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ポプラの木~第6章 伊吹山登山
斎藤信哉に志賀先生の登山メモが届いた。
斎藤信哉君へ
伊吹山登山は夏休みに入った最初の週の土日を予定していますが、丁度台風八号(アグネス)が七月十八日から北上し二十三日で熱帯低気圧になり、次の台風発生までは一週間が予測されていたので七月二十七日二十八日二日間での夜間登山を計画しました。
集合日時 七月二十七日(土)午後五時
集合場所 誠心寺
装備品 登山靴 雨衣 手袋 防寒具 帽子 ザック 懐中電灯
食料 飲料水(水筒)
交通費(バス代)移動手段 長浜駅前バス停から上野バス停
登山口入口まで徒歩で移動 パーティ 男性五名女性三名
登山予定 七月二十七日(土)十八時ごろ
下山予定 七月二十八日(日)十五時ごろ
山行ルート 三之宮神社登山口から山頂まで(途中三合目小屋休息、六 合目小屋休息、山頂小屋で朝まで仮眠休憩)
山頂を散策後前日逆ルートで下山 以上
集合場所の誠心寺に午後五時の集合時間一時間前から三々五々に寺の境内前に集合していた。隆も俊雄と連れだって境内前にザックを置いて腰を降ろすと見慣れた顔があった。
「あれ斎藤君や、どないしたん」と隆が言うと俊雄も「ほんまや、なんで」と言いかけたところで、真知子が慌てて説明した。
「みんなには黙っていて悪かったんだけど、実は斎藤君も今回の伊吹登山に参加する事になったん、先週学校が夏休みに入る前にと思って私が斎藤君にいっしょに登つてみんかと声を掛けたんや、前もってみんなに相談しとけばよかったんやけど、何せ斎藤君、来週には長浜から次の巡業先の町に移動する事情があって相談する時間がなかった訳、お寺のごえんさんと志賀先生には了解はもらっていたし、斎藤君の意思も確認できてたんで、それなら当日にみんなに事情を説明してみるという事になったって事なの」
「な、みんなええやろ、一人でも多いほうが楽しいし、男子も心強いやろ」と真知子は真剣に説得した。
「そら出発の当日に急に話し出されても、引くに引けへんし、だめやて誰も言えるような雰囲気にもなれへんから、事後承諾と言う事ですね」と志賀先生も冷静に判断した様子だった。
「ひとまず今回は斎藤君の父兄の了解を得ての事ですので、善処いたしましょう、これも仏様のおぼし召しがあっての事、南無阿弥陀仏」とごえんさんが念仏を唱えて合掌した。真知子も、「ごえんさんありがとうございます」と合掌した。斎藤信哉はパーティのみんなに「ありがとうございます、よろしくおねがいします」と感謝の気持ちを伝えた。暫くして参加者全員が集合したので、志賀先生から伊吹山に関して話があった。
作家深田久弥氏の「日本百名山」の初版本が来年出版予定で、伊吹山が本編の八十九番目に紹介されています。巻頭の言葉に「百の頂に百の喜びあり」とあり「百の頂があれば百の喜びあり」と言われています。
私の好きな言葉ですと志賀先生は説明された。
続けてスケジュールの確認があった。「今後の予定はメモに書いた通りですが、天候については今晩から明日の朝にかけて曇り時々晴れの予報で、明日の夕方には天候が少し崩れ降雨になりそうです。気温の注意ですが山の気温は、高度が百メーター上がるごとに零点六度低くなり伊吹山が標高千三百七十七メートルで凡そ気温差は地上と比べて八度程低くなります。
夜間十五度前後が予想され早めの防寒具の対応が必要です」
「次に今回の山登りに関して大事な留意事項があります。
知ってほしいのは一人だけで登るのではなく、パーティ全員で行動し登ると言う事です。当然体力差がある者同士のパーティですから先頭に体力のない人をペースメーカーとして配置して歩行しているという事を忘れないでください。登り方などについては現地で直接具体的に確認の上教えていこうと考えていますのでよろしくお願いします。バスの出発時刻も近づいて来ていますので、お寺のごえんさんにご挨拶をして出発したいと思います、
それではごえんさん行ってまいります」と志賀先生の出発の合図で全員がそれぞれ挨拶を交わして駅のバス乗り場に向かった。
ごえんさんは一言「道中ご無事で六根清浄」とパーティに合掌した。
長浜駅前停車場からバスの終着の上野口までは順調に時間通りの運行だった。伊吹山の登山口前の三之宮神社まで徒歩で移動し井戸水を水筒に給水して補給し、簡単な夕食を済ませてから志賀先生の山の登り方について話を聞いた。「最初はみんな初心者なんで経験してみない事にはわからない事が多いと思いますが、最優先は安全第一で自分の身を守る事が一番大事な事です。そのためには平地を歩くのではなく斜面の角度のある場所を歩いて登る事ですから、斜面に対してジグザグに歩行して段差のある所は歩幅を小さくして横歩きをするようにしてください。それから歩く際には踏み込んだ足の裏全体に体重を乗せておしりの力を利用して膝を上げて段差を登るようにしてください。あと、呼吸を整えてしんどくなったら深呼吸を心掛けてください。登り始めて二合目まではけっこう岩の段差と急な坂が続きますから、
