学びのシェアレポート「ありのまま」の探求
はじめまして
はじめまして、あすままです。
子どもが不登校になり、抱えきれない悩みを誰かと分かち合いたくて、「Mix不登校から考える会」というコミュニティを作り、いろんな方とお話しするようになりました。
自分の探求からの学びと気づきが、他の誰かにとっても「新しい生き方」へのきっかけとなることを願ってシェアしたいと思います。
この動画の音声はすべて、無料で使えるWeb音声合成サービス『CoeFont STUDIO』(コエフォントスタジオ)を使わせていただいております。
「自己肯定感を持つ」ということ
学校へ行けないことの孤独や不安を解消したくて、情報を探し求めました。
そして、登校拒否・不登校問題全国連絡会世話人代表をつとめていらっしゃる高垣忠一郎先生のお言葉から、「自己肯定感」の大切さに気づきました。
子どもに対しても、自分に対しても、「ありのままを受け入れる」という事が、苦しみのトンネルを抜ける鍵であると思うようになりました。
「自己肯定感」とは、自分が自分であって大丈夫と思えること。「ありのままを受け入れる」…「ありのまま」とは何なのか?どうすれば受け入れられるのか?受け入れたら一体どうなるのか?
「あるべき姿」にとらわれ続けてきた自分には、「ありのままを受け入れる」ということがなかなかできなくて、「ありのまま」の探求をするようになりました。
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登校拒否・不登校問題全国連絡会
https://zenkokuren.jp/association/leaflet
「子どもの自己肯定感」を傷つけていたこと
ありのままを受け入れることが難しい現状について、自分が考えた事をお話します。
学校へ行けない子どもの将来が心配で、不安で、「取り返しのつかないことになるかもしれない」という焦りから、「ちゃんと学校にいかないとダメな大人になるよ!」などと、強い言葉で、登校を無理強いしていました。
子どものありのままの気持ちは「学校へ行きたくない」ことなのに、その気持ちを否定して、子どもの自己肯定感を傷つけていたことに気がつきました。子どもに対して強い口調になってしまうのは、自分の不安や焦りをぶつけていただけだったということにも気がつきました。
ではなぜ自分は不安で焦ってしまうのか、その不安はどこからくるのかを考えてみました。そこには、「役立たずな大人になったら生きていけない」という気持ちがありました。そして、「本当に役立たずな大人は生きていけないのか?」と考えたときに、それは誰かへの否定につながる偏見であり、思い込みであると気づきました。
そして、自分は「周りと違う自分」になる事に劣等感や罪悪感を抱えながら生きてきたことに気がつきました。
不安の原因は、自分自身への自己否定だったのかもしれません。
自分自身が学校を苦しいものだと感じながら、それをがまんしてやり過ごし、その延長線上に今もたっていることが、子どもにがまんを強いる結果となっているように思えました。
「人と違う」ということ
なぜ学校が苦しかったのか、自分は何をがまんしてきたのか、苦しみながら登校する、「苦登校」をしてきた自分の過去についてお話します。
私はずっと、周りに合わせることを苦しいと感じていて、「人と違う自分」に悩みを抱えて生きてきました。
何をやっても不器用で時間がかかる自分にとって、学校でみんながやっている「あたりまえのこと」に合わせることは、常に全力疾走をさせられているような、とても疲れることでした。
学校では、みんなが一緒に楽しく話している輪に入ることが苦手で、かげからそっと見ているだけの存在でした。本当はみんなみたいに、一緒に楽しくお話したくて、うらやましく思っていました。
どのグループにも入れない孤独を感じながら、居場所のない学校へ行かなければならないことは自分にとって大きな苦しみでした。
自分は、「なんで生まれてきたのか?なんのために生きるのか?」ということを、とても幼いころから不思議に思い、考えていました。なにをやっても「なんで?」という疑問が浮かんでしまう、ひねくれた子どもだったのです。
みんなみたいに無邪気に楽しみたくても、「考えてしまう自分」は無邪気にはなれませんでした。自分らしくあろうとする芯が強くて、納得できないままなにかをやらされるとすごくモヤモヤしました。その場に合わせてどうふるまえばよいのか、場に合わせることが苦手で、演技をしているようで恥ずかしくなってしまう自分でした。
思ったことを言葉にできず、口に出せないモヤモヤをずっと抱えていました。表面的に人に合わせてふるまう事はできても、もっと伝えたい深い思いを自己表現できなくて、コミュニケーションが苦手で苦しいと感じるようになり、人と関わることを避けるようになっていきました。
学校へ行って「みんな仲良く」とか「一致団結」とか言われると、どうふるまえばよいかわからなくなりました。ひとりでいることは「学校」で求められる姿ではないと感じたので、なんとか加わろうと頑張っていましたが、それは表面的に合わせているにすぎなくて、「本当の自分」を隠している、否定しているような気がして、苦しみを感じていました。
苦登校していた自分の過去
このように、学校は自分にとって苦しいだけの「行きたくない場所」でした。それでも、学校に通えない自分になってしまったら、誰からも相手にされず、見放されてしまうかもしれないと不安でした。
「人と違う自分のままではいけない、がんばって普通になって、みんなみたいにならなければならない」と、悩んでいることをかくして、必死に「普通」を装って学校に通っていました。
学校でうまくふるまえない自分は、社会に出てもきっときらわれる。仕事ができなくて、お給料をもらえないかもしれない。社会にとって、自分は迷惑でしかない存在かもしれない、と思うようになりました。
そんな毎日は自分にとってつらくて苦しいだけの日々で、私は自然と「学校へ行く意味」や、「社会への関わり方」について、「生きる意味」についてなど、深く考えるようになりました。
「生まれてこない方がよかった」自分自身をそう思ってしまう自分が、自分を一生懸命育ててくれている親までをも否定する存在のように思えました。
「大事に育ててもらっているのに、自分みたいなダメな子どもが生まれてきてしまってごめんなさい」と、毎晩ふとんに入るとかくれてこっそり泣いてるような子どもでした。
「明日からは、新学期からは、中学生になったら、高校生になったら、社会人こそは」と、機会があるごとに「明るい自分」に変わろうとしました。でも、何をやっても変われない自分でした。
「どうせ何をやってもだめな自分」そう思うと、何もかも投げ出したくなるような、無気力になる感覚もありました。自分に関わってくれる人に迷惑をかけてしまう度に、「自分なんかが生きていてごめんなさい」という罪悪感を感じました。
なんとかして自分を変えたいと思い、たくさん悩んで、考えました。本を読んだり、インターネットを見たりして、情報を探し求めました。
「自己否定」と共に生きてきたこと
自己否定のかたまりだった自分にも、ご縁があってパートナーができました。「結婚」を前提にお付き合いをするにあたって、「家庭を持つ、子どもを生む」という選択肢の前で、とても悩みました。
正直なところ、「生まれてこない方がよかった」と自己否定している自分に、子どもを生む資格があるとは思えなかったからです。結婚も出産もするべきではないと思えてなりませんでした。
それでも、自分を必要としてくれるパートナーと一緒に過ごせることの喜びはとても大きくて、もしも自分の存在がパートナーにとっての幸せにつながるのなら、一緒に生きてみたいという思いもありました。「この人と一緒なら自分も変わっていけるんじゃないか」という希望を感じて、がんばれば自分を変えられるかもしれないと思えました。
気持ちは揺れ動き、自分みたいにダメな人間が生きていてはいけないという思いと、そんな自分を変えたいという思いの狭間で、すごく悩みました。
結婚して子どもができて、もし自分が変われなかったら、だめなママになって子どもを不幸にさせたらと思うと、子どもを生む決断というのはとてつもない「覚悟」の必要な事でした。
