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子どもは愛してほしいだけ |悲しみ消化記録3


人生で一番古い記憶は、恐怖を感じたものでした。
おそらくまだ2歳頃。

父が、風船に爪楊枝かなにか
尖ったものを当ててニヤニヤ私の方を見ていて、
私はそんな父と風船を見て、耳を手のひらで塞ぎながら「ギャーッ」と
泣いていた。

風船が割れるのが大嫌いでやめてほしいから、必死に泣いて訴えてるのに
それを面白がって見ている父。
そんな記憶。


「やめて」とか喋って言った覚えはないから
本当にまだ喋れないくらい幼い頃だったはず。
ほんとひどい(笑)

母は、しばらくしてから「もーお父さんやめなよ!」と言ってはいたけど。
父的には泣く私がかわいくて、母もそれを分かって強く言えなかったのかもしれない。もしくは母もそこまで私が可哀想だと思ってなかったのかもしれない。

なんにせよ、私にとってはすごく嫌な記憶だ。


やめて、やめて!
怖い。大きい音が急に鳴って、ものすごくビックリするのが怖い!
だからやめてよ、お願い、やめて


今振り返ると、そんな思いで必死に大声で泣いていた。

怖がっているのにやめてもらえなかった。
必死の訴えを、聞いてもらえなかった。
すごく悲しくて、辛かった。


自分の訴えを、聞いてほしかった。
いまだに覚えている悲しい記憶。

だから私は、子どもの訴えはちゃんと聞いてあげたい。
そう思って努力している。

2歳の子どもは、イヤイヤ期に少しずつ入ってきている。
「しんどい」って思うけれど
私にもっと見て欲しい、もっと一緒にいたい って
思ってるだけなんだよね。
私をいじめたり、苦しませてやろうなんて微塵も思っていないんだ。

だから無理難題や、「ダメ」と言われるのが分かっているのに要求したり
してきたときは、
到底聞き入れられないことも、まずは肯定してる。
「そっか、○○したいんだね」
「そうだね、まだ遊びたいよね」
等。
それから無理なものは無理とちゃんと伝えたりして関わっている。


過去の自分の気持ちを振り返って得たものを元に、
いまの目の前の、大切な子ども自身の訴えに耳を傾ける日々。
そしていまの自分の心と、身体の余裕具合にも目を光らせながら。

なかなか頑張っているんじゃなかろうか。自分よ。

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