おこりんぼう君~発達支援センター編~
長男がASD、次男が軽度の知的障害、三男がASD・ADHD・LDというとても個性あふれる子供たち。発達障害、特に自閉傾向の子供のほとんどは親からの遺伝と言われているから、色々あって別々の道を進んだ元旦那ももしかしたら持っていたのかもしれません。ちなみに私はADHDらしいです。(こんな愉快な子供たちに囲まれ、精神的に悩んだ時に言った病院で勝手に調べられたらこんな結果が・・・。知りたくなかったなあという気持ちと納得してしまう気持ちの半々)
障害という言葉が好きではないし、それをできるだけ個性ととらえたいので、子供たちのことを私は愉快な子とか、いいものを持っている子というようにしています。
今回は普段はにこにこして可愛いのに、自分の思ったことと違うことが起こると怒りだしてしまうおこりんぼう君(次男)の話をしたいと思います。(以降おこりんぼう君)
怒る必要ないのに
家族以外にはにこにこしているので、みんなからは愛嬌があって可愛いねと言われていました。とても真面目なので言われたことは守ります。ただ、臨機応変ができないので、言われたことをそのままやるし、それ以上のことはできません。また、見通しを持つことや突然の予定変更は苦手です。なので、自分の思ったことと違うことが起こると、それがどんなにおこりんぼう君にとってプラスなことでも怒ったり泣いたりします。
変更があったこと、それはおこりんぼう君にとって良いことだとどんなに説明しても分かってもらえず、怒ったり泣いたりで、それをなだめている私の方がパニックに陥ることがよくありました。
終わりって難しい
折り合いをつけることも苦手なので、終わりということを極度に嫌がります。幼稚園に迎えに行った時のことです。親が来ると嬉しそうに親元に帰っていくお友達が多い中、おこりんぼう君は帰りたくないと言って大泣きです。お友達と一緒に遊んでいて、まだ一緒にいたいのなら理解できるのですが、誰もいない園庭でも同じように泣きます。毎回、その様子を見ていた先生が見かね、おこりんぼう君を説得する形でやっと帰ることができるという感じでした。家で何か嫌なことをされているのではないかと思われるくらいの泣き方をするので、本当に困りました。
なぜ泣くのか、なぜ帰りたくないのか、その時はわからなかったのですが、今思うと、帰りたくないのではなく、今が楽しいから、これを終わりににすることができなかっただけなのかもしれないです。
やっと誕生
予定日より1週間以上遅れておこりんぼう君は生まれました。予定日間際にアパートの階段付近でバランスを崩し、段差に躓き転げ落ちました。頭を打ったので、救急車で病院に運ばれました。そのままCTを撮った方が良かったのですが、妊娠中ということもあり、様子見で帰宅。もしかしたら今回のことで陣痛が始まるかもねと言われたのですが、産気づくこともなく、予定日を一週間も過ぎてしまいました。
入院する前から、とにかく歩くように言われたので、毎日頭に大きなたんこぶをかかえ、マイペース君を連れて歩いていました。でも下腹部の張りが少しあるだけでなかなか陣痛にはなりません。予定日一週間過ぎてからの健診で、少し下がり始めているから、入院してみましょうと言われました。やっとかって感じです。
入院して、産道が開くように、おこりんぼう君が頭を入れやすいようにということで、風船を入れました。これは体液を吸収して風船のように膨れ、産道を開くというもののようです。マイペース君を出産しているので、産道が開き始めたら、陣痛が始まるのは早いと言われました。でも、なかなか産道は開きません。入院当日にも何本か入れて、それで広がると言われたのに広がらず、夜中にも風船を入れ、次の日、分娩代の上でも風船を入れました。多いかどうかはわかりませんが結局10本以上入れたそうです。
出産当日は、分娩代が空いているということで、お昼前から分娩代の上に行きました。風船が中に入っているので、歩いていて落ちたら大変。車椅子での移動です。
お腹を張る頻度は多くなっていたのですが陣痛にはなりません。産道もなかなか開かないようで、分娩代の上でお昼を食べました。トイレも行けないため、分娩代の上で管を通してもらい尿道から直接出してもらいました。
お腹の中は風船が入っているので、体感ではパンパンです。それでも、なかなか外の世界に出てこようとしないおこりんぼう君でした。