子どもを生むからには、絶対にあきらめるわけにはいかない、「生きる価値のある自分」になれるように、がんばるしかない、変わらなくちゃいけないと思いました。
実際に、自分にできる限りの努力はしてきたつもりでした。
だからこそ、子どもから「学校へ行きたくない」と言われた時、本当にどうしてあげたらいいのかわかりませんでした。
「子どもにも自分と同じ悩みを抱えさせてしまったこと、不幸にしてしまったこと」に大きな罪悪感を感じ、「どんなにがんばっても、なにもしてあげられない自分、子どもを幸せにしてあげられない自分」に絶望しました。
将来が不安で、いてもたってもいられなくて、「ちゃんと学校行かないと、この先、生きていけないよ!」などと、子どもに強い言葉をかけてしまったこと、自分の不安をぶつけてしまったことを、今もずっと後悔しています。
それでも、あきらめるわけにはいかず、「なんとか子どもに幸せを感じてほしい」と願って、情報を探し求める日々が続きました。
「ゴードンメソッド(親業)」との出会い
情報を探す中で、大きな希望を感じたのが、「ゴードンメソッド(親業)」との出会いでした。
自分自身への自己否定をやめて、ありのままの自分を受け入れられる希望を感じました。「学校へ行きたくない」という子どもを、ありのまま受け入れることができるという希望も感じました。
ネット検索で見つけた「ゴードンメソッド」という手法から、大きな気づきと希望を得ることができたのです。ゴードンメソッドとは、心理学をベースにしたコミュニケーションのメソッドです。
自分はこれまで「コミュニケーションが苦手」という理由でコミュニティになじめず悩んできました。
そんな根深い「コミュニケーションの問題」にも、体系立てて学べる場があるという事、しかもその方法は日本だけでなく、世界に共通のもので、43カ国、700万人以上の人に、50年以上にわたり学ばれ、使われてきた実績のあるメソッドであるということに、大きな希望を感じたのです。
ゴードンメソッドでは、「話す」「聞く」「対立を解く」という3つの柱を身につける事を目指します。
ゴードンメソッドを使ったコミュニケーションには、押し付けや否定がなく、「ありのままの自分」と「ありのままのあなた」で対話する事ができるメソッドです。
全ての人がこのコミュニケーション方法を知っている世界なら、どんなに気持ちのよい世界になるだろうという大きな希望を感じました。
そして、親子だけでなく、教育、介護、看護、職場やプライベートまで、どこでも共通して使えるコミュニケーション方法として、ぜひゴードンメソッドが社会全体に認知されていくことを願ってやみません。
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親業訓練協会
https://www.oyagyo.or.jp/contents/index.html
書籍「親業」
https://www.amazon.co.jp/dp/4479011137/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_7T6XS83BD05FZZT95GSA
言葉のキャッチボール
ゴードンメソッドの聞き方は、「受容したよ」が伝わる聞き方です。
「白いボールを白いまま返す」という言葉のキャッチボールのお話を聞いて、「そうだ、あの頃、そうやってただ話を聞いてほしかったな…」と、幼いころを思い出しました。
私が投げた言葉のボールは、「わがままばかり言ってないで」「屁理屈いうんじゃない」などと受けとってもらえなかったり、「そうじゃない」と塗り替えられて返されたり、「あなたはそう思うんだね」とそのままのボールが返ってくる体験をしてこなかったことに気がつきました。
自分の話に興味をもって聞いてもらえないことが、「自己否定」につながること。「ありのままの自分の話には誰も興味がない」「自分なんて」と思う事で、自己肯定感が傷つくこと。「親は自分を大切に育ててくれたのに、なんで自分はだめな人間になってしまったのか」と悩んできたことの原因が、コミュニケーションの問題だったことに気がつきました。
ゴードンメソッドは、アメリカの臨床心理学者、トマス・ゴードン博士が開発されたコミュニケーションプログラムです。
ほとんどの親は、親としてのふるまい方を自分の親からしか学びません。子育てに関するさまざまな情報や知識の中から、何が本当に正しいのかは、それぞれの親が手さぐりで、試行錯誤しながらつかみ取っていきます。
きちんと学ぶ機会もなく親になるのだから、「子育てが思い通りにいかない」家庭もあるというのは、当然のことだと思えました。「コミュニケーションをきちんと学ぶ場」というものを、自分は、今すごく必要としているように感じます。
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トマス・ゴードン博士ホームページ
https://www.gordontraining.com/
やんちゃな子、あつかいにくい子がかわいく見えるゴードン・メソッド
やさしい言葉のキャッチボール
nicotto
https://www.nicotto-parent.com/gordon-model/listen/
「ありのまま」で生きる意味
ゴードンメソッドは、相手の言葉をそのまま受け止め、相手を知ろうとする取り組みです。ゴードンメソッドのコミュニケーションがある世界は、自分をまるごと受け入れてもらえる世界であるといえます。
自分を丸ごと受け入れてもらうということは、自分が自分である事こそが大切ということです。「ありのまま」で、どんな人でも受け入れられる世界とは、これまで一生懸命追い求めてきた「正しさ」や「理想」や「常識」とは何だったのでしょうか。
ただ「ありのままでいい」ということが、なかなか納得できないと感じ、そこからまた深く考え、探求を続けました。
「スピノザ哲学」からの気づき
「スピノザ」は17世紀オランダの哲学者で、その主張は「汎神論」とも言われています。
私がスピノザを知ったきっかけは「宗教への疑問」からでした。人類が大昔から心の救いにしてきた「宗教」を学べば「ありのままで生きる意味」が見つかるかと思った自分ですが、どの宗教も腑に落ちなくて、ピンときませんでした。「自分は無神論者なのだろうか」と思って無神論の視点からネット検索したところ、「無神論」とも「汎神論」とも言われている「スピノザの哲学」を見つけました。
スピノザの言葉に、「神すなわち自然」という言葉があります。スピノザの言う「神」とは、宗教的なものというより、自然科学的なものと言えます。
水が高いところから低いところに流れるように、この世界の出来事は何らかの自然の法則にしたがって形作られています。自然の姿から見えてくる法則のようなものをスピノザは神と呼んでいる、と私は理解しました。
あの有名なアインシュタインが、「私はスピノザの神を信じます」と話したという逸話があります。宗教に否定的だったというアインシュタインが唯一信じたのが「スピノザの神」だったのです。
私にとっても、「唯一納得できる「神」の捉え方」が「神、すなわち自然」という「スピノザの神」だったのです。
ですが、正直なところ、スピノザの著書である「エチカ」という本は、自分にはほとんど理解できませんでした。國分功一郎さんという日本の哲学者の方がとてもわかりやすく解説してくださったおかげで、スピノザ哲学を生活に活かすことができるようになったのです。
「すべての個体はそれぞれに完全である」
この捉え方で生きると、「子どもは未熟で何もわからないから教えてあげないと」ではなくて、「大切なことはすでに子ども自身の中にあるから、それを最大限に引き出せるのがよい関わりかたである」という考えに自然となっていきます。
「「力」こそ物の本質である」
「力」とは、「自分の存在を維持しようとする力」のことです。
「のどが渇けば水を飲みたくなる」ように、自分を保つための「欲望」とも言えますが、ラテン語で「コナトゥス」と呼ばれる概念なのだそうです。
