|dialogue #01-2| NPO法人はるよし(後編)
05 はるよしの酒
いまイチオシのプロジェクトとしては、お酒造りもありますね?
吉野:2019年に法人化した際に、何か新しいプロジェクトをやりたいとなって、オリジナルのプロダクトづくりがあがってきたのです。はしご酒をしていて、福岡には酒蔵が多い事を知ったので、「オリジナルの酒を作ろう!」ということで始まりました。任意団体だった17年ほど前に一度、「晴好の風」というオリジナルのお酒を造った経験があって、田植えのイベントとかもあって、私も参加したんです。その時に造ったお酒がとても美味しくて、また造ってみたいというのがありました。福岡の酒蔵をもっと多くの人に知ってほしいし、日本酒を呑むきっかけづくりにしたいという想いも。うまくいくかはわからないけど、とにかくやってみようというノリで始まりました。そこから酒米を作ってくれる場所と酒蔵を探し始めました。
酒米農家はどうやってみつけたのですか?
吉野:まずはJA糸島に相談に行きました。JAの担当の方もきっと最初は「とりあえず話だけ聞くか」って感じだったかと思いますが、私たちの勢いに押されて(笑)、すぐに若い農家さんを呼んでくださったんです。早速企画についてお話したら「やりますよ」って、私たちも驚くくらい速攻で快諾してくれて、じゃあ、やりましょうと、勢いづいた感じです。同時に酒蔵を探して、最初のお酒作りは、うきは市のいそのさわ(磯乃澤)さんに協力してもらうことになりました。声をかけると「おもしろそうですね!」とこちらも快く受けていただき、トントン拍子で進んでいったんです。本当はその翌年につくるつもりだったのですが、あまりにもスムーズに事が運んだので、まずは少量の試作品を造ることになったのが2019年です。
都甲:このお酒を飲食店に置いてもらい、それを目的に春吉に来て欲しいというのが私たちの意図でしたが、2020年2月にコロナが始まってしまって、お酒ができたのは、2020年の3月。外食も制限されるし、飲食店も心配だし、売り込みも出来ないしで、どうする!?ってなりました。
そういう状態なのに、翌年もお酒を造られています。その理由とはなんですか?
吉野:私たちの中では、まだコロナも明けなさそうだし、一年は様子を見ようと思っていたんです。ですが蔵元さんが、「こんな時だからこそ、みんなが元気になれるようなプロジェクトがやりたい」と言ってくれて農家さんも、「やりましょう!」と言ってくれたので、じゃあということで同じ量を作ることになりました。しかも、蔵元さんが非常に手間のかかる造り方にチャレンジしてくれたんです。
都甲:お酒の搾り作業は機械を使うことが多いのですが、大吟醸などの高級酒では、もろみを酒袋に入れて吊るし、圧をかけずに自然に搾る「雫搾り」という製法があります。蔵人さんもコロナ禍で時間に余裕があったことと技術の伝承をしたいという理由から、その手法で造ってくれました。それだけはコロナの恩恵かもしれないですね。それが「晴好HARUYOSHI01」番です。
吉野:大変な時期ではありましたが、蔵元さんと農家さんがやりましょうっていってくださったのは本当に嬉しかったです。このお酒は、蔵元さんが普段やってみたいけどできないことを試す場にもなるし、私たちも新しいお酒に出会えるのがいいところだと思ってます。
02は朝倉の篠崎酒造、03は筑紫野市の大賀酒造、来年できあがる04は大刀洗町のみいの寿と、蔵元さんからの紹介で続いています。嬉しいことに、稲刈り、田植えには前の蔵元さんや関わってくださった方も引き続き参加してくださっています。自分たちの酒が出来上がったら終わりじゃなくて、次にノウハウを伝授するって感じになっているのが想像以上に素敵なところだと思います。
同じお米から作っても、そんなに味が変わるものなんですね
吉野:私も元々お酒の醸造工程に詳しいわけではなかったのですが、酒米がおなじでも、酵母、米の削り方、麹、水などで本当にお酒の味は変わります。蒸米の蒸しかたでも違ってくるようです。実は、はるよしの蔵元を変えるという方法は飲み手ならではの発想みたいです。私は、福岡のいろんな蔵元を紹介したいし、毎回ワクワクしながらお酒に興味を持つきっかけになればいいと思って毎年蔵元を変えましょうと提案したんですが、最初は「はぁっ!?」って言われました。でも、いざやってみると、毎年どんなお酒の味になるかが楽しみだし、繋がりが広がっていくのも嬉しいです。。私にとっては、そのお酒を造った記憶もあわせて、いつも美味しく飲んでます!
