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ねこまんま考 ※追記あり

幼い頃、うちには猫がいた。
飼っていた、のではなく、いた。
居ついていた、というのがふさわしい。

ルームメイト~猫語が話せない~

飼い猫でないから、原則として自給自足。
たぶん、本来のネコらしくネズミなどを捕獲していたと思う。

でも、ときどきわざとご飯を残して彼に与えていた。
そこに残り物の味噌汁をぶっかける。
これが我が家の「ねこまんま」。

関東暮らしがずいぶんと長くなった。
大人になったというより、年寄りに近づいてきた。
この段になって、初めて気づく。

私が呼んでいる「ねこまんま」と、世間のそれは違うものではないのか。

とある本で、「ねこまんま」は「削り節をかけたご飯」で、「味噌汁をかけたご飯」は、「わんこめし」ではないのかと書かれてあった。
私の概念とは違うけれど、世間がそう思っているだろうとうすうす感じていたので、「やっぱり!」と得心した。

私は「削り節」に縁がない。
我が育った過程(家庭)では「鰹節」は高級なものだった。
1本丸々の鰹節を鉋みたいな削り機にかける、それほどの手間と時間を「だし」にかけるには、母は忙しすぎたし、うちにはお金がなさすぎた。
安価なものもあるのかもしれないが、当時の母は手を出さなかった。
母もやはり、私と同じように「高そうだから敬遠する」ということで知らなったふりをしていたのかもしれない。

嫁いでから、冠婚葬祭のお返しにもらうギフトには、よく削り節の小袋がセットされていたので、私も店で買ったことはない。
削り機も持っていない。
姑がそれを知っていたら、爆弾を落とすか卒倒しただろう。

「だし」は、以前は昆布で取るか市販の顆粒だったが、ここ何十年かはもっぱら「白だし」の液体を使っている。
「削り節」と関わる機会が少ないまま、ここまで来てしまった。

世間が言う「ねこまんま」は、削り節をご飯にかけたものということだが、削り節に醤油を垂らしたものが「おかか」だと私は解釈している。
海苔弁と称して売っているものの海苔の下に敷かれてあるやつ。

私が作る海苔弁は、醤油に浸した海苔とご飯を2段か3段に重ねるだけで、間に削り節を入れない。
コンビニのように上に海苔が乗っただけのものは、私は海苔弁とは認めておらず、必ずご飯とご飯の間にも海苔が挟まっていなければならないと思っている。
そして、おかずは、ご飯の上に乗せるのではなく、弁当箱の仕切りの向こうに入れる。
丼ものは好きなのに、お弁当のご飯の上に直接白身魚のフライや竹輪の磯部揚げが乗っているのは好まない。

お好み焼きやたこ焼きには削り節をかけるが(なくてもよい)、ご飯に削り節という原体験?がないので、市販の海苔弁には、いまも若干の違和感を持っている。
「おかか」のおにぎりも食べたことがない。
なので、自身の食体験に基づくと、ネコのエサに削り節というイメージがまったく湧かないのだ。

しかし。
それなら、味噌汁をぶっかけたご飯のすべてを「猫まんま」と呼ぶかというと、そういうわけではない。

かつて、母が「だし」を取るのに使ったものの多くは「煮干し」である。
煮る前の乾燥煮干しは、昔も今も私にとって最強のおやつなのだが、一旦湯を浴びてしまったら、これの好感度はグッと下がる。
だから、味噌汁を各自の椀に注ぎ分けると、鍋の底には必ず煮込まれて軟らかくなった煮干しが残る。

これを残った冷ご飯にかけるのが「ねこまんま」である。
昆布で取っただしではなく、ほんだしや白だしやだし入り味噌で調味したものでもなく、安い煮干しで取り、具や汁は人間がいただいたあと、そのふにゃついた煮干しのだしがらと、味噌の麹の名残りのようなかすっぽい「おろおろ」を含んだ鍋の最後の汁を掛けて、猫に与え、何一つ残さず食べ尽くしてもらう。

だから、私にとっては、ほんだしで作った味噌汁を人間が残りご飯に掛けるのは、ねこまんまではなく、味噌汁かけご飯、または汁ぶっかけご飯に過ぎない。
牛丼の「つゆだく」と同じ類のものである。

なので、お上品な方々が「ねこまんまはお行儀が悪いからやめなさい」と仰る現代の味噌汁かけご飯は、煮干しのだしもだしがらもないということから、「ねこまんま」と呼称するのはやめてもらいたいと思っている。

本来の(と、私は思っている)ねこまんまは、そのような蔑称の響きを持つものでなく、貧しいなかで人と猫とが、イワシという命を最後まで分け合って共に暮らしてきた証のメニューなのである。

※追記
味噌汁かけご飯をねこまんまと呼ぶのは、全国で25%らしい。
75%の地域では、ねこまんまといったら「かつぶしをかけたご飯」。
25%の味噌汁地域の上位は、富山、石川、青森、岩手とか。
なるほど。
(私は石川生まれ、母は富山の産である。)


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風待ち
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