私たちはそれぞれの自分自身に「自分らしくあろうとする力」が備わっています。自分が直観で「こうしたい」と感じて動く時に「自分らしくあろうとする力」が発揮されます。自分らしさを発揮できる事を「自由」と呼びます。一人ひとりが「自由」に生きられることが「社会」の安定につながるというのがスピノザ哲学です。
「自分らしさに固執してしまうと社会に矛盾するのではないか」という疑問について考えます。
「自分らしくあろうとする力」は、「心地いい」と思える時、人と人とがうまく関係を築けている時に最大限に発揮されます。つまり誰かが犠牲になるような社会は、「一人ひとりが自分らしくあろうとする力」を発揮できない、悪い組み合わせの社会であって、不自由な社会と言えます。
ひとり一人が「自分らしくあろう」として心地よい関係に組み合わさっていくことで、「一人ひとりが自由に生きられる」社会が成り立ちます。つまり、一人ひとりが自分らしさを発揮できる社会、自由に生きられる社会こそが安定した社会、ということなのかな、と私は理解しました。
そしてそれは「ありのままの自分」で生きられる社会に他ならない、とも感じました。とはいえ、現実は「一人ひとりが自由に生きられる社会」とはほど遠いようにも感じられ、そこからさらに「社会」に目を向けて「ありのままで生きられる社会」への探求を続けました。
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書籍『はじめてのスピノザ自由へのエチカ』
私たちはまだ、「自由」を知らない――。
覆される常識の先に、ありえたかもしれないもうひとつの世界が浮かび上がる。
気鋭の哲学者による、心揺さぶる倫理学(エチカ)入門。
★現代人の「思考のOS」を書き換えるスピノザ哲学のエッセンス★
https://www.amazon.co.jp/dp/4065215846/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_CZ9EQXG2DT4STBGZ7CFB
「生命論パラダイムの時代」
いろいろと情報に出会う中で、田坂広志さんの「生命論パラダイムの時代」という講演を聞いて「ありのままで生きる社会」の可能性を感じました。パラダイムとは、「世界観」、世界をどんなふうに見るかという視点の事です。
社会を、機械的システムであると見なして管理しようとする視点を「機械論パラダイム」と呼ぶそうです。機械のように自動化して、より早く、より多くの生産を可能にしてきた社会は、生活を豊かにしてくれました。
これに対して、社会を生命的システムであると見なして、人と人との相互作用で成り立っていくもの、自己組織化していくものとして見る視点の事を「生命論パラダイム」と呼ぶそうです。生命論パラダイムで成り立つ社会は、私たち一人一人の「自分らしさ」が影響を与え合うことで成り立っていく、変化する社会ともいえます。
機械論パラダイムで成り立つ社会は、社会の一部として機能する役割の決められた社会、「自分らしさ」が発揮できない不自由な社会でもあります。
自分が感じていた「生きる価値のない自分」とは、機械論パラダイムでみる社会の中に、自分の役割を見出せなかった自分であったと気づきました。
規則的に、効率的に、安定して機能する「機械論パラダイム」の社会の外側には、不規則で、不安定で、予測できない「生命論パラダイム」があること。「機械論パラダイム」の社会に役割を見出せなくとも、「生命論パラダイム」の社会では自分が生きているという事に何か意味がある。その意味を追究していくと、「知性を磨き、使命を知る」という田坂さんの言葉に行きついていくような気がしました。
田坂さんの講演の内容を全ては理解できていない、正しく理解できているのかもわからない、そんな未熟な状態で、今わかっている事、自分が学んだことだけをここでお話しています。
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田坂氏
(動画概要欄より)
東京大学大学院修了。工学博士(原子力工学)。2003年から、社会起業家フォーラム代表として、21世紀における資本主義の進化のビジョンを語り、社会起業家の育成と支援を通じて社会の変革に取り組んでいる。2008年、ダボス会議を主催する世界経済フォーラムのGlobal Agenda Councilのメンバーに就任。2011年、東日本大震災に伴い内閣官房参与に就任。2013年、思想、ビジョン、志、戦略、戦術、技術、人間力という「7つの知性」を学び、「21世紀の変革リーダー」への成長をめざす場、田坂塾を開塾。現在、全国4500名の塾生とともに研鑽を続けている。
生命論パラダイムの時代
https://youtu.be/kvx49dBXiOg
命ある社会に生きる自分
そもそも、一人ひとりが生きるために社会というものを形作ってきて今があります。「社会のために、自分は役立たずだからいない方がいい」と思う事には矛盾がある、ということに気がつきました。「人は社会のために生きている」というのは、自分の思い込みだったと思えます。
この世界は、歯車が1個欠けたら動かないような機械仕掛けの世界ではなくて、一つ一つの細胞が元気でのびのびと育ちながら変化していく、命ある社会なのではないかな、と思いました。
一人ひとりの自由が社会の安定につながるというスピノザの言葉が、「生命論」という視点に立つことで納得できる気がします。
生き物としての自分を指す言葉が、カタカナ書きの「ヒト」であるとしたら、漢字で表す「人間」とは、人と人との「間」に生きるもの、「社会の細胞」として生きている自分を指す言葉のように思えました。
スピノザ哲学では善悪は物事の組み合わせで決まると考えることから、何と何がうまく組み合うかはやってみないとわからない、つまりスピノザ哲学は「実験」を求める哲学といえます。
やってみないとわからないなら、ゴールの設定はありません。人生に「あるべきすがた」を求めるのではなく、「ありのままのすがた」で社会に関わっていく、実験に挑むことこそが求められている、と思えました。
実験には「成功」も「失敗」もありません。結果はすべて「成果」となります。実験の成果を積み重ねることによってのみ、自分らしさが発揮されていくのだと思います。
私たちは、自分の直観に従って生きること、自分を表現すること、それが心地よくできるつながりを広めていく中で、相互作用しながら、社会という大きな命を形作っている、そんな風に理解しました。
スピノザ哲学や、生命論的な視点から社会を見ることで、自分が自分らしくいることは宇宙の真理につながる大切なことだと思えるようになりました。そして、「自己肯定感を持つ」ということ、「ありのままの自分を認める」ということの意味に、心から納得できたように思えました。
「ありのまま」を大切に
「ナマケモノ」という動物は、非常にゆっくりでユニークな生き方をしています。それにはちゃんと理由があって、ナマケモノはナマケモノらしく生きることで、自然界に適応し、生き抜いてきました。
自然界の在り方は、「弱肉強食」ではなく「適者生存」だという言葉を聞いたことがあります。動物たちは、環境に適応するためにさまざまに進化してきました。だから生き物には多様性があります。
飛び抜けてユニークなナマケモノの生き方が、「ありのままで生きる生命の多様性」を象徴しているように思えたことから、ナマケモノにあやかってアイコンを作りました。このアイコンは、「ありのままの自分を大切にしよう」という意思の表明でもあります(*^^*)
このアイコンのイラストは、ココナラというスキルマーケットで
イラストレーターさんにお願いして描いていただいたものです。
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Business Journal
なぜ動きが鈍いナマケモノは絶滅しない? スゴすぎる動物のひみつ
https://biz-journal.jp/2019/03/post_27108.html
日経ナショナル ジオグラフィック社
ナマケモノ、実は賢い? 「生存に完璧に適応」
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/030200096/
ナマケモノやカメはなぜのんびり生きられる?
