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ポプラの木~第2章 転校生
教室の窓の外に広がる運動場を囲んで肩を寄せ合うポプラ並木、ポプラの葉を渡る風に乗って昨日の風のささやきが聞こえてきた。
明くる日の月曜日は、夏を思わせる暑い日だった。
予鈴チャイムが鳴り、朝の会に担任の沢野紀子先生が、見知らぬいがぐり頭の、ずんぐりとした体格の男の子と、一緒に教室に入ってきた。
D組のみんながざわついた。
「おおっと出ました転校生」と少しふざけた口調でお調子者の内田繁和が言うと、「シーッ」と河合真知子がたてた人差し指を口元で十文字にしてみせ、繁和に注意を促した。
繁和が調子に乗って同じポーズをとると、「やめなさいよ」と真知子が今度は表情を変えて繁和を睨みつけた。
「おっけねー可愛くない真知子ちゃん」と繁和はますます増長した。
「こら、そこの二人静かに」と沢野先生が諭すように言った。
朝の挨拶を済ませると沢野先生は「皆さん、今日から一カ月の短い期間ですが、皆さんと勉強を一緒にしてくれるお友達を紹介します」と言って黒板に白チョークで「斎藤信哉」と書いてすぐ、沢野先生は
「斎藤君、みんなに挨拶をしてください」と斎藤君に挨拶を促した。
斎藤君は消え入るようなか細い声で、「斎藤信哉です。よろしくお願いします」とぺこりとお辞儀をした。
「皆さん知って人もいるかもしれませんが、夏中法要の時期に、今度サーカスがお旅所で開催されるそうですが実は斎藤君のお父さんがサーカスの団長さんで、今回長浜に滞在される事になり、短い間ですけど、斎藤君が長浜小学校で勉強する事になりました。
皆さん仲良くしてあげてくださいね」と沢野先生が言い終わると「知ってる、知ってる、お旅所に大きなテントが立ってたわ」とお旅所の筋向かいに住んでいる時計店の今村健太が言った。
「じやー斎藤君の席は河合さんの隣のあいた席にしますね、河合さん同じ班なのでお世話してあげてね」と沢野先生が真知子を指名した。
「はいわかりました」と真知子はうなずいた。さっそく信哉は真知子の席の隣に着席した。「斎藤君よろしくね、わからない事あったらなんでも聞いてね」と真知子がにっこりと信哉に微笑むと、信哉は伏し目がちに無言でうなずいた。
放課後信哉の周りにD組の仲間が集まった。「斎藤君、どこから来たんや」と真っ先に繁和が聞いた。急な問いかけに暫くだまって、「福岡」とぽつりつぶやいた。
「その前は」と矢継ぎばやに健太が言った。
「熊本」と信哉はめんどくさそうに答えた。
「九州ばっかりなんや」と真知子が言うと、「行き先はいっもわからんわ」と信哉も答えようがなかった。
「今度みんなで一度斎藤君とこ遊びに行こ、なあ行こ」と繁和がD組の皆に念を押すように言った。
信哉はうつむいて少しはにかんだ様子で「来るのはいいけど父さんに聞かんとわからんし一度いいか聞いてみる」と信哉は困惑して答えた。
「きっとやで約束な」と語気を強めた繁和は「指きりしとこ」というなり無理やり信哉の小指に自分の指をからませて「指きりゲンマン嘘ついたら針千本のます指切った」と行って「さいなら」と一目散に教室を飛び出していった。それにつられて他の組の生徒も「帰ろ帰ろ」と連れだって教室をあとにした。
困った表情のままのしかめ面の信哉を見かねた真知子がすかさず、
「斎藤君気にせんでええよ、繁和はいっもああなんや、みんなサーカスに行きたいだけなんやから、ほんと疲れるわ、斎藤君も今日は疲れたでしょ、
帰る方向いっしょやったら一緒に帰ろ」と誘ったが信哉は「今日は母さんが迎えに来てくれるから校門のとこで待ってる」とそう言って教室を出て行った。
真知子の家は学校の正面玄関を出た歩道から歩いてすぐの、学校の裏門前にある楽器店だった。家に帰るなり真知子は、店の奥の方でピアノの調律をしていた父親の修三に向かって「ただいま」と言うと、
「お父さん、お父さん、今日D組に転校生が入ってきた」と息もつかぬ間に大声を出してランドセルを店のカウンターに置いた。
修三が店の入り口から入って来た真知子に、顔を向け黒ぶちの眼鏡を鼻からずらして両目で覗き込むようにして「お帰り、どこから来た子」とたずねた。
「サーカスの団長さんとこの子や」と真知子は答えた。
「サーカス、いまサーカスって言ったんか」と修三が聞き直すと、
「そうやサーカス団や、長浜来る前は九州やったみたいやわ」と真知子は説明した。
「そういや日曜日に、飛行機から宣伝のチラシまいてたな」と修三は事情を理解した。
「お父さんつれてってな」真知子はそう言うと二階の部屋への階段を上がっていった。真知子の部屋からはちょうど学校の正門のあたりが路地裏越しに見える屋根裏部屋に出る為の梯子付き天窓があった。
なんとなく真知子が正門で別れた斎藤君の事が気になり梯子に登って天窓から覗いてみた。そこにはとっくに帰っただろうと思っていた信哉が校門付近に座り込んでいた。心配になった真知子はしばし様子を見守った。
やがて下校の予鈴チャイムが鳴った。信哉は仕方なくズボンのお尻をはたいて真知子の家と反対方向に一人うつむいて帰って行った。
「なんかさみしそうお母さん迎えに来なかったのかな」と真知子がぽつり独り言をつぶやいた。
「真知子また屋根裏に上がってるんか、落ちたら危ないさかい、はよ降りてきいや」と母親の幸恵が心配して階段下から呼びかけた。
「はい、いま降りるって」と言って真知子は階段を慣れた足取りで降りて行った。天窓のある屋根裏部屋は真知子にとっての一人だけの秘密の居場所だった。
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