どこか醒めている
熱中はするが、熱狂はたぶんしたことがない。
小・中・高時代、周囲で人気のアイドル、ミュージシャン、学校での人気者など、私にはどれもさほど興味を持てなかった。
好きなふりをして一緒に盛り上がってみせたのは、ただの演技。
いじめられたり、無視されたりしないための。
みんなで同じ行動をしたり、何かに無条件に賛成するのが苦手。
議論なしの全会一致とか不健全だと思う。
音楽は好きだけれど、コンサートは数えるほどしか行っていない。
周囲が盛り上がって、みんな椅子から立ち上がったりするときも、私は座ってきちんと聴きたい。
何もしなくても自然にリズムを取ったり、口元が動くのがいい。
でも、みんなが立っている中でひとり座っているのは居心地が悪い。
別に、誰も私のことなんか見てないけれども、想像だけでストレスになる。
以前はとあるホールの会員になっていたので、クラシックのコンサートは、月イチくらいで行っていた。
別段、有名な演奏者とか指揮者というわけではない。
ただ、ポップスのそれに比べるとストレスがない。
友達に誘われて困る5大イベント?エンタメ?は、
●ポップスのライブコンサート
●飲み会の二次会のカラオケ
●ディスコとかクラブ?的な場所
●パーティー
●旅
である。
しかし、ときに断り切れないこともある。
ひたすら我慢と演技に徹して、時が過ぎるのを待つ。
だから、誘ってくれたかたがたは、ほぼ気づいていないだろうと思う。
そこは元演劇部。
でも私はいつだってどこか醒めているのだ。
恋人時代も、そう多くはない家族団らんのひとときも、自分が楽しむというより、愛する人々が楽しんでいる雰囲気を壊さないようにというのが最優先。
私の無粋な言動でもって、せっかくのひとときを台無しにしたくない。
たぶん「忘我の境地」みたいなのを知らずに死ぬのだと思う。
そのぶん、さまざまな状況に注意を払い、リスクを予測し、あらゆる展開に備える心構えができる(ように心がけている。)
そうしなければどんな危険が降りかかるかわかったものではないという幼少期を過ごしたからだと思う。
15歳から始めた一人バックパッキングも追い打ちをかけただろう。
楽しいことばかりに集中して、周囲への注意力が損なわれたら、どんな危ない目に遭うかわからない。
そういう人生を送ったことを、そんなに惜しいとも感じていない。
「推し」とか言葉は使うけれど、リアルな感情としてはわかっていない。
誰もが称賛したり、同意するものに、そうかな?と言いたい気持ちが常にある。
だから私の記事には、ケチをつけたり悪口が多い。
申し訳ない。
写真は、ブリューゲルの「ベントハイムの冬景色」(ブリュッセル王立美術館)の絵葉書。
対象に心血を注ぎこむ超細密画も好きだが、こういう俯瞰図も好き。