、返却期限が迫ってくるとどんどんプレッシャーになった。
1日前に返したが、やはり私には向いていないとわかったので、借りずに帰ってきた。
学術的資料は、電子書籍として家にいながら貸し借りができる。
期限が来たら閲覧できなくなるだけだ。
一般書籍もそうなってほしい。
昔の私からは考えられないほど「紙の本」にこだわらなくなった。
人って変わるのよな。
トイレ用の水を浴槽に張り、念のため煮炊き用の水は鍋とやかんに満たした。
飲料用としての水は必要がない。
こういう日には、工事の人がマンション内をうろうろする。
戸別に室内に入ることはないという通達が出ているが、これに乗じて不審人物の強盗の下見や強盗そのものだってありえる。
断水ということで元気な人は出掛ける可能性が高いので、空き巣をたくらむ人だっているかもしれない。
いま、スマホに非通知の着信があった。
拒否してあるけれど、着信の有無だけはわかる。
不届き者が在宅を確かめているのかもしれない。
私は、窓ガラスの衝撃センサーが鳴ったら即時に110番しようと構えている。
下見人から運び人、未成年に至るまで、強盗や殺人に加担した人は市中引き回しのうえ獄門磔にしてほしいと思っている。(なに時代?)
働かないで、他者を傷つけて、お金を得ようとする人はみんな滅びてしまえばいい。
一戸建てに住んでいたら、窓や出入り口が多すぎて、たぶん気がおかしくなってしまうなぁ、私。
実際に当マンションで押し入られたお宅があるので、神経過敏になっているのかもしれない。
昔は、学校や会社に、自宅から最寄駅までの地図を描かせて提出させていた。
いまは個人情報保護の観点からなくなっている。
学校で、1度だけ画用紙に地図を描く授業があった。
社会だったのか、図工(美術?)だったのかは定かでない。
私は地図が得意だった。
不器用なので図工は不得意。
アイディアは出せるが自分では作れない。
どこから地図を描くか。
私の周囲の子らは、端っこに駅を描いていた。
そこから道路を延ばしていって自宅にたどり着く。
中に、縮尺を大きく取りすぎて、紙が足りなくなっている子がいた。
先生から紙をもらって糊で貼っていた。
私は、真ん中から描く。
自宅と駅のちょうど中ほどにある何かを先に置いて、そこを基準とした方角に駅と自宅を描く。
あとは3点を繋いでいくだけである。
先にいつも通る大きな道を描き、そのあと路地や抜け道を足していく。
民家・商店・会社か工場の屋根を色分けして塗っていく。
蕎麦屋には蕎麦のイラストの吹き出しを入れたかったけれど、時間と絵の力が不足していたからあきらめた。
でも、そうやって書いていくと、どこかでいきなり中止命令が出ても、とりあえず駅と自宅は繋がった地図ができている。
端から丁寧に描いていって、自宅まで着かない子が思ったよりたくさんいたのでびっくりした。
でも変わっているのは私のほうだと言われた。
長じての仕事でもそうだが、私はパーツの作業を命じられるのが苦手だ。
常に全容を知りたい。
全容を見て、どこを押さえ、どこから攻めていくかを自分で切り盛りしたい。
仕事を教えるときは、まず全容と最終結果を提示してから手順を説明してほしい。
私もそうしている。
しかし中には、「全部いっぺんに言わないでください。これが終わったら次の作業を説明してください」と言われることがある。
私は、次に何をするかわからないままで今の作業をするのがすごく気持ち悪い。
熱が入らない。
非効率や2度手間になるのではないかという不安がつきまとう。
ああ、この人は紙の端っこに駅や自宅を置いて延ばしていくんだろうなぁと思う。
何が正しいかではなくて、何が向いているかの問題なのだろう。
50を過ぎてから、資格を6つ取った。
仕事のためのものと己の楽しみのもの。
もともと試験が好きというのもあるけれど、その年になって試験会場であるどこかの大学に行くのが楽しかった。
でも、そのとき、駅から会場までの道々にプラカードを持って立つバイトの案内人の配置をつい考えてしまう。
こことここは近すぎるとか、近すぎるけど曲がり角のここにはいたほうがいいとか。
受験料、受験者数、バイトの数、報酬、会場費などもろもろの「原価計算」や効率性を考えずにいられない。
そんなことをしてなんになるのか。
なんにもならない。
でも、全容を知りたくなってしまう。
全容をとらえて、私が適切だと思う配置、配分をやり直したくなる。
めんどくさい性格だということは自覚しているので、なるべく口には出さないよう努めてはいる。
冒頭の写真はザルツブルグ・レジデンス蔵のグエルチーノ「疑い深いトマス」の絵葉書を撮ったものの一部。
私も疑い深い。
常に「これでいいのか」「これが本当なのか」と思わずにいられない。
読んでいただきありがとうございますm(__)m