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/a/102000043/
つながりから、「学び」へ
自分が「ありのまま」で生きることの意味、「自分が自分であって大丈夫」ということには納得できました。それでも、コミュニケーションに苦手を抱えている自分が、いかに社会と関わっていくかという、現実の難しさには変わりありません。
「なんとか社会につながりたい」と模索する中で、偶然の出会いやご縁をたくさんいただきました。いろんな人とつながり、学ばせていただく中で、自分自身が成長してこられたと感じています。
まだまだ、「学び」の途中であり、「社会への関わり方」を模索している道半ばではありますが、「あきらめず歩いて行ける道」が見えたように感じています。私がつながりから学ばせていただいてきたことを、ご紹介したいと思います。
「HSP、HSC」とは
いろいろと情報を探す中で、HSP、HSCという気質がある事を知りました。
HSP、HSCの特性に、わが子も、自分自身も、当てはまっているような気がしました。
これまで、「人と違う事」の原因がわからず、不安で苦しんできましたが、そこにはちゃんと理由があったということが、客観的にも明らかになったことに、大きな安心感を感じました。そして、「同じ気質を持つ仲間がいる」とわかったことは、大きな希望につながりました。
HSPとは、Highly Sensitive Personの略で、子どもの場合はHighly Sensitive Childとなり、HSCとなります。生まれつき敏感で、 周りからの刺激を過度に受けやすい特性を持った人の事です。
1996年に、アメリカのアーロン博士が発表した学説に基づいた概念で、5人に1人がHSP だと言われています。「HSP」は特性であり神経系の特徴であって、治すべき疾病ではありません。
英語で記されたアーロン博士の著書、「The Highly Sensitive Child」を翻訳し、「ひといちばい敏感な子」という書籍で日本にHSCの情報を広めてくださったのは、「子育てハッピーアドバイス」などの書籍でも有名な、精神科医の明橋大二先生です。
以下の四つの項目すべてに当てはまる人がHSPだと言われていて、頭文字をとってD・O・E・Sの4つで「ダズ」と呼ばれています。
4つの項目のうち、ひとつ目は、「深く処理する」ということです。
・一を聞いて、 十のことを想像し、 考えられる
・調べ物をはじめると深く掘り下げ、 その知識の広さを周りに驚かれる
・お世辞や嘲笑をすぐに見抜いてしまう
・物事を始めるまでにあれこれ考え、 時間がかかる
・その場限りの快楽よりも、 生き方や哲学的なものごとに興味があり、浅い人間や話が嫌い
4つの項目のうち、ふたつ目は、「過剰に刺激を受けやすい」ということです。
・人混みや大きな音が苦手
・友達との時間は楽しいものの、 気疲れしやすく帰宅すると、 どっと疲れている
・映画や音楽、 本などの芸術作品に感動して涙を流すことが多い
・人の些細な言葉に傷つき、 いつまでも忘れられない
・世間的に些細なことでも過剰に驚いてしまう
4つの項目のうち、みっつ目は、「感情反応が強く、共感力が高い」ということです。
・人が怒られていると自分のことのように感じ、 傷ついたり、 お腹が痛くなったりする
・悲しい映画や本などの登場人物に感情移入し、 自分も傷ついてしまう
・人のちょっとした仕草、 目線、 声音などに敏感で、 機嫌や考えがわかる
・言葉を話せない幼児や動物の気持ちも察することができる
4つの項目のうち、よっつ目は、「ささいな刺激を察知する」ということです。
・冷蔵庫の機械音や時計の音が気になってしまう
・強い光や日光のまぶしさなどが苦手
・コンビニの匂い、 タバコの臭いで気分が悪くなる
・カフェインや添加物に敏感に反応してしまう
・肌着のタグなどチクチクする素材が我慢できないほど気になる
・第六感や直観に優れている
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書籍『ひといちばい敏感な子』
https://www.amazon.co.jp/dp/4925253840/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_P9ST9MKKW4CT295CWBVZ
「絡まった糸がほどけた」日本2400万人のHSPに朗報。HSP映画3作品が、ご自宅から視聴可能に。アーロン博士監修作品。
https://www.jiji.com/jc/article?k=000000006.000047860&g=prt
繊細の森 HSP専門カウンセラー 武田友紀
https://sensaisan.jp/
オンラインでプロジェクトに参加したこと
「HSC」の事を調べていくうちに、HSCに関するプロジェクトに出会いました。子どもにとって「安心安全の居場所」があることはとても大切ですが、「学校へ行くのがあたりまえ」の社会では、学校へ行かないで家にいることが親にとっても不安となり、家庭が安心安全の居場所ではなくなってしまうこともあるかと思います。
プロジェクトでは、HSCに必要な環境や接し方があることや、学校以外の選択肢があることを、書籍の発行を通して広く知ってもらおうと活動されていました。学校に行けないだけで、親も子も心に傷を負ってしまうような現状を、社会の「あたりまえ」から変えていきたい、そんなプロジェクトでした。
「みんなの「あたりまえ」から外れてしまったら、居場所がなくなって、生きていけない」、そんな強い不安を感じていた自分にとって、「あたりまえ」を変えようというプロジェクトに参加する事はとても勇気の必要なことでした。そんな自分でも参加する事ができたのは、このプロジェクトチームが、オンライン上のつながりだったからです。実生活では表立って意志表明する事ができなくても、「オンライン」だからこそ「思いを共にする仲間」とつながることができたのです。
ZoomやSlackを使ったオンラインコミュニケーションを初めて体験し、これまで実生活で出会うことのできなかった仲間に出会うことができました。
自分には無縁とも思えた、画面の向こうのやり取りに、実際に自分も参加できているという現実にただただ感動し、たくさんの発見や学びがありました。
自分の悩みや体験をありのまま誰かに話すということも初めての体験でした。自分が抱え込んできた悩みでさえも、この本を作る上では、大切な意味をもってメンバーに受け入れられ、ありのままを伝えることでチームに貢献する事ができました。自分の存在がチームへの貢献につながったという体験は、自分にとってすごく大きな自信となりました。
このプロジェクトにおいて、ありのままの自分を自己表現すること、そしてそれが否定されず、ありのまま受け止めてもらえることが、成長につながるのだと実感しました。
未熟な部分も含めて、現時点でのありのままの姿が受け入れられてはじめて、自分自身を社会の一部として認識し、社会に目を向けて、人間として成長していくことができる、そう思いました。
地域のコミュニティとのつながり
プロジェクトの事をたくさんの人に知ってもらいたい思いから、「チラシを作って配ろう!」というアイデアがわきました。
当時は「心の悩みを誰かに話したい」と思いながら、相談の場所に行く勇気を持てずにいましたので、地元の相談場所はいろいろとチェックしていた自分です。悩みを持つ方の集まる場所にチラシを置く事で、このプロジェクトの可能性が広がるのでは、と思いました。
実際にチラシを作って「これを置いてください」と頼んで回る目的ができたことで、今まで行きたくても行けなかった相談場所にあちらこちらとつながることができました。はじめて自分から人に関われたきっかけが、このオンラインでのプロジェクトだったと思います。
