虎が煙草を吸っていた頃の「カチカチ山」
虎が煙草を吸っていた頃・・・。
というのは、韓国の昔話の始まりの文句。
日本で言えば、むかしむかしあるところに・・・といったところだろうか。
煙草は苦手だけれど、煙草を吸う虎を想像するのは悪くない。
こわもての虎の大旦那が、長火鉢の前にあぐらをかいて、煙管からゆらりと煙を立ち上らせているところを想像する。
小春日和の午後の陽射しが差し込む部屋で、羽織の袖からにゅうと突き出た虎の大旦那のシマシマの腕に、さらなるシマシマがかぶっている。
ついウトウトして手を触れた拍子に、長火鉢の端に置かれた湯呑みをひっくり返してしまい、慌てふためくさまを思い描けば、阪神ファンでなくとも、いっそう虎を好きになるに違いない。
さて、秋の夜長、ちっと昔話でも語ってみるとするか。
やけどした手の甲をこっそりなでながら、虎の大旦那は、トントンと煙管を叩く。
虎が煙草を吸っていた頃。
「カチカチ山」という昔話がある。
作物を荒らすなど度重なる悪さに業を煮やしたおじいさんは、罠を仕掛けて狸を捕まえる。
狸は改心したふりをして、罠から逃がしてくれたおばあさんを殺してしまう。
そして狸はおばあさんに化けて、帰宅したおじいさんに「今日は狸汁だよ」と偽っておばあさんを煮込んだ汁を食べさせ、笑って逃げ去るのだ。
ひどい話だ。
この話を聞いたうさぎどんは、憤りを禁じ得ない。
「アタシが仇をとってやる!」ということで、おじいさんの意を汲んだ兎の、狸への復讐劇が幕を切って落とされる。
儲け話だと誘われて、のこのこ柴刈りにやってきた狸、ワルのくせに簡単に騙されるのは、刑事が自分が尾行されていることには気づかない、ようなものか。
この狸は、自分は常に「騙す」立場であって、「騙されるほう」になろうとは思ってもいなかったのだな。
そして、背負った柴に火をつけられるのだが、つまりそれは、狸も「やる気になれば労働を厭わない」わけだ。
兎は、いつも狸がやっている騙しのテクニックを用いれば、ほんの一握りの柴が莫大な儲けになる、とでも言ったのだろうか。
心もとない金額の退職金を全部つぎ込めば、末代までの資産が築けますよと年寄りを騙す詐欺師に似ている、ような気もする。
いやいやいや、狸は被害者じゃない。
そもそもおばあさんを殺したんだから。
兎の復讐の手はまだまだ収まらない。
薬だと偽って、大火傷した狸に辛子味噌を渡す。
それを塗った狸は、ふたたび痛みにのたうち回る。
狸は、柴に火をつけたのが「仲良しのうさぎどん」だとは微塵も疑っていないのである。
だから「薬」だと言われれば信じて塗る。
そうして、ついには、一緒に乗れば恋が叶うというボート乗り場に誘われて(違)、ウキウキと出かけ、泥船に乗せられて沈没させられたばかりでなく、浮き上がって助けを求めた「大好きなうさぎどん」にオールでぶったたかれ、溺れて死ぬのである。
これは仇打ち。
おじいさんに婆汁を食べさせた狸への。
でも。
もしかしたら兎は、そもそも狸が嫌いだったのではないか。
憎んでおり、いなくなればいいと願っていたのかもしれない。
もちろん、そんなことは描かれていない。
しかし。
兎は、おじいさんのためではなく、おばあさんの仇打ちでもなく、ただその口実、大義名分を得て、「自分のために」狸を殺したのかもしれない。
だって、殺り口が容赦ない。
で。
この話、いまは、おばあさんは殺されていないことになっている。
怪我はしたが快復し、本当に反省と改心をした狸はふたりに謝罪する。
そして、老夫婦と狸は、みんなで仲良く炉端でお茶を飲んだりしちゃうらしいのだ。
過去の殺人も、その復讐殺人もなかったことにしたということか。
なるほど。
まあ、子供に聞かせるのには、残酷すぎるのかもしれない。
昔話なんてものは、どこかに当時の「お上」の勧善懲悪を善しとする意向や、仏教の「因果応報」の考えが含まれているのだろう。
だから、政治や宗教の風向きが変われば、都合のいいように変わっていく。
そういうものなんだろうと思う。
過去の歴史だって、そのときどきの政治にとって都合のいいものに変えられていく(いる)のだろうし(たぶん)。
不祥事で更迭された大臣や議員やお役人たちも、そのうち、そのできごと自体が「なかったこと」のようになって、しらっと戻ってきたりするし。
などと、国会中継を見ながら思った。
(しかし、ニュースで見たこの男、「不倫」ってツラかよ←失礼すぎる感想)
そして、最後の首相答弁が終わる前に、虎の大旦那のやけどにオロナインを塗ってやって、妄想を閉じた。