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ポプラの木~第3章 サーカス

信哉が小学校からお旅所の設営テントに戻ったころには、日はとっぷりと暮れかけて、琵琶湖の対岸の高島に位置する、函館山あたりに夕日が沈みかけていた。
信哉のサーカス団は、団員との共同生活を営んでいた。お旅所の敷地いっぱいにサーカス小屋の大テントが設置され、生活する場所としてトレーラーとバスを接続させて、テントを組み合わせたテント小屋が二つ用意されていた。一つはサーカスでの動物ショーの犬や曲馬団の馬に、猿まわしの猿などが檻に入れられていた。もう一つ別のテントに団員の家族が寝泊まりをしていた。
信哉はトレーラに戻るとベットに仰向けにゴロンと寝転がった。信哉はどうしても、転校した学校での生徒とのやり取りが何時もいやな思いを沸き立たせているのを感じないではいられなかった。また何時もよそ者扱いのいやな感じが湧きおこっていた。その事が信哉にとっての興味や関心を示す生徒たちに心を閉ざす事で現実を回避できる事をよくも悪くもこれまでの転校の経験からわかっていた。
そんなところは同い年の子供からすると子供ずれしいているような大人びた感情だった。
それは独りぼっちの影だった。
そんな心配から予期せぬ体の不調として信哉の身に起こった。
学校の方には体調の不調により暫く養生すると欠席の届け出があった。
D組の誰もが二・三日ぐらいの事だろうと思っていたが、さすがに一週間に及ぶ頃には信哉が噂の的になる事はなかったが一部の心配性のおせっかい焼きを除いてはの事だった。今回の予期せぬ欠席で一番心を暗くしたのが隣の席で信哉の事を気にかけていた真知子だった。真知子は意外にも人見知りなところがあったが一度心を開いて打ち解けると、あとは自然に無二の親友としてつきあえた。そんな真知子の面目躍如たるおせっかいな性分の「おこないさん」がいつもそんな時に限って出しゃばった。「真知子に越えられない壁はない」どこからともなく言い聞かせるささやきが耳元に聞こえた。
いまだサーカスに足を運べてない状況に、せかされるように学校から帰るなり、いの一番に修三に話した。
「お父さん、次のお店の休みにサーカスに連れてって」と真知子が急な話を持ちだした。「また急な話やな」と修三はびっくりした。
「そうなんや、少し訳ありなん」と真知子は説明しかけた。
「前にも話したけど、私の組にサーカスの団長さんの子が転校生で転入してきたんよ。でね、席が隣になった訳、でも学校に一週間ぐらい通って来た頃から、急に学校に来なくなっちゃったの。どうしてるのかなって心配になって一度様子を知りたいしもう行くしかないなって事になったんだ」と真知子が事情を話すと、
「それは真知子一人がする事、それともD組の子も一緒なの」と修三が心配して、言うと
「私一人が考えた事」と真知子は返事した。
「D組の他の子で誰かサーカスに行った子はいるの」と修三は真知子の行動に不安を感じ諭した。
「学校では家の人と同伴でなければサーカスにはいけないようなの、
だから今のところD組の誰も行った人はいないようなの、多分夏中さんの時期にはまだ早すぎるので、みんな縁日の出店と掛け持ちで見に行くつもりをしていると思うわ」と真知子の考えを言った。「真知子は夏中さんまで待てんという訳や」と修三が考えを正すと、
「それとこれとは話が違うんや、今は斎藤君の事が心配でほっとけないのよ」と真知子はそう言って修三を真剣な顔で見た。
「わかった、えらい真知子にしてはお父さんの知ってるいつもの真知子じゃないみたいでびっくりするわ」と修三も真知子の真摯な態度に折れざるを得なかった。
「次の日曜日サーカス約束したで、ええか」と修三は真知子に、妥協する形で譲歩した。「うん、ありがとう。お母さんにも後でお父さんから言うといてな、お願い」と真知子は嬉しさから笑顔で両手で仏様の合掌を真似ては修三を拝んで見せた。
次の日曜日は時折強く北風の吹く小雨まじりのあいにくの天気だった。
「お父さん雨男だからね、運動会も遠足も決まって雨に降られるんだもん、しょうがないけど相合傘でサーカス行こう」と真知子はまんざらでもない様子だった。お旅所に設置されているサーカス団のテントは朝方から降り出した雨の影響で赤茶けた色合いに変わっていた。木綿のテント特有の形状から雨のしずくが、テントの端でテントを固定している箇所に、軒を作りだして、人工的な樋の役割を果たし、滝のように、広場の側溝に向かって流れ落ちていた。時折北風が強く吹きつけ、テント全体をあおっている様子だった。
修三は入場券を買いに切符売り場に行く際真知子を促した。
「どうする父さんは入場券を用意して入口で待ってるけど斎藤君に会いに行くの」と修三が言うと、「少し待っててほしい、団員さんが暮らしてるって聞いたトレーラーの方に行って、斎藤君の事たずねてみる」と真知子が言っては、自分で何とかするつもりだった。
「一人で大丈夫、父さんもいっしょについて行こうか」と修三が助け舟をだしてみたが、
「いいの、様子をたずねるだけなんだから」と真知子は自分の気持ちを正直に伝えた。