「目的を持てば人につながれる」という自分の特性に気づけたお陰で、「話をしてみたいけど勇気がでない」、そんな時はまず自分から「目的を作る」というやり方で、関わっていけるようになりました。
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射水市子どもの権利センター ぱれっと
http://npo-palette.org/
コミュニティハウス ひとのま
https://hitonoma.net/
NPO法人 はぁとぴあ21
http://heartopia21.webcrow.jp/
Ponteとやま みやの森カフェ
https://ponte-toyama.com/
株式会社チャイルドパワー
https://www.child-power.com/
その一歩からの勇気
プロジェクトのおかげで、オンライン上では多くの仲間と関われたものの、実生活ではまだ、相談や支援をしてくれる人はいても、同じ立場の仲間を見つけられずにいました。
そんな時、ニュースで地元の方が不登校の子の学校外の学びの場を作る取り組みをされているということを知りました。「Switch不登校の子どもと親の会」を作られた主宰者の方のお話を聞いて、すごく共感し、共鳴を感じました。「この方とお話ししてみたい!」と強く思い、テレビ局に問い合わせをして、Switchの親の会に参加することができました。
オンラインだけでなく、実生活でも思いを共にする仲間に出会えたという喜びから、自分も、自分らしく生きる道を歩き出せるのではないかという希望をいただけました。
自らの思いをたくさんの人に伝えながら、新しい活動に取り組まれる主宰者の方の姿を見て、「ないものをいちから作る」その一歩に、その勇気にすごく感銘を受けました。
自分は、実生活での孤独を解消していくためには、オンラインだけではなく、地域ともっとつながっていく必要があると感じながら、動き出せずにいました。オンラインのコミュニティでは不安なく自分を表現できるのに、地域のコミュニティでは、なにか大きな不安を感じて、居心地の悪さを感じてしまう自分だったからです。
なぜ自分は、地域ではなく、オンラインに居心地の良さを感じているのか。
地域のコミュニティに感じる不安とは、居心地の悪さとは、何なのか。
その原因を解明して、新しいコミュニティ作りに活かすことができたら、こんな自分でも参加しやすい、地域のコミュニティが作れるのではないか、そう思いました。「オンラインとオフライン、両方でつながれるコミュニティならどうだろう」、そう思い立ちました。
なければ作ればいい、オンラインでのプロジェクトや、地元の親の会主宰者の方からいただいた勇気を奮い立たせて、自分でもコミュニティを立ち上げることを始めてみました。
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switch不登校の子どもと親の会
https://www.switch-toyama.org/
理想のコミュニティを考えてみる
誰にも関われなかった自分が、プロジェクトに参加できたのはなぜかを考えてみました。そこには2つの理由があったように思います。
まずひとつめの理由として、望めば誰でも参加できる「開かれた場」であったこと。そしてもうひとつの理由は、「参加する目的」がはっきりとしていたこと。
そして、参加してみて、チームメンバーとのやりとりに居心地の良さを感じた理由についても考えてみました。
一番の理由は、チームのコミュニティが、心理的安全性の高い場であると感じられたことだと思います。プロジェクトの企画から「書籍の出版」というゴールまで、プロジェクト主催者の方がずっとファシリテーターの役割を担ってくださっていました。チームメンバー全員に心を配り、場の調整をしてくださっていたおかげで、どんな発言も否定される事なく対話が成り立っていたのだと思います。
そしてもう一つの理由は、チームとしての在り方が「自由」であった事だと思います。もともと関係性のなかったメンバー同士が、「自分にできることを持ち寄る」ことでお互いを知り、関係性が生まれ、チームワークが発揮されていく過程がありました。
その過程において、自分がムリをしたり、背伸びしたりしてチームに合わせていくのではなく、それぞれのメンバーがありのままの自分を発揮し合い、対話を重ねながら、それぞれの収まるべきところに収まって、自然とチームが成り立っていった感覚がありました。
「よりよい書籍にしたい」という共通の目的のもと、対立も含めて率直な意見が交わされていました。妥協や忖度なしに、それぞれのメンバーが真剣に思いを発表し合える場だったからこそ、相手の人となりを自然と感じ取り、自然な流れでチームワークが発揮されていったのではないかな、と思います。
それに対して、地元のコミュニティに参加する際には、「親しくなる」ということを目的としていた自分に気がつきました。親しくなるために集まり、親しくなるための交流を行っているのだと認識すると、「関係性を保とう」として自分をよく見せようとしたり、妥協や忖度をして場の空気に合わせようとする自分がいました。
親しくなるために「相手のことを知りたい」と根掘り葉掘り相手のことを聞き出そうとしてしまう自分もいて、「どこまで聞いてもよいだろうか?」と、戸惑ってしまうのでした。
自分は「親しさで成り立つ関係性」の中に居場所をつくるのがとても下手な人間なのだと思います。
そうであるならば、企画を作って「参加する目的」を明らかにし、「なにかを一緒に取り組む仲間」として、真剣な対話が生まれるコミュニティをめざせば、自分でも参加しやすいのではないかと考えました。
とはいえ、どんなに考えても、はっきりと理想のコミュニティの形を想像することはできませんでした。「やってみたい」が先に立ち、「始めてみないとわからない」という思いで、あとは走りながら考えればいい、そう思いました。
もうひとつ自分にとって重要だった点は、「オンラインを通すからこそ伝えられる思いもある」ということでした。
プロジェクトでは、Slackというチャットツールを使って、主に文字でのやりとりをしていました。「チャットに書き込む」方法では、相手と違う時間軸でコミュニケーションができるため、じっくりと時間をかけて言葉を選ぶことができます。そのため、より深い思いを表現することができたり、相手の言葉から自分が受けとる情報も、じっくり味わうことができました。
表現力が追い付かずコミュニケーションに難しさを感じていた自分にとって、普段は口頭でしかコミュニケーションしていない相手とも、文字でコミュニケーションしてみることでより分かり合えることがあるのではないかという可能性を感じました。
また、ミーティングにはZoomというビデオ通話アプリを使っていました。
Zoomには、みんなの顔が並んで表示されますが、自分自身の顔も一緒に表示されます。まるで鏡を見ながら話しているようで、面白く感じました。
他の参加者と自分自身が並んで話しているのを客観的に見る事で、表情やあいづちといった非言語コミュニケーションの部分を磨く練習にもなるように思えました。
このように、オンラインツールは単に離れている人とつながるためのツールにとどまらず、オンラインだからこその利点があると思います。リアルに会える人とも、オンラインを使ったコミュニケーションを取り入れることで新しいつながり方ができるのではないか、と考えました。
まずは身近な人に、Zoomなどのオンラインツールを紹介したり、実際に使ってみる機会を作っていきたいと思いました。
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ZOOMアカデミージャパン
https://zoomy.info/
Slack
https://slack.com/intl/ja-jp/
やってみて、はじめてわかること