都甲:みんなで作ったという想い出も一緒に乗っかっている気がします。だからより美味しいのだと思います。田植えも稲刈りもオープンイベントにしているので、みんなに参加して欲しいです。
06 劇団晴好
ほかにも何か、メンバーの「やりたい」から始まったことがありますか?
吉野:劇団というのもありますよ。昔、劇団に所属していたメンバーがいて、酒の席で「劇団やろうぜ!」となって始まりました。ほぼ全員素人の劇団でしたが、オーディションをしてメンバーを集めました。結構スパルタで本気で週一くらいで練習して、直前になったら毎日のように集まって、最終的には祇園のぽんプラザホールで1日2回公演をやってのけてしまいました。チケットも手売りで販売して、席も満席で埋まるほどの盛況でした。
さらにもう一度ということで、2回目の時は、クオリティもさらにあがったように感じました。2回目が終わってすぐにコロナが蔓延して活動は休止していますが、公民館を借りて自主練をしたりするメンバーもいたようです。ギャラもなかったんですけど、かけがえのない思い出や絆が生まれたみたいです。
07 はるよしをキレイにし隊
吉野:ほかにも「やりたい」という声から始まったものでは、清掃活動「キレイにし隊」があります。これもメンバーの一人が中心になって始めたもので、コロナ禍になり、夜市などのイベントができなくなったので、こんな状況でも地域と何かつながることはできないだろうかと考えたのがきっかけでした。現在も月に一回、主に第四日曜日に有志で集まってゴミ拾いをしています。うちの団体では珍しい朝の活動で、地域の人とのコミュニケーションも生まれているようです。午前中にゴミ拾いをして、終わったらランチ&昼飲みに…という日もあって、それもひとつの楽しみみたいです。
08 “はるよし”のこれから
団体をNPO法人化して、変わったことってありますか?
吉野:収益事業などもでてきて、税金のこともあり団体を継続するためには必要なステップだったんですけど、書類の手続きなどは、とても面倒になりました(笑)。ですが、法人ということで、各関係者と安心してやり取りを進める事ができるのも事実です。酒造りをはじめ新しいプロジェクトの際にも、信用を得られるというメリットはありますね。企業との協働も取り組みやすくなったかと思います。うちは、ビジネスが主の目的ではないので、利益重視ではないですし、メンバーも本業を持っていてほとんどがボランティアで動いています。それでもみんなどうして参加してるんだろう…って考えると、やっぱり楽しいからなんだと思います。そういう意味でも、株式会社ではなくNPOの方が合っているのかもしれませんね。
団体のこれからって、どうなっていきますか?
吉野:メンバーはそれぞれ転勤や仕事で活動を離れる可能性もありますし、来るもの拒まず、去るもの追わずの団体なので、明確な今後のビジョンがあるわけではありません。もちろん続いていったら嬉しいですが、「絶対に続けなくてはいけない」というプレッシャーや負担は持たなくていいと思います。その都度生まれたやりたい事を形にしていけたらよいかと。春吉の当初の暗いイメージも今ではなくなりましたしね。
都甲:春吉のまちは、道も広くなって、とても人気の地域になりました。まちの変化は、市の計画によるハード面の整備のおかげもあると思いますが、この団体を立ち上げた人、途中で団体を引っ張ってくれた人の存在がとても大きいと思います。本当にすごいし、せっかくその仲間に入れていただいたので、できる限り活動を続けていきたいですね。もっと未来を考えると、団体の活動を受け継ぎたいと思ってくれる人が出てくるのが本望ですが、そのときに参加した人が楽しければ、というのが一番です。関わるメンバーは大きく変わっているかもしれませんが、未来まで続いていってくれたらやっぱりうれしいですね。