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ほんとうに、出会い方の問題なのか

結婚相手や恋人探しを前提に作られたマッチングアプリは、今や日本でもかなり市民権を得てきているように感じる。
かれこれ15年ほど前にはまだ「出会い系」と呼ばれ、未成年が犯罪に巻き込まれるなど悪いイメージも多かったインターネット上での出会いの場。それがかなり整備された昨今の「オンライン恋活・婚活マッチングサービス」は、消費者庁が「2026年には1,657億円になる」との予測を立てるほど、しっかりと収益の見込める市場となった。(Mitsubishi UFJ Research and Consultingによる2021年12月23日付の資料より。)アメリカ某大学の研究によれば、アプリで知り合って結婚した男女はリアルで知り合った男女より、2倍も離婚する確率が低いとも言われている。

アプリを使えば、とりあえず恋愛対象になりうる誰かと出会うことは可能だ。ロックダウンや自粛の雰囲気も終わりつつあることで「なかなか出会いの機会がなくて…」という言い訳がしづらくなってきているとも言えるかもしれない。

私の周辺でも人種に関わらずマッチングアプリ(英語圏ではデーティングアプリと呼ばれている)を使ったことのある人は多く、恋人や結婚相手をマッチングアプリで見つけたという話をよく耳にするようになって久しい。種類も数年前と比べてかなり多様化してきており、複数のアプリを同時進行で使う強者もいる。私のバンクーバーでの友人Bがそうだ。

カナダ人のBとは、前職で知り合った戦友である。昨年、奇しくも同じような時期に、お互い長年付き合っていたパートナーと別れた。もっとBと遊べる機会が増えるかと内心期待していたのだが、彼女はアプリを駆使し、さくっと新しい恋人を作った。そのため彼女のソーシャルライフの中での私の優先順位は、思ったより浮上しなかった。ちょっと悔しい。

当然ながら、友人Bと私は違う人間だ。私にはBと比べて恋人がいない時期も長かったし、独身を楽しんでいる自分がどこか欠けているとも思っていない。友人たちに勧められてアプリを使ってはみたものの、結局「アプリを使っての出会いが、自分には合わなかったのかもしれない」という結論に至った。


バンブルという名のアプリを試した直近の2ヶ月間で、マッチングしてメッセージをしたのは20人くらいだったと思う。女性である私側から返事が返ってくるという状態自体に舞い上がっているのか、悲しいかな、とにかく私の返答を「ちゃんと読んでいない」人が3割強いて、かなりエネルギーを吸い取られた。
例えば「How was your day?」といった質問に対し、自分の仕事のことなど、さらに私に対する質問ができるようなヒント(これをbids for connectionと呼ぶらしい)を織り混ぜて私が答えても、それに対する反応がたったの一言もない。代わりに「相手も自分に関心があるんだ!だからメッセージが返ってくるに違いない」と、自分語りの長文が送られてくる、と言った具合の噛み合わなさ。

言葉のキャッチボールを通して、互いについてある程度知った上で「実際に会ってみても問題なさそうか」を判断するのが、メッセージの段階だと私は理解している。ところが、相手が自己開示をほとんどしないまま矢継ぎ早に質問を送ってきたり、自身の趣味の話題や日々の出来事が長々と送られてくると、まるで一人でバッテイングセンターに立たされたような感覚に陥った。打てもしない豪速球を連発してくる相手は何キロも離れた先にいて、目視できない。

そんな中、メッセージ上では「極めてそつのなかった」東欧系の男性に誘われて、試しにカフェで一度会ってみた。彼は論理的で大変頭の良い人であった。緊張していたせいもあるのか、彼は80分の間、ほぼノンストップで話し続けた。(事前にタイマーをかけておいて本当によかったと思う。)私にする質問はあまり用意して来なかったのだろうか、私の投げかけた質問に対してHow about yourself?と返される以外には、私から自己開示をするタイミングもほとんど無かった。