はっきりとした形の見えないまま、「まずはやってみよう」と始めてみたのが、「Mix不登校から考える会」というコミュニティです。
やってみて気づいたのは、自分事として何かをやってみると、「学び」に出会えるという事でした。やりたい事のために情報を探して、学んで、誰かにつながって、そこからまた気づきがあって、次にやりたいことが見えてくる、ということの繰り返しで、学びはどんどん広がり、深まっていきました。「主体的な学び」とはこういうことかと、大人になってやっと実感した自分です。
知るだけでなく、伝えようと言葉にしてみて始めて身に付く感覚がありました。せっかく「学び」に出会っても、自分だけのものにしておくと身につかない、という事にも気がつきました。アウトプットからの学びの大切さを感じましたが、「安心できる場と聞き手がいないとアウトプットは成立しない」ということを実感しました。
そして、思いきって相談やご協力のお願いをしてみるとどなたも真剣に話を聞いてくださり、「自分でも人に関わっていいんだ」と思えることが本当にありがたく、生きる不安が和らいでいきました。
不登校の苦しさとは、人と違うことの不安感、集団から外れてしまう孤独感、それらが将来への絶望につながってしまうことだと自分は思います。単に学校が合わないというだけで、こんなにも不安で、孤独で、絶望を感じてしまうのはなぜなのか。
「不登校から考える」というこの会の名前には、親である自分自身の凝り固まった価値観を見つめなおし、新しい生き方を求める道をここから始めたいという意味を込めました。まずは自分自身が居心地のよい生き方を見つける事、親が幸せであることが、ひいては子どもの幸せにつながっていくと信じています。
不登校の子を持つ母として、苦登校をしていた当事者として、いろんな人に話しかけてきました。そうしていろんな人と関わるうちに、新しい生き方が見えてきたような気がしています。
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Mix不登校から考える会
https://mix-takaoka.wixsite.com/website
「学びのシェア」でつながりたい
「命ある社会」の一部として、自分はどんな役割を担えるだろう。「学びとは、人と人とのつながりの道しるべである」と思うようになりました。
人とつながるために、自分をわかってもらいたい。そのために、ちゃんと伝わる表現方法を身に付けたい。そして、つながりの先にいる相手を理解したい。つながりの関係性を、より心地よくする方法を身に付けたい。
「自己表現のための学び」と、「他者理解のための学び」を、行ったり来たりしながら、人と人とのつながりはより心地よい方へ広がっていく。そして、一人ひとりが自分らしさを発揮できる社会の形に組み合わさっていく…そのようなイメージを持ちました。
これまで学校で取り組んできたような、テストのために詰め込む学び、人と自分を比べるための学びではなくて、本当に自分に必要な「学び」があることに気づくことができました。
「学び」を活かして人とつながり、つながりの先に「学び」が生まれる。
学びながら、つながりながら、一人ひとりが成長することで「社会」も成長し、変化していく。
正解からはずれてしまったらおしまい、という世界ではなく、自分も社会も、影響を与え合いながら変化していく世界。そういう視点で、自分の在り方を探求していくことが、自分にとって心地よい、新しい生き方であると感じました。
そして、「学びのシェア」という方法で、人と人との新しいつながりができるのではないかと思い立ちました。自分が「学びのシェア」でつながりたいと考えるきっかけとなった出会いをご紹介したいと思います。
「ホームスクーリング」のつながり
学校へ行けなくても、ホームスクーリングという学びのかたちがあることを知り、希望を感じました。そして、NPO法人日本ホームスクール支援協会(HoSA)の存在を知り、ホームスクールを実践する仲間がいることを実感しました。横のつながりを持てることは大きな希望にもなりました。
日本ホームスクール支援協会 Webサイトに掲載されている「設立趣意書」より、一部抜粋してご紹介させていただきます。
人類最大の産業革命といわれるインターネットの普及によってアメリカを中心に在宅学習(ホームスクール)が大きく広がってきています。インターネットが持つ膨大な知的資源を元に、地球をキャンパスにする学習形態を獲得するということは生涯にわたり持続可能なものです。
アメリカではホームスクール実践者の数は学齢児童学生全体の5%である200万人といわれており、ホームスクールが全州で合法化され、学校と同じように学習の場として認められております。
「NPO法人日本ホームスクール支援協会」は、日本でのホームスクール実践者に対する支援および保障、ホームスクールの地位の向上、そして社会的認知の向上を目的とした団体です。
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NPO法人日本ホームスクール支援協会
https://homeschool.ne.jp/about-us
「オンラインフリースクール」との出会い
「オンラインフリースクール」に出会って、「教える」ではなく、「シェアする」という自由で対等なあり方に感銘を受けました。
「今日はこんなことをやります!」というお知らせを毎日見るだけでも、どこかで誰かがホームスクーリングをやっていると感じられて、「ひとりじゃない!」と思えました。
「やりたいからやる」そんな気持ちで自分の学びをシェアしてくださる場がある事で、こちらも「やりたいことをやってみよう」と思えるのかもしれません。
「教える」という行為は、相手が価値を感じてくれたかどうか、「他人軸」で結果を評価してしまう事があります。「シェアする」という行為は、「やりたいからやる」という、純粋な「自分軸」の行為なので、評価を気にする必要がありません。
「教える」ではなく、「シェアする」気持ちで、「自分の学び」を発信する人が増えると、世界はもっと面白くなる気がしました。そして、「学びのシェア」という言葉を思いつきました。
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オンラインフリースクール こころカンパニー
https://3sty2.crayonsite.net/
「学びのシェア会」との出会い
「学びのシェア」というキーワードでネット検索したことから「学びのシェア会」というコミュニティに出会うことができ、心から共感し、たくさんの学びをいただきました。
10代の人たちへ手渡したい学びをシェアするという目的で『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』という書籍をクラウドファンディングで出版され、現在はこの本をきっかけに生まれる勉強会の開催など、「きみトリプロジェクト」という活動に取り組んでおられます。
学びのシェア会がWeb上で発信されている、noteの記事より、一部抜粋してご紹介させていただきます。
「学びはシェアして、より学びとなる。」
学びのシェア会としての発信は、現在、出版プロジェクトがメインになっているのですが、「学びのシェア会」としても定期的に場をひらいています。
発表者(シェアする人)にとっては、学んだことを整理、定着させる機会になるのはもちろん、確信のないこともまだ途中のことも、「舞台」で口にすることで、次への展開の大きな足がかりになっています。
参加者(シェアされる人)にとっては、シェアしてもらったことが自分の経験や関心と結びついて、発見や新たな学びの種が生まれたりと役に立っています。身は一つだけれど、こうして手分けして学び、それを分かち合って学び、さらに学びへの意欲を高めあうような場であり、
ここに来て、学びあう仲間に合えて、また元気をもらえる!
行けば絶対楽しいことが待っている!
