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巣穴

「つづら」というもの、「柳行李」などと言われるものと同じものか、いまだにわからない。
子供の頃は、我が故郷の方言かと思っていたが、「舌切り雀」ではお土産に大きなつづらと小さなつづらを選択する描写があり、やはり「つづら」と言われていたと記憶している。
ならば、共通語なのか。
「つづら」と打つと「葛篭」と変換されることでもあるし。

昔、実家の押入れに、その時点で50年以上は経ったと思われる母のつづらが入っていた。
母が嫁入りするときに持ってきたものだという。
フタがゆがみ、ところどころ破れているものもあった。
フタの破れを作ったのは私である。

幼い頃、母は昼間はどこかの工場で働き、夜帰宅してからは頼まれた仕立物をしていた。
同居の祖母は、自分たちで食べるだけの野菜を小屋(住まいである)の前の地面で作るかたわら、やはり仕立物をしていた。

子供が針なんかをイタズラしたら危ない。
それで私はつづらのフタに入れられた。
いや、自発的に入ったのかもしれないが。
ベビーサークルなどあるはずもなかったが、よちよち歩きの私はたぶんあのフタから出られなかったであろう。
そして、出られるようになっても、フタは私の基地であった。

私はそこへ、ネコのように集めてきた獲物(宝物)を入れて、かつ自分も入った。
たぶん、仕立物のついでに出たキレイな色の端切れだったり、大人から見ればどうにもゴミにしか見えないようなものだろうが、私はそれらとともにフタの中にいると、なんだかすごく安心できた。
フタは、たとえば家族の庇護の象徴であり、また母親の胎内を思わせるものであったかもしれない。

私は内弁慶だった。
しかし、フタの中では王様である。
唯一のおもちゃである祖母手製の「和服」の着せ替え人形も(中身はワタ、目鼻はマジック書き)も私に逆らえない。
逆らえば、八つ裂きにされるかもしれないのだ。
私は絶対的な専制君主として「フタの国」を治めた。

そしてフタの外は怖かった。

しかし、フタの外が考えているよりもっと怖いと知ったのは、中フタである家の外にある大フタ、つまり故郷の町(村)など比べ物のないほどの「大きな外」・・・東京に引越したからだ。

フタの外の外の外・・・。
からかわれながらも訪れて見た都会の家の押入れには、半透明のプラスチックの衣装箱が整然と並べ積まれていた。
これが外だ。
都会というものだ。

私が大学生になり、実家の経済も安定をして、ようやくボロアパートから持ち家に引っ越すことになったとき、母はあのつづらを処分すると言った。
父も兄も賛成した。
半透明のプラスチックケースを並べて、ラベルに家族の名を書いて貼る母の嬉しそうな様子が浮かんだ。
古いつづらは、父に嫁いで以降、いい想い出など数えるほどしかなかった過去と一緒に古い住まいに置いて行きたい・・・と、母はそんなふうに思ったのかもしれない。

私が嫌がった。
もとより論理的な理由などあるはずもない。
嫌だから嫌なのだ。
この要請は意外にあっさりと受け入れられた。
母が老健に入るまで、破産して再び舞い戻ったボロアパートの押し入れに、それはあった。

日本のあちこちを旅して気づいた。
「猫つぐら」というものがある。
たいていは丸い。
つづらのように木の蔓を編んであり、中に布切れを敷いて飼い猫が入るようになっている。
つまり飼い猫にとっての巣穴である。
ここに入れておけば、いたずらすることもなく安心だから、という地元の人の解説を聞いて、なるほどと思う。

人にも「巣穴」が必要なのだ。

今日は近郊に紅葉を見に行こうと思っていたが、急に寒くなったとはいえ、やはり例年より遅いらしい。
まだ色づき始めだというので延期した。

今週末はあちこちの色づきが一気に進むという。
うちにも「色」がほしい。
暖かくてきれいな色。
それで、冒頭の写真にあるポインセチアを買った。(命のあるものはできるだけ避けたいのだけれど、我慢できず)

掃除のついでに、ソファーカバーを取り換え、さらについでにコタツを設えた。
コードはまだつないでいないが、膝の上に布団(薄いけど)がかかっている状態が冬独特の安心感をもたらす。


コタツ前

帰宅するのが嫌で嫌で、リビングの灯りがついていると、足がすくんでしまうような30年だった。
でも、いま、ここは私の「巣穴」となった。
おかずが一品だけでも誰にも文句は言われないし、食事を抜いても誰も不自由しない。
そうやって切り詰めたお金で、巣穴の居心地を買う。


コタツ後

感染症は寒くなるとまた増えてくるかもしれない。
交通事故に遭ってからは、街歩きも慎重にしているつもり。
物価は高いままだし、政治はあいかわらずひどい。
フタの外は、大人になっても怖い。

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風待ち
読んでいただきありがとうございますm(__)m