フェルマータ
コロナの影響で世界が一変し、それに伴い音楽業界や自分たちの生活も大きく変わった。
人と自由に会うことも許されず、音楽は不要不急だと言われ、演奏が、アンサンブルが、できなくなった。
全然情勢に詳しく無いけど十数年かかることをほんの2〜3年で革新したんじゃないかと思うくらい、あらゆることが目まぐるしく変わったと今思う。
悪いことだけではない。
オンラインの技術が大幅にアップデートされ、ネットを通じてたくさんの人へ音楽がより身近に届くようになり、おかげで私たちの活動も大きな飛躍を遂げた。
音楽は不急かもしれない、でも不要ではない。
コロナ真っ只中、今わたしたちにできることは一体何だろうか、毎日必死に考え、たくさん試行錯誤してきた。
試行錯誤しながら音楽を届け続ける間、演奏してくれて嬉しかった、癒されたという声をたくさん頂いたし、わたし自身も音楽がある当たり前の日常を受け入れてもらえていたことで心が救われた。
音楽が必要不可欠なものだとより強く思うようになったのは、自分が子どもを産んでからだ。子守唄にはじまり手遊び、あいさつ、言葉や数字を覚える、体を動かすなど乳幼児の成長の大半は音楽と共にある。
日常の一瞬一瞬、音楽を通じて子は経験と学びを得ている。
社会情勢とはまた別軸で子育てが始まり、自分のライフスタイルは新しくせざるを得なかった。
子供の生活に合わせたスケジュールの組み方、極端な話今までは会社勤めでもなく24時間自分の融通をきかせられる環境で、オンとオフの区別もあまり無い生活だったものから、保育園に預けていても一日の半分以上はこどもと過ごす時間。
その環境を受け入れるのに1年かかり、慣れてくるのに1年かかり、やっと効率的にそこそこまわせるようになってきたのが去年1年。
いろんなことが上手くいかない、あれができない、これが足りない。
失ったもの、できなくなったことばかり目を向けてなんとかしなきゃ、整えなくちゃ、試行錯誤していた。
社会情勢とプライベート、どちらも大きな変化をし続けた数年間、私はきちんと立ち止まっただろうか。
立ち往生はした、失速はした。
でも、自分の意思で立ち止まり、現状を見つめたのか。現状から逃げて逃げて逃げて、なんとか今にたどり着いただけなのかもしれない。
何度も休めと言われ、何度も心療内科を調べた。カウンセリング予約一歩手前までクリックした。今思えば産後うつだったように思う。
でも、最後のボタンは押せなかった。
人には「休んだ方がいい」「出来ないことを認めた方が楽だよ」と簡単に言えるのに、自分にはできない。誰かに言われても、そう簡単に受け入れることは難しい。
受け入れ、立ち止まることを選択できる人は本当に素晴らしいと思う。ゆっくり休める環境があることも、ラッキーなのかもしれない。
誰かの行動にハッとさせられることばかりだ。
自分は何を考え、どこへ行きたいのか、どの道を選ぶのか。わたしとして、家族として、奏者として。
2人目の出産を控えてる今、大事な仲間が休養に入った今、こうして思ってることを残しておいたら自分がまた同じことを繰り返さないように後押ししてくれるんじゃないかと思い、備忘録としてこれを記す。
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