というつながりにもなっています。
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学びのシェア会の作り方
https://note.com/manabi_share/n/n185ad1b040d2
学びのシェア会 Facebook
https://www.facebook.com/manabinosharekai
シェアスクーリングという方法
さらに学びの可能性を探求していくうちに、「シェアスクーリング」という方法を思いつきました。
ホームスクールを実践する子ども達が、それぞれの「ホームスクールをシェアする場」として。そしてまた、大人も含めすべての人が「自分の学びを発表する場」として。「もっと身近に」「もっと気軽に」「とにかく楽しく」、学びをつながりのきっかけとして、多様な人達が心地よくつながり合える場を作りたいと考えました。
今ある学びの手法やコミュニティの在り方から、以下の4つを参考にしてみました。
ひとつ目は、「Project-based Learning(課題解決型学習)」です。
まず 課題を見つけ、 解決策を考えます。思いついた事を書き出します。
仲間とシェアして、 情報を集め、調査し、作戦を練ります。
導き出した解決策を仲間とシェアします。「行動してみる」「議論する」「他人に説明する」ことにより、学びが深まります。ファシリテーターの介入によって議論の場の思考を促進させます。
ふたつ目は、「反転授業」です。
事前に各自で、動画視聴などのインプットの学びを行います。授業や研修、セミナーの場は、ディスカッションやプレゼンテーションなど、アウトプットの場となります。コーディネーターの介入によって、学びの教材となる情報や映像を集め、シェアします。
みっつめは、「リカレント教育」です。
すでに仕事に就いた社会人が、必要と感じたタイミングで学び直す「社会人の学び直し」です。主な目的は、新しい知識を身に付けることでキャリアアップや転職に活かすためとされています。何度でも「学び直し」によって成長し、新たな生き方を作り上げていくための取り組みといえます。
よっつめは、「ごちゃまぜコミュニティ」です。
大人、子ども、高齢者…世代に関係なく、職業や立場を意識せず、人と人とのかかわりが対等で平等なコミュニティの在り方です。私はこの「ごちゃまぜコミュニティ」に4つのいいことがあるような気がしています。
全ての人が対等に関わることで、心理的安全性の高い場となること。
対話によって互いを理解し、尊重し合えること。
他者と自分の違いを知り、新しい発見が生まれること。
思いや知識が混ざり合い、集合知が生まれること。
以上の事を参考にしながら、誰でも参加できる「シェアスクーリング」のイベントを企画していきたいと思っています。
新しい学びのかたち「反転授業」
私が「反転授業」を知ったきっかけは、「Zoomオンライン革命!」という書籍の著者である、田原真人さんという方を知った事から、田原さんの取り組みとしての「反転授業の研究」に出会いました。
反転授業とは、知識の習得と応用の場を「反転」させた学びのかたちです。従来の学び方は、知識の習得を教室で行い、その知識の応用として、家庭で宿題に取り組む、というものでした。
反転授業では、知識の習得を家庭で行います。「動画視聴」などの活用によって、個別の学習が可能となり、それぞれのペースで知識の習得に取り組むことができます。
学校は学びの応用の場となり、教室でグループワークや演習の取り組みを行います。個別では行えない「学び合う学習」を実践する場として学校を利用することで、学びの応用に取り組むことができます。
オンライン上で「反転授業の研究」というグループに参加させていただいた事が、自分にとってすごく大きな学びとなりました。
「反転授業の研究」とは、田原真人さんが2012年に立ち上げられたFacebookグループです。テクノロジーを活用した学習者中心の学びの探究を目的とされ、新しい教育のあり方に関心のある多くの方が参加されています。
また、多様性のあるメンバー間の対話により、自己組織化的に集合知を得るという活動目標のもと、活発に意見が交わされ、たくさんの実践例が報告されています。4年ほど活動を停止されていたそうですが、2021年にグループとしての取り組みを「再起動」されました。
グループ内では、zoomの録画機能を使った対話記録を見ることもできたので、どのような場であるのか、どのような方が参加されているのかを、あらかじめわかってから対話に参加できるという点で、自分にとってすごく参加しやすい場であったと感じます。
また、グループにはいろんな立場の方が参加されているにもかかわらず、すごく対等でフラットな関係性で対話ができ、大きな安心感とともに、自分の思いや現状を伝えることができました。
自分のありのままの現状報告を受け止めてもらえる場に出会えたことで、これまで個人的に願うだけだった「学びのシェアでつながりたい」という思いを、誰かに伝え発信できるようになりました。誰かに話して受け止めてもらえることで「自己肯定し、自己表現できていく」ということを実感しました。
「反転授業」という学びの在り方は、未熟な自分、ありのままの現状を表現し、受けとってくれる誰かがいてこそ活かされる手法である、と感じました。「反転授業の研究」Facebookグループは、まさに「学びの応用の場」であって、対等でフラットな、心理的安全性の高い場である、と感じました。
「反転授業」という方法で新しい学びの場やコミュニティを作ることで、学校になじめなかった自分や、今学校へ行けないでいる子どもたちが、人とつながる可能性、自分に合った方法で学べる可能性が広がっていくのではないかと、すごく希望を抱いているところです。
現在オンライン上で取り組まれている事を参考にして、実生活でも身近な人達との間で「反転授業」を実践してみたいと感じました。個人的に企画する「シェアスクーリング」などを通して、「反転授業」の実践に取り組んでいきたいと考えています。
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反転授業の研究Facebookグループについて
https://flipped-class.net/wp/?page_id=6
反転授業の研究グループFacebookページ
https://www.facebook.com/hantenjugyo
反転授業 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E8%BB%A2%E6%8E%88%E6%A5%AD
小林正弥(こばやしまさや)公式サイト
反転学習(反転授業)とは?メリット・デメリットと導入事例を解説
https://kobayashimasaya.jp/2020/09/14/flip_learning/
オンラインから始める「自己表現」
「学びのシェアでつながりたい」という願いを行動にうつすにあたり、まずは「自己表現」をして、自分という人間を誰かに分かってもらうことが必要であると感じました。
これまで、口下手で、会話の中でパッと言葉が出てこなかったり、自分の思いをうまく人に伝えられないことにずっともどかしさを抱えてきた自分です。誰とも深くは関われないで、心理的にはひきこもりとも呼べるような自分が、「自己表現」をしていくことは難しいことでもあり、勇気のいることでもありました。
それでも、「ありのままの自分で誰かとつながってみたい」、口に出せないで閉じ込めてきた自分、自己否定してきた自分を受け入れて、まるごとの自分をちゃんと表現できるようになりたい。という願いを持って、まずはオンラインから自己表現をしてみようと思いました。
思いを言葉にするのがとても難しいのですが、時間をかけて言葉を選び、言語化するうちに、自分の考えがまとまってくるような気がしています。
オンラインから始める理由は、自分が納得できるまで、じっくりと言葉を選ぶことができるからです。「会話」の中で伝えようとすると、どうしてもその場で思い付く言葉しか使えないので、本当に自分が伝えたいことをちゃんと伝えきれないもどかしさがあります。じっくり練り上げて表現する言葉を、いつでも見てもらえる形で残しておけるのがオンラインのいいところだと感じています。
ただ、実生活での自分は役割をこなすことで精一杯で深い思いを口にできないまま、オンラインでの表現は、自分にとっての理想や夢を語るばかりで、現実とのギャップを感じているのも事実です。
実生活でも、ちゃんと自分を伝えたい。人とのつながりを居心地のよいものにしていきたい。自分らしく人と関われる、自分の役割を見つけたい。そのために、オンラインでの自己表現でだれかとつながる実験を重ねながら、自己表現する力を磨いていきたいと思います。
そして、実生活とオンラインを行ったり来たりしながら、理想と現実のギャップを縮める努力をしていきたいと思っています。
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あすまま
Twitter https://twitter.com/asumama7
