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はじめまして、立花です。 | 立花 祐平 (認定NPO法人改革プロジェクト )

第1回:はじまりのお話

いま思えば団体を立ち上げたのは”創作意欲”と”好奇心”からだった。社会の課題がどうのとか、誰かのためにとか、そんな立派なものは何も持ち合わせていなかった。もちろん組織を運営する知識やノウハウも。
いま団体で掲げているものは、すべて活動する中で生まれてきたものだ。
このコラムでは、私たちの主力事業である”パトラン”をはじめてから11年間のことを少し振り返っていきたい。これから何かをはじめたいという方の背中を押すことにつながればと思う。
(パトランについてはこちらをどうぞ http://patorun.com

もともと私は社会活動やNPOなどに関心があったわけではなかった。ボランティアも団体を設立するまで取り組んだこともないようないわゆる社会的な活動とは無縁の人間だった。
高校卒業後に大学進学のため東京へ出た。友達がいる地元に残りたいと思っていたのだが、母親が外の世界をみてこいと放り出してくれた。4年間の大学生活では、夢やなりたい職業を見つけることはできなかった。福岡の片田舎から東京という大都会に出て、きらびやかに大学生活を満喫する学生たちをみて、「けっ俺はお前らとは違う」と謎のプライドが邪魔していた。そんな冷めた学生だったため、とりわけ起伏のない大学生活を送っていた。私の就職活動の時期は、いわゆる就職氷河期と言われる頃合で、内定はそう易々ともらえるわけではなかった。華やかなイメージにつられ、広告代理店や商社を目指したが面接にすら進めず落ち続けた。奈落の底まで到達しそうな勢いだったが、ズボンの裾が枝に引っかかったという感じでIT系の企業に内定をいただいた。ITの知識はもちろんなし、まともにパソコンすら扱えなかったが、会社に入って覚える知識は新鮮で、意欲を掻き立てられた。新人研修を終え配属された地は大阪だった。今思えば、社会人としての基礎を大阪の地で築けたのは良かった。楽な環境ではなかったが、大阪の厳しくも温かみのある人たちの中で仕事をさせてもらい、仕事の楽しさを肌で感じることができた。

結局入社3年目の上半期を終えるころに退職をするのだが、企業に所属することで見れた世界はいまの自身の価値観形成に大いに役立っている。退職の時に先輩に「お前のようにきれいにやめるやつは初めてみた」と言われたのは今も鮮明に記憶に残っている。
こうして私の社会人としての最初のキャリアがスタートし次の舞台へと移っていくことになる。
次回は団体を立ち上げパトランを展開するお話です。