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2/4一期一会の人生|緒方 理恵子(日本語教室「楽しい♪日本語クラブ」)
経験は心の財産(前半)
私の日本語教えの根幹となるものは?と改めて考えてみた。
【経験・楽しい・好奇心】が私のメロディ。これはどれも欠かせない。
その中でも大きなウエートを占めるのが自分の【経験】
旅が好きだ。旅を通してその国のことをちょこっとかじった。その国は25ヶ国。目を閉じると、その国が持つザワザワ感や風の匂いや道行く人のおすまし顔が目に浮かぶ。異国を歩いているとジワリと緊張感を肌で感じるときもある。
そんな旅も必然と日本語を教える赤い糸に繋がっていたんだな。
考えてみると、今まで出会った外国人はかなり多数。ホームスティ、ホームビジット、日本語教室、旅先等。ひょっとしたら200人近くいるかもしれない。
自分でも驚く。もちろん、ご縁が続いている人や切れてしまった人もいる。
『来る者拒まず、去る者追わず』これは我が日本語教室においても継承している。
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“好奇心”からホームスティ(1999〜2012)の経験をしてみた
それまでにきっかけがなかった。好奇心はてんこ盛りだったのだが。
ところが、偶然はある日音も立てずに不意にやって来るものだ。
まぁ不思議なもので、そのチャンスをキャッチするかしないかは、自分次第。
三越前で道に迷っていたロシア人を助けた。ある日本語学校の入学者だった。私は時間があるときには目的地まで連れて行く。私が海外で受けた親切の恩送り。
地図を頼りに日本語学校まで連れて行った。すると、そこの日本語学校の受付の人が「ホームスティ登録をしませんか?」NOをいう訳がない私。YES!
やはり一緒に暮らすと、文化の違いを肌でヒシヒシと感じる出来事がある。
例えば、バスタオルは1週間に1回しか洗わない。
理由は「シャワーを浴びてきれいな体になったのを拭くだけだから、毎回洗わなくていい。」なるほど!!!
体を拭いた後、洗濯機にポイッと毎回入れるのは当たり前じゃないんだ。
いわゆる自分の常識がガタガタと音を立てて崩れた瞬間。
常識はポイッとそこら辺のごみ箱に捨てよう。
太陽の光が私をポカポカ温めてくれたとき、あの人この人の笑顔が思い浮かぶ。
一人ずつ書きたい。が、それはいつの日かに取っておこう。
そんな中で、やはり彼だけは記しておきたい。無上の喜びを経験したから。
初めて会ったのは、彼が18歳のとき。1ヵ月だけ我が家でホームスティ。
あれこれのエピソードは割愛するとして。(ホントはいろいろ話したい)
帰国後、翌年東京のデザイン学校に入学。20歳の時、福岡へ遊びに来た。
22歳の時、東北大震災で我が家へ東京から避難。会ったのはその時が最後となった。
12年ぶりに再会した2023年に、一緒に石垣島へ旅した。
彼は34歳になっていた。おお、少年から青年、否、一人の男性に変身。
お互いの心はダンスダンス。一期一会の醍醐味を味わったできごとだ。
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語学を習った経験から得たものは“楽しい”
英会話教室(2004〜2007)とフランス語教室(2010〜2020)に通った。
この2つの教室に通うのが楽しくて楽しくて仕方がなかった。
今の私の授業指針と教室活動はこの経験から体得したものだ。
そして、私は「自分が楽しくないと生徒も楽しくない。」と思うようになった。だから、私は自分自身が全力で授業を楽しんで、力いっぱい笑っている。
本当に土曜日が待ち遠しかった。幼稚園児のようにスキップしながら通った。やはり、これは、先生の工夫された授業内容とお人柄と力量だろう。
英会話教室はテキストを使わなかった。先生作成のオリジナルプリントだ。
フランス語教室はテキストも使ったが、先生独特の哲学的な問題が好きだった。
私は、今、その先生たちの足元に及んでいるだろうか?
私の生徒たちは、今、土曜日を楽しみにしているだろうか?
奇想天外な英会話教室の教え
ここで感銘を受けた授業内容に少し触れよう。
20年位前は「おっ、外国人が前から歩いて来ている。」ドキドキ。
まだまだ天神を歩く外国人は珍しかった時代。今では考えられないほどだ。
そんな時に入ったその英会話教室の教えは、奇想天外。
「私がアンタの国の言葉をしゃべってやってんだから、アンタが私の英語を
理解しなさい。」この位の強い気持ちでしゃべるように!!と。内面の底上げだ。日本人の持つシャイな性格に発破を掛けてくれた。恥ずかしがらないで、と。
実は、私の辞書には“シャイ”という文字はない。年齢を重ねるほどに。
でも「うんうん、確かにそうだよな。」と妙に納得した。
そして、宿題は外国人に話しかけること。
「エッ!何を話せばいいの?」お陰で変な度胸がついた。
ある日駐輪場で「Good morning」と外国人に話しかけたら、
「おはようございます。」と日本語で返って来た。ちーん。終わった。。。
ただ、何度か話しかけてわかったことがある。
こちらから見ると《外国人=英語》の先入観があった。
そして、英語で話しかけられるのが嫌な人もいた。
英語がわかっていても「どうして英語の挨拶をしなければならないんだ!
俺は俺の国の言葉がある。」「そっか、そうだよなぁ~」と激しく同意。
その話をスティしてた何人かに言ったことがある
すると「アメリカ人に間違えられるのが一番嫌だ。“英語を話す人”に見られるのが嫌だ。」との答え。今までごめんねぇ~みんなアメリカ人に見えちゃうのよ。
そうだ。先入観もポーイとゴミ箱へ捨てなければ。
長くなったついでに書くと、《怒りの英会話》なるものも教材の一つだった。
要は、ぼったくられたままの日本人がそのまま引き下がらない英会話だ。
例えば、本当は300ドルのホテル代なのに500ドルの請求がフロントであった。
怒りを前面に出し、最後はテーブルをドンと叩いて「マネージャーを呼べ!」と言わなければならないロールプレイ。受付係役は外国人。本番さながらの迫真の演技をシャイな日本人が魅せる魅せる。やればできるじゃないか。
【次回】経験は心の財産(後編)(2/24公開)