合わせ鏡
「人」を眺めるのが好きだ。
耳にこぼれた言葉の欠片や、瞳の揺れ、癖かどうかも曖昧な仕草から、その人の心や人生を想像する。
肩を並べた二人の距離感や関係性に思いを馳せる。
妄想は妄想のまま、確かめようもない。
合わせ鏡のように己の心に映すと、見ず知らずの誰かと自分の世界がすこし溶け合うような気がする。
あえて聞き耳を立てるわけではないが、他人の話が耳に入ってきやすい性質?だと思う。
職場で自分も電話で話しているのに、別の誰かの電話の言葉が聞こえてきて、それがその人では解決できないとき、自分の通話を中断して対応策を伝えたことがたびたびある。
カフェや居酒屋で話しているとき、突然私が固まると、私のこの性質?を知っている友人は状況を察知して、コソコソ声になったり紙のコースターの裏で筆談を始めたりする。
「この人たち、今日、初めて会ったのかな?」
「マッチングアプリとかで?」
「SNSのフォロワー?」
「もしかして交際希望?」
「一夜限り?」
みたいな。
けして聞き耳を立てているわけではありません。
いや、ちょっとは立ててる、かも。
楽しい語らいだけでなく、別れ話、復縁の求め、借金の申し込み、返済猶予の依頼、仕事の面談、交渉、苦情、愚痴といろいろである。
さまざまな事情を抱えて、みんな懸命に生きている。
なにごとも平和裏に進んでほしいと願う。
一人が好きな私だけれど、やっぱり「人」も好きなのだ。
仕事や趣味においての集中力はあるほうだと思う。
でも、もしかして注意力が散漫なのかなぁ。
自分の会話に集中していないわけでは、けしてない、と自分では思っている。
聞いたところでどうにもならないのに、展開が気になる。
どうにもならないからこそ、無責任に想像することができるのかもしれない。
私だけの脳内物語の登場人物のかたがた、申し訳ない。
フランス滞在時代、ヨーロッパバックパッキング時代は、可能な限り路上に張り出したオープンエアの席でお茶やお酒を飲んだ。
真冬でも、コートを着たまま、カフェオレボウルを冷えた両手で抱えた。
そうして、行き交う人や、信号待ちをする人たちを眺めた。
いまも、駅や街角での人の様子が気になる。
noteに、電車の中や病院の待合室など、自分と関係ない情景や会話を記すのはきっとそのせい。
私の想像を加える前の事象。
見聞きしたものを、どこかに残しておきたい。
それを元に物語を書こうという思いはない。
寿司以外で、自分のも他人のも「ネタ」という言葉は好きじゃない。
今日は、月イチの失業認定日。
申請書を提出する人と認定を受ける人とで、ハロワはごった返していた。
さすが12月。
こんなに。
こんなにたくさんの人が失業しているんだなぁ。
待ち時間の間、ほとんどの人はスマホに目を落としているが、私はその「ふり」だけしてさりげなく一人一人を見る。
お金がないってことはつらい。
失業状態だけど、実はお金には困っていないという人も中にはいるかもしれないが、私の想像はどうしてもマイナス方向に行きがち。
そして、心の中でエールを送る。
合わせ鏡に映る、老いた自分の後ろ姿に送っているのかもしれないけれども。