「じゃ父さんは入口の前で待ってるから」と言われてすぐ真知子は振り返り、踵を返しては一台の白色のホロのトレーラに向かって歩いて行き、
トレーラ車の後部ドアに向かって声をかけた。
「こんにちは誰かいませんか」と気恥ずかしさから声がこもって、いつもの真知子らしくなかった。なんども声を掛けてみたが、なんの反応もなかったので次はドアをノックして見る事にした。二度ノックしたところで、
トレーラーの中から「だれ」と男の声がして後部ドアが半分開いた。野太い声だったので、てっきり大人の男の人が出てくるものと、一瞬体が硬くなりかけたが、ドア越しに見えたのは、暫く休んでいる間に、大人びた声帯に声変わりした信哉だった。
「同じ組の河合です」と真知子が名乗った。
「隣の席の河合さん」と言うなり信哉は、きょとんとした表情でドアを大きく開けた。
「びっくりした」と真知子の方も「別人二十八号」と言いかけたが冗談言うのはやめた。「なんだ病気でもなんでもなかったんや、心配してそんした感じ、ただ引きこもってたって事か」と一方的に真知子が独りぶつぶつと言い訳を並べ立てた。信哉は何も言えず、何も言い返すすべもなかった。
ここは真知子の独壇場だった。
「学校出てこれるよね短い間でも同じD組の仲間になったんだし、まさか訳もなく、声変わりのために、出てこれないって事にはならないよね、私ってこんな事までして、ほんと相当なおせっかいでばかみたい」と真知子は開き直り言った。
「もう帰ってくれる」と信哉は野太いかすれ声でぼそっと言った。すると「ノブ誰か来てるんか」とトレーラーの中から女性の声がした。真知子はおちついて「こんにちはお母さんですか、私、斎藤君と同じD組の河合真知子と言います。斎藤君が暫く学校を休んでたので心配で様子を見に会いに来ました」と正直に母親に話した。
「それは心配していただいてありがとう、
挨拶が遅れたけど、私信哉の母の麻沙子です。よろしくね、実は先週信哉が、体の調子がいまいちよくないから休みたいと言ったんで学校には二日程のつもりで欠席の連絡をしていたの、その後はてっきり行ってるもんだと思っていたのに行ってなかったのね。うちはサーカスの興行中心の生活で信哉の面倒うを見てやれる時間の余裕もなく仕方がないんだけど、あ、ちょっと河合さんの前で恥ずかしいところ見せちゃったね、でも信哉をわざわざ訪ねてきてくれてありがとう、明日からは登校を見送るようにするんで、学校に行った時には今までどおり仲良くしてあげてね」と麻沙子が申し訳なさそうに言った。
「わかりました、私待ってます、では失礼します、斎藤君、また学校でね、じゃさようなら、私お父さんとサーカスを見物してから帰ります」そう言うなり小走りに入場口に向かっていった。暫く真知子を見送った麻沙子が「ノブ今晩父さんの前でお仕置きやな」と言った。
「父さんだけはかんべんして後で理由を説明するんでお願い」と信哉は弁解した「しょうがない子ね、またいつもと同じや」と麻沙子はため息交じりに言った。
「いけないもうこんな時間二部始まってる急がなきゃ」と麻沙子があわてた。サーカスは二部の曲馬団のショーが佳境を迎えていた。
麻沙子も曲馬団のキャストにサポート役で配属されていた。深い夜の漆喰の闇に馬のいななきが赤いテントの梁の上に響きわたり外の雨模様の雨しずくのテントの布を打ち付ける音が、曲馬団の楽団の物悲しいラッパの響きとあいまって、不思議に空気と溶け合っている様子だった。
大きな拍手とざわめきが波のように繰り返しテントの中から聞こえた。夕刻を迎えて二回興行最後のフィナーレのパレードが終わりを迎えていた。
生まれて初めて見る光景だった、人馬一体のギャロップのスキップを踏んでの大団円だった。ざわめきと雑踏の中で家族ずれや親子が帰路に着こうと慌ただしくしている中で、座席で座ったままの、真知子の姿があった。
「真知子どないしたん、あわてんでええけどぼちぼち帰ろか」と修三が声をかけた。「そやかてお父さん、なんか感動して動けへんの、こんなんやったら無理にでもお母さんも一緒に連れて来るんやった、残念」と真知子はため息交じりに言った。「まあでも今日の事は急な話でお母さんも親戚の用事があっての事やから仕方ないな」と修三があきらめて言った。
「それより斎藤君の方は大丈夫なんか」と修三が聞くと「それなんやけど何とかなった思うけど、正直なとこ明日学校に行ってみん事にはわからんは」と真知子は半信半疑に答えた。
「そうか、明日の事は明日になってみん事にはわからんしな」と修三もあいまいな返事をした。「そうそう、さりげなく吹く明日の風や」と真知子がのんきに言った。「なかなかうまい事ゆうなそんな事どこで習ったんや」と修三がたずねると「ないしょでもひょっとしたら土曜学校で聞いたようなそんな事忘れたわ、ははあ」と真知子ははぐらかした「土曜学校て誠心寺さんとこか」と修三が聞くと「そうや」と真知子は相づちをうった。
「さ帰りおそうなるで、お母さん夕ご飯作って待ちくたびれてるで、帰ろ」と修三が促した。「夕ご飯て聞いたらなんか急におなか空いてきたわ」と真知子は修三を見て微笑んだ。

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