ゆっくりなペースで三十分位準備運動のつもりで行きましょう。
三合目で休息を予定していますのでトイレはそこで済ませてください。
体調が悪くなったり気分がよくない人は早めに申し出てくださいね。
日没が午後七時の予定ですから後一時間はあります。明るいうちに一合目の樹林帯を抜けておきたいと思いますので、予定の六時に出発しますので準備をしてください。登る順番は女性が先頭で私の後についてきてください。
後は男子のグループで相談して決めてください。最後尾は体力のある人が良いでしょう」と説明があった後「では出発します、斎藤君大丈夫ですか」と志賀先生に促された信哉は「大丈夫です」と自分自身に言い聞かせた。
まだ明るい日没前だったが登山口から樹林帯に入ると山間の深い木々の茂みの影が足元を暗くした。すぐ段差のある傾斜の坂道が続いた。
パーティのみんなは一歩一歩足元に集中して足の裏全体に体重を掛けおしりの力を利用して膝を上げて登った。二合目あたりで日没になりあたりが暗くなったため、懐中電灯を使用する事になった。三合目には途中スキーゲレンデの急坂もあり、二時間三十分で到着した。ここまでパーティにケガ人もなく順調だったので二十分間の休憩になった。それまで景色を眺める余裕もなかったが、高原のお花畑に、黄色いゆうすげの、一夜花が群生していた。
西の方に見える長浜の市街地の夜景が、遠くにわずかな明かりを点滅させていた。空には雲の間に星が揺れるように輝いていた。三合目を出発して五合目までの途中、土曜学校の他に山頂を目指している人たちが追い抜いていった。ヘッドライトをつけての装備で三十分程過ぎたころには、山頂近くの登山道に明かりが見え隠れしていた。六合目の避難小屋までは、樹林帯を登り到着後は予定の休息をとった。気象の変化が起こったのは八合目付近で、
胸突き八丁のくねくねの斜面をひたすら進み高度を上げていく辺りから次第に霧が出てガスってきて、目前の視界を奪う状況になっていた。
当然に山頂付近の岩場のがれ場は、よっんばいになって登る状態が続いた。九合目の遊歩道の合流地点を過ぎ緩やかな山道を登って山頂小屋を目指した。ようやくパーティ全員が、頂上の三角点に到着したのが、十時四十五分だった。
予定よりも時間がかかり、パーティ全員が疲弊していた。暗闇で霧とガスに包まれての登頂は、感激よりもこれ以上登らなくていいんだという安堵感と解放感があった。山頂小屋では御来光の見える朝四時三十分頃まで仮眠休憩の予定で山頂小屋でパーティの受付を済ませ仮眠ができる場所を用意してもらった。仮眠したいが信哉は体のあちこちが筋肉痛で、気が付くと足の裏には豆ができているし、膝や手足に擦りむいた傷があったりで、パーティのみんなも、同じような事を口々に話していた。仕方なく眠れなくても、横になって体を休める事にした。幸い小屋には薪ストーブが焚かれていたので、
部屋は十分暖かかった。朝までうとうとした気分で興奮していた気分も和らいで、みんな少しの時間眠ったようだ。気が付くと、志賀先生が御来光の見える時間まであと十分とパーティのみんなを起こした。
山頂小屋を出ると、五時間ほど前にはガスと霧がかかっていた事が嘘のように、あたりの近景が次第に薄明るくなって、三合目までの視界が拡がっていった。頂上の三角点に立つと山頂から見える中景に、霊仙山の領域が見えはじめた、はるか西方の美濃の空と濃尾の地平との先に、群青色の雲海を背景にした、光の帯がかぎろいとなり、次第に光度をまし薄黒い紫色、赤色、橙色、黄色へと変化して黄金色に輝く光となって、御来光として、
山頂の一隅を照らしだした。初めての体験で言葉にならなかった。
御来光が拝めた事は一人で登ったのではなく、パーティとして登らせていただいた事への天からの「贈り物」だったのかもしれない。
それがなにより感謝の気持ちとして素直にうれしかった。
今日という日は斎藤信哉にとって忘れ得ぬ日となった。
「思い出せない日はない、思い出は希望の異名だから」と登る朝日が山すその湖北の長浜に夜明けを告げる頃、河合真知子が、父修三の作った歌を仲間の前で初めて口ずさんだ。
故郷
見上げる空のかなた
雲の間に間に見える
高原に吹く風に
揺れる一夜花
見下ろす北の大地
拡がる琵琶の湖
伊吹おろしに光る
湖面のさざ波
見渡す限りの
遠く続く山なみ
限りない空の果て
はるか地平とめぐり合う
古に続く道
たどる巡礼街道
悠久の先に仰ぎ見た
故郷に山河あり
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