この時から、終わりが嫌いだったのかもしれません。(お腹の中での生活を終えることが嫌だったのかもしれません。)
困り感
生まれた時は、黄疸があり、股関節脱臼もありましたが、それほど大きな問題ではありませんでした。入院中に紙おむつではなく布おむつを当ててくれていたので、退院までには脱臼は治っていました。でも大事をとって小児医療センターに通うことになりました。病院では左右差がないかどうか、レントゲンを撮って確認しただけでした。それほど左右差が出なかったので、幼稚園に行く頃には通院は年に一回程度になっていました。
本当の問題は言葉がなかなか出ないことでした。言いたいことが言えないし、相手の言っていることも分からないから、短気なおこりんぼう君はよく泣いていました。心配になったので、近くの発達支援センターに相談に行きました。(マイペース君の発音を治すために発達援センターに通っていたので、その時の先生に相談したら、一度相談に来たらいいと言われたので。)
WPPSIをしたところ、実際の年齢よりも3か月遅れていると言われました。2歳のころに行ったので、1歳9か月ということです。
発達センターでは
行くことは特に嫌がらず、毎回帰りに買うジュースを楽しみに行っていました。おこりんぼう君からすると、ジュースを買うために来ていたのかもしれません。
1.信頼関係つくり
初回、おこりんぼう君とじっくり話をします。何が好きなんか、何でここに来たと思う?などと雑談をして、おこりんぼう君の緊張をほぐしてくれました。また、ここは楽しいところだということを教え、通うことが楽しいようにしてくれました。話が終わった後、玄関への移動中に、今日何をしたのか教えてくれました。親に対しても、安心して通えるように子供のことを話しつつ、悩みも聞いてくれました。
2.WPPSI検査
信頼関係ができてから、おこりんぼう君の今の状態を知るためにWPPSI検査を行いました。無理のないように、何回かに分けて検査します。検査の途中で疲れてきたら気分転換をしながら行うため、どうしても時間がかかってしまいます。
問題を理解させるところから始まるので、理解できるまで丁寧に問題を何回も説明します。結果は先ほども書いたのですが、一歳9か月です。二歳の時に検査したので、3か月の遅れです。
検査は、毎年やるというより、必要な時にやるという感じです。
※日にちを開けないで行うと、テスト内容を覚えてしまい、正確に検査できないそうなので、あまり頻繁には検査しません。
3.結果を見て
知的に遅れているのもあるけど、言葉が出てこないから少し通ってみましょうと言われました。そこで週に一回通うことになりました。ここでは、遊びの中で語彙を増やすことを中心に支援してもらいました。
4.一年後
少しずつ語彙が増えてきました。なので、二年保育で幼稚園に通うことになったのをきっかけに週一の通室が月一になりました。理由は、おこりんぼう君のようなタイプは、幼稚園での刺激で成長できることがあるからということでした。元々、三人兄弟の真ん中ということもあり、周りを見ながらなんとなく行動するということを生活の中で身についている子供でした。
通室の回数が減ることは私はにとって不安でしかありませんでした。
子供のことを話す場がないということもあったのかもしれません。(結婚を機に引っ越してきたので、気を許せる友達がいなかったこともあります。)他愛ない話しができない不安。子供のことだけではなく、生活していく中での楽しいことや不安なことを話せる空間が支援センターにはあったので、それが無くなってしまうことの不安の方が強かったです。
でも、先生からは、ここで通うよりも幼稚園に通う方が数倍学ぶことがあると思うし、一度通う回数を減らして、どこまで成長できるか様子を見たいと言われました。おこりんぼう君の成長の可能性を信じてくれたのだと思います。そのためには先生が教えたり、周りのサポートがない状態で、本人自身がどれだけ学べるか、それは先ほども話したように遅いけれども、周りの状態を見てマネしながら何となくやっていこうとする気持ちがある子供だからできることだということを言われました。先生と離れたくない、先生ともっと話をしていたいという私に対する説得です。子供の可能性を信じましょう。