別れ際に連絡先も聞かれなかったし、次会う予定を提案されることもなかったので、その人とは金輪際縁がないものだと思っていた。が、予想に反してその翌日から「今日何してる?次いつ会える?いつでも合わせるよ。今日の僕の1日はね…」と自分にはない熱量のメッセージがバンバン送られてくるようになり、再び「ひとりバッティングセンター」に立ち戻った気分になった
彼は私の生い立ちや、情熱を注いでいる仕事のこと、大事な家族のこと、なにひとつ知らない。笑顔で話を聞き相槌を打っていただけの、よく知りもしない私にまた会いたいと言う。それをどうにもやるせなく感じた。

ここまで書いておいて失礼かもしれないが、「結婚も見据えたお付き合いの条件」だけで判断するならば、この男性は悪いところが概ね見られなかった。シャイで女性慣れしていない、理系でごく真面目な、経済的にも自立した男性である。生理的に受け付けられないと思うような不潔な服装でもなかった。ということは逆に言えば、今のわたしは、彼氏を必要としているタイミングではないのだ!と理由を付けて、早々にアプリを退会して消した。至って清清しい気分になれた。多分相当に疲弊していたのだろう。

恋人の絶えないタイプの人であれば「せっかく素敵な私に好意を持ってくれて、向こうも心を開いていろんな話をしてくれてるんだし。それにまた会いたいと言ってくれているのだから」と前向きに考えたかもしれない。でも私はそうではなかった。二度目のデートのお誘いは丁重にお断りした。無理して会話を続けるよりよっぽどマシに思えた。

よくよく考えてみれば、頼れる親族がいない異国の地で「オンラインでの結婚相手、恋人探し」という、目的がある程度はっきりした場を通して出会った赤の他人に、短期間で「信頼感」を覚えるというのは、相当難しい曲芸なのかもしれない。これは英語レベルがどうの、という問題でもない気がしてきた。

友人Bにこの話をすると「It was not the vibe.」と言われた。気が合わなかったのね、という意味だ。が、それ以前に、自分の幸せを「恋愛や結婚」という、既存のわかりやすい型に無理に捩じ込もうようとしている、その歪んだマインドセットと向き合った方がいいような気もしている。本当は、元彼や周りの目を気にして「出会いがないので、一応、アプリで努力はしてみたんですけど…(結局いいご縁がなくて…)」と言い訳ができるように、パフォーマンスとしてアプリを使用してみたのではないか、とさえ思えてきた。全くひどい当てつけである。そんな「周りの目」というは、実は「自分の思い込みの中」にしか存在しないというのに。



現在フリーの友人たちは「趣味のサークルやボランティアの集まり、またはよく行くカフェで定期的に顔を合わせる人など、生活圏内にいい人はいないものか」と口を揃えて言う。私も含めて皆、職場や業界の9割以上が女性なため、職場結婚は見込めないし、誰かがいい人を紹介してくれるわけでもない。趣味やボランティアを通して「自分が楽しく活発な毎日」を過ごしていたら、いつかいい人に出会うかも。あくまで「自分が楽しく生きることが先決で、出会いはあくまでその副産物(でも欲を言えばパートナーが欲しいな)」というスタンスでいる。この括弧書きの部分を全面に持ってこれないのが、親元離れた都会で、一人暮らしを謳歌しすぎている私たちの現状だろう。パートナーと言う概念が自分のそばにいたら心強くて楽しいだろうな、と夢見はするものの、実際彼氏がいないことで日常生活に支障が出ているかと問われると、全くそんなことはない。毎日は楽しく気楽で、至って充実している。

自分のことを好きな自分でいるために、今は彼氏も恋人も要りません。そう言って開き直ればいいのに、どうして私は架空の「人様からの声」を気にして自分に無理させてしまったのだろう。まあ何事も経験。当分はポップコーン片手に映画館に通う休日を楽しみに、趣味に仕事に、邁進していく所存です。
何も解決しちゃいないけど、今はそれでいい。とりあえず温泉に浸かるみたいに心を回復させたい。

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