私の災害ボランティアとの関わり | 吉田 敦(福岡被災地前進支援 )
第2回:福岡被災地前進支援の歩み
現在私が所属している福岡被災地前進支援は、活動を始めた当初から「楽しくなければボランティアじゃない」をモットーに活動を続けています。活動することが楽しくなければ長続きしません。災害ボランティアは被災者の方々に寄り添うことが基本ですが、ボランティアが元気に活動することで被災者の方々が笑顔を取り戻すこともよくあることです。私たちは今後もこのモットーを大切にしながら息長く活動を続けていくつもりです。
福岡被災地前進支援が活動を始めたきっかけはやはり東日本大震災で、被災地を福岡から支援し被災地の人たちに少しでも前向きな気持になってもらいたいと言う気持ちを込めて「前進支援」と名付けられました。
東日本大震災の被災地に対しては、2011年4月の第1期から2013年9月の第13期まで福岡からボランティアを派遣し、宮城県南三陸町を中心に支援活動を行いました。その他にも、物資支援や写真洗浄・街頭募金活動を行ったり、活動報告会・講演会などを開催したりしました。また、初代理事長の本業がダイバーだったことから、被災地の海岸を清掃する災害救援ダイバー育成プロジェクトも立ち上げました。
その後は、福岡県内や近隣県でも毎年の様に災害が発生するようになり、そうした被災地にもボランティアを派遣するようになりました。具体的には、2012年九州北部豪雨の八女市や、2013年山口・島根豪雨の萩市、2014年広島土砂災害の広島市、2016年熊本地震の西原村、2017年九州北部豪雨の東峰村などです。私は東京の住まいを引き払って福岡に帰ってまもなく団体に加入し、広島土砂災害の支援から活動に参加するようになりました。
被災地支援の比重は東日本大震災の被災地から福岡や近隣県の被災地にだんだん移っていきましたが、その頃団体の創立者である初代理事長が退任することになり、2017年5月に私が二代目の理事長に就任しました。
そして、2018年7月に西日本豪雨災害が発生しました。この時、岡山県の真備町では高齢者を中心とした40名以上の方が逃げ遅れて亡くなられました。人間には日常と異なる事態が起きた時に「正常の範囲内」と捉えて心の平静を保とうとする、正常性バイアスと呼ばれる心理メカニズムがありますが、防災に対するちょっとした認識があれば、異常を察知して逃げ出すことで失われずに済んだ命がたくさんあったのではないかと思い、私は大きなショックを受けました。そして、団体としてそれまでも手を付け始めていた防災啓発について、より一層力を入れていくことにしました。
私達の防災啓発活動については次の章で詳しくお話します。