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通りすがりのあなたに

「オマエさぁ、親のこと、なんて呼んでる?」

暖房の効いた電車内で眠りこけている隣の男の、その隣から声が聞こえてきた。
さらにその隣の男がこれに応える。

「えぇ? 普通に、おとうさんとかおかあさん、だけど。」

声に戸惑いの響き。
なんでこいつ、いきなりこんなこと訊くんだ?

「それって、子供の頃からずっと?」
「うん、そうだよ、ずっと。」

大学生くらいだろうか。
尋ねたほうの青年に、わずかに東京のものとは違うようなイントネーションがある。

「オレさぁ、子供の頃は『パパ』と『ママ』だったんだよね。」

爆睡している隣の男が邪魔で、彼の表情まで見えない。
文庫本に目を落としたままで、彼のすこし照れたようなはにかむようなイメージが勝手に浮かんだ。

「でさぁ、すげー、嫌だったんだ。だけど、昨日まで『ママ』って言ってて、今日急に『かあさん』とかに換えれないよなぁ。」
「まあ、呼ばれたほうもびっくりするかもね。でも、うちの子も大人になったって思うんじゃね?」
友人は、ちょっとからかうように笑ったが、嫌な感じではなかった。

「オレ、決めてたんだよね。そうそう、オマエの言ったとおり、大人になったら『ママ』はやめようって。
なんか、カッコ悪いじゃん。つか、恥ずかしいよね。」

「うーん、オレは使ったことないから、全然わかんねー。」
「結婚したら、自分の子供に『パパ』って呼ばせる? オレ、今想像するだけで、それも恥ずかしい。」
「そんなこと、今から考えてんの? おかしくね?」
「おかしいかぁ~」

揃った笑い声がふたつ、球になってするりと私の心に転がり込んだ。
球はすぐさま溶けて、保湿液のようになじんで沁みていく。
手元の小説は、とうにうわのそらだ。

「きのう家に電話した。」
「珍しいじゃん。オレなんか、なんとなく面倒でさぁ、用もないし。」

「で、言ってみたんだ、オフクロ、って。オヤジも変わりないかって。案外するっと言えてびっくりした。」

「あ!」

「もしかしてオマエ、昨日、誕生日だったっけ?」
「そう、だから昨日からって、決めてたんだ。」
「しかし、なんつーか、あれだよな~」
「うん、あれだ。」

ふたつの球が弾ける。

「降りようぜ、なんか奢るよ。」
「お~、奢れ、奢れ~」

誰だか知らない通りすがりのあなたに、もう2度と会うこともないかもしれないあなたに、ハタチになったお祝いを言おう。

おめでとう。
それから。
何にかわからないけれど、ありがとう。


これは前にどこかに書いた話の再掲載。
今日、成人の日。


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風待ち
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