年度初めは一か月に一回と言われたのですが、思ったよりも成長しているということで、途中から今年度は様子見で、通室は来年度からにしましょうと言われました。その時も、お母さんが不安に思った時に連絡くださいと言われました。
その時は見放された気がしたのですが、振り返ってみると、先生はおこりんぼう君の可能性を信じることは大切だと教えてくれたのだと思います。
5.二年後
通わなくなって一年が経ち、さらに遅れては目立ってきました。語彙がお友達と比べて少なかったり、.家での会話が通じなかったりしました。なので、発達支援センターに連絡をし、再度通室することになりました。
この一年間で変わったことはお友達ができたことです。お友達とままごとをしている姿を見て、感動で涙が出ました。お友達の後ろについて歩くのではなく、一緒に遊んでいる。この姿を想像していなかったので、本当に嬉しいなと思いました。同時に子供の可能性を信じてあげられなかったことに反省しました。
発達支援センターに再度通うことになったので、まずは今の状態を知るために再度検査をすることになりました。結果は六か月遅れ。少し差が開きました。でも、語彙が増え、友達ができたり、できることが増えていたので、検査結果は6ヵ月と遅れはしてますが、トータル的な成長はかなり見られたということでおばちゃん先生は喜んでくれました。
6.再通室
年長になってからの再通室です。今度は小学校に上がる際必要となる力をつけるために通います。親に対しては、学校との付き合い方を教えてくれました。
私はまた、先生と話ができる。おこりんぼう君だけではなくマイペース君や生まれたばかりのデパート君の相談、兄弟3人の関係など、とにかく話すことがいっぱいあったので、再通室はとても嬉しかったです。でも、進学に向けて考えなければならないことが沢山あったので、喜んでばかりはいられません。
おこりんぼう君には、通常級・支援級・言葉の教室への通室という三つの選択肢がありました。子供の状態に保護者の意見を加味して進路を決めていきます。
7.小学校生活を円滑に進めるために
小学校に上がる前に就学時健康診断があります。そこでひっかかると、今度は発達検査を改めて受けることになります。この時の検査は田中ビネー式です。検査は、初めて会う先生と初めて行く学校で受けることになります。WPPSI検査とはタイプが違いますが、発達検査を受けたことがあるということでそれほど緊張しないで受けることができたようでした。先生が上手に誘導してくれたこともあり、楽しかったと言っていました。この時検査してくれた先生は、後に言葉の教室の担任になり、長く付き合うことになります。が、その話はまたの機会にしたいと思います。
検査をもとに、その後行われた就学支援会議で、通常学級適・言葉の教室可という判定が出ました。その検査だけではなく、発達支援センターに通っていたこともあり、どうしたら小学校生活を円滑に遅れるようになるのか等、会議で考えるための材料になっていたようでした。また、センターから小学校や言葉の教室へも上手に引き継ぎをしてもらうことができたので、学校生活はスムーズに始められました。
発達支援センターに通って
発達支援センターというと、何かなければいけないところの様に感じてしまうかもしれません。もっと気軽に考えていいところだと思います。困ったことを友達に話す感覚で電話して、相談したり、嬉しいことがあったら報告したらいいと思います。周りから見たら大したことないことでも、自分にとっては大変なことだったり、なんか困っているんだけど、どうしたらいいのかわからない。困っているんだけど、何が困っているのかわからない時、何となく電話して話すだけで気持ちが落ち着くし、困っている原因が分かることもあります。原因が分かるだけでもすっきりすることもあります。
そんな気軽な気持ちで電話したらいいと思います。時には話を聞いてくれない人もいますが、大抵は聞いてくれます。電話したり、対面で話をするだけで、一人じゃないという気持ちになり、子供と楽しく向き合えます。
また、幼稚園→小学校→中学校→高校・支援学校などでどのような支援を受けることができるのか教えてもらえました。将来を見て、見通しを持った育児ができるようになることで、暗闇から脱せられた気がしました。