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スイミーから考える

2年生の教科書で見た?

出典:http://www.amazon.co.jp/

スイミーは逃げ足が早い

スイミーはたくさんの赤い魚の中で一匹だけ真っ黒。
そして逃げ足が速い。

スイミーの群れを襲った「大きなまぐろ」から逃げられたのはスイミーだけでした。

なぜ逃げるのか

単純に「大きなまぐろ」に襲われたら怖いと思うし、食べられたくはないですよね(^_^;)

だけど、食べられること自体は自然界では当たり前の事で、「小さな赤い魚」は「大きなまぐろ」の一部になった、ただそれだけの事なんです。

そうやって大きな魚が生きていくこともまた、自然界に必要なことですから。

そうして成り立っている自然界で、「自分を守るための本能」が他より少し高い個体もあるということ。
それは生き物が発生した当初から脈々と受け継がれてきたものだから、いいことでも悪いことでもなく、自然なことなんです。

だけど、「小さな黒い魚」という遺伝子をひとりで守っていかなければならないスイミーの孤独というのは…みんなと一緒に「大きなまぐろ」に取り込まれておいた方が楽だったのでは?とも思ってしまう自分です。

不登校と「逃げ」について

ここで、スイミーの「逃げ」を不登校の「逃げ」に重ねて考えてみたいと思います。

「なぜ学校に行かないの?」という質問に、なんと答えても理解してもらえないと感じるのは、不登校が「逃げ」であるのが事実だからです。

学校が楽しい子、もしくは、がんばって学校へ行かなくちゃと思っている子にとっては、「逃げるなんて悪いこと」って思うのが自然で、きっと理解は難しいですよね。

では、なぜ逃げるのでしょうか?

「学校がいやだから、めんどくさいから。」

それも事実です。

「ほら悪い!」って言いたくもなりますよね(^_^;)

だけど、理解してほしいのは、「なぜ学校をいやでめんどくさい場所だと感じてしまうのか」ということなんです。

これから語る事は、学校から逃げ出したいと感じていたあの頃の自分の思いなので、不登校の子がみんなそうだというわけではありません、悪しからずm(__)m

大きなまぐろに食べられる

スイミーは「大きなまぐろ」から逃げました。

私にはあの頃、学校が「大きなまぐろ」のように見えていた気がします。

そして今も、社会というか、「企業」とは「大きなまぐろ」なんじゃないかと感じます。

自分が自分でいられなくなる、「大きなまぐろ」の一部になってしまう。それが怖い。どうしようもなく、「怖い」と感じてしまうのです。

今だから考えられること。

私は決して、「大きなまぐろ」の一部になってしまった仲間達の方が「負け」だとかそう思っている訳ではなくて…

「大きなまぐろ」、つまり「企業の一員」として生きられる仲間達がうらやましくてならないのです。

「大きなまぐろ」だからできること、たくさんの力を集めたからこそ、とっても力持ちでかっこいいんですよね。

だけど自分にはそれができない。どうしても「自分」を守ってしまう。逃げてしまう。

なぜ自分がこうも「自分」にこだわってしまうのか。
それはもう、遺伝子に組み込まれた気質で、逃げ足が速いのだから、しかたないんじゃないかと思うことにしたのです。

スイミーは旅に出る

スイミーの絵本の醍醐味はここ。

暗い海の底でひとりぼっち。
こわくて、さみしくて、悲しい思いをしていたスイミー。
だけど、すばらしいものや面白いものをたくさん見つけて、元気を取り戻していくのです。

私は、学校が合わない子は、旅に出るべき子なのだと思います。

すばらしいもの、おもしろいもの。

広い世界を知ることで、自分に気づく経験。

あらためて仲間に出会ったスイミーは、仲間と力を合わせて、「自分が自分のままで、大きなまぐろに立ち向かう方法」を見つけました。

「ぼくが目になろう」と、自分の個性を理解した上での役割も見つけました。

これは、スイミーが自分らしさを理解し、受け入れた結果なのだと思います。

色とりどりの世界

スイミーの絵本には、実に色とりどりの海の中が描かれています。

まぐろも、小さな赤い魚も、スイミーも。

それぞれできることは遺伝子によって違うのだけれど、誰もが一生懸命に生きているのが世界なんです。

スイミーが逃げたら、ぜひ旅のみやげ話を待ちながら、自由に泳がせてやってほしいと思います。

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