note https://note.com/asumama7
『出現する参加型社会』
2021年、『出現する参加型社会』という書籍が、「反転授業の研究」Facebookグループを主宰する田原真人さんによって、クラウドファンディングを経て出版されました。
これまでにも、「Zoom」という新しいつながり方、そして「反転授業」という新しい学び方を提唱されてきた田原さんの言葉は、自分にとって「新しい生き方への道しるべ」を示してくださるものでした。そして今、そんな田原さんの提唱する「参加型社会」に、大きな希望を感じている自分がいます。
正直なところ、たくさんの情報を受けとっても「よくわからない」と感じる部分がほとんどの自分です。それでも、「参加型社会」の出現に向けて動き出している仲間として、合流したいと感じました。書籍の中の、ほんのいくつか、自分にとって「これは!」と感じるキーワードだけが足がかりの、心もとない理解の仕方であるのは事実です。未熟で無知な自分を恥じる気持ちは捨てきれず、「自分なんかが関わったら、足を引っ張るだけだからやめておこう」と思う自分もいます。
それでも、未熟さや不完全ささえも、嘆きとして分かち合える仲間がいることこそが希望であるということ、未熟で不完全なままの、ありのままの現状を報告し合うからこそ意味があるのだということを、この書籍を通して田原さんは伝えてくださっているように感じました。
書籍の中で、田原さんは、「この本は、「書籍」という商品ではなく、不完全な私からあなたへの肉声であり、「一緒に参加しませんか?」という呼びかけである」と記されています。そして自分は今、この本を原動力としてこの発信に取り組んでいます。
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出現する参加型社会クラウドファンディング
https://greenfunding.jp/miraifes/projects/4208
田原真人さんのご紹介①
『出現する参加型社会』の著者であり、反転授業の研究 主宰者である、田原真人さんのご紹介をさせていただきます。
私が田原さんを知ったのは、2020年の3月、「多様な学びプロジェクト」という団体が主催されたオンラインイベント、「オンラインの居場所を開くノウハウ講座」というものに参加したことがきっかけでした。
コロナウィルスの影響で学校の休校措置が相次ぐ中、不登校の子を支えるフリースクールや居場所も場を開けられない状況となっていました。そんな中で、「日常、子ども達と接する場を開いている人が、リアルで繋がっている強みを更に活かして、オンラインの居場所サポートも出来るようになり、より安定的に、子どもや親を支える力を身につけませんか?」という呼びかけで、緊急開催されたイベントでした。
そこで田原さんからZoomの操作についてのレクチャーと、「オンラインの可能性」についてのお話がありました。これまで自分がオンラインでのプロジェクトを通して漠然と感じていた「オンラインだからこそできることがある」という思いが、実際にそこにある可能性として可視化されたような希望を感じました。
田原さんのお話に共感し、興味を持った自分は、当時田原さんが開催されていた「自己組織化ラーニングファシリテーター基礎講座無料説明会」というものにも参加してみました。そこでのお話は、Zoomの操作に関することだけにとどまらず、オンラインの可能性、自己組織化、パラダイムシフトなど、新しい社会の在り方に言及されるものだと感じました。
そこでのお話から、自分がモヤモヤと思い描いてきた「ありのままの自分で関わっていける社会とはなにか」ということについて、具体的に、リアリティを持った可能性として示されていくのを感じて、自分が探していた道の先を歩く先輩に出会えたかのような、大きな希望を感じました。
田原さんはデジタルファシリテーターでもあり、新しい社会を探求する社会活動家でもあります。オンラインを取り入れた新しいコミュニケーションの形、「いのち」と「いのち」の関わりから生まれる新しい社会、その可能性を発信し続けておられます。
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多様な学びプロジェクト
https://www.tayounamanabi.com/
オンラインの居場所を開くノウハウ講座
https://peatix.com/event/1440710
田原真人 公式ブログ
https://masatotahara.com/
自己組織化ラーニングファシリテーター基礎講座無料説明会
https://www.facebook.com/events/1257646424445333/
田原真人さんのご紹介②
田原さんは『出現する参加型社会』の書籍の中で、自分の学んだことを、自身の個人史と関連付けて紹介してくださっています。書籍内の「Zoomとの出会いとネットワーク実践記 個人史における参加型社会の胎動」という章を参考に、一部抜粋してご紹介させていただきます。
田原さんは大学院で「生物の自律的な行動による自己組織化」を研究され、細胞性粘菌を研究対象とされていました。
「大切なことはすべて粘菌から学んだ 粘菌的な知性と南方熊楠」という部分を読んで、田原さんが「参加型社会」を提唱し、新しい社会の在り方を探求されている根底には、「粘菌の研究」が強く影響しているのだということを理解しました。
自分にとっては、「粘菌」という存在が聞きなれないものだったのですが、興味が湧いたので調べてみたところ、大変ユニークでおもしろい生物であることがわかりました。
単細胞の粘菌アメーバは、自律的に動き回ってバクテリアを食べます。合体して多細胞体の一部として取り込まれると、今度は多細胞体が自律的に移動しはじめるのだそうです。
このとき、単細胞の粘菌アメーバの自律性はどこへいってしまうのか?多細胞体の自律性はどこから生まれるのか?粘菌アメーバは、どうやって多細胞体の秩序を自己組織化するのだろうか?
という田原さんの疑問の答えを、自分も知りたいと思いました。
「自己組織化」という言葉も聞きなれずウィキペディアを参照してみました。自己組織化とは、
物質や個体が、系全体を俯瞰する能力を持たないのに関わらず、個々の自律的な振る舞いの結果として、秩序を持つ大きな構造を作り出す現象
のことであるそうです。
そして書籍では、南方熊楠(みなかたくまぐす)という人物について書かれています。熊楠は、粘菌を通して自然の摂理を探求し、東西思想の統合を夢見たと記されています。
「粘菌」に見る「自己組織化」を、人の社会形成に重ねてみる視点、人間が社会の一部として生きている事を自然科学的に探求する視点、それは自分がスピノザ哲学を通して生き方を探求した視点とも重なり、「自然の摂理の象徴としての粘菌」というものに、自分もとても興味がわきました。そして田原さんは、
「主体性や自律性に基づく自己組織化の探求が人生のテーマになった。」
と記されています。
「アカデミズムの外に出た私は、自分の人生を使った実践研究を続けていくことになった。」
とも記されています。人生を使った実践研究を続ける「在野の研究者」である田原さんの生き方を知って、スピノザ哲学から「生きることは実験の積み重ねである」と思うようになっていた自分は、強く共鳴を感じました。書籍には、
「世界観の転換は、自分自身が受けてきた教育や、社会人としての個人的な経験と関連付けられたときに自分ごとになる。」
と記されています。自分の人生と関連付けられる体験があって初めて学びが身につくというのは、とても納得できると感じました。そして、「いかにその学びに出会ったのか」が丁寧に記されたこの書籍を読むことで、田原さんの歩んできた道のりを辿りながら、学びのシェアを受け取ることができました。
自分がこれまで気に留める事のなかったものごとが、誰かの思いや経験と関連づいた情報として伝わることで興味が湧いて、学びのタネとなることを実感しました。
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田原真人 公式ブログ
粘菌を通して考える生命論的パラダイム
https://masatotahara.com/?p=1974
トオラス 与贈工房物語①~大切なことはすべて「粘菌」から学んだ~
https://self-organization.jp/story/story-1/
トオラスブログ 自律分散型組織のための人材育成とはどのようなものになるのか?
https://zoom-japan.net/useful/teal/
南方熊楠 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%96%B9%E7%86%8A%E6%A5%A0
自己組織化 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E7%B5%84%E7%B9%94%E5%8C%96
細胞性粘菌 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E8%83%9E%E6%80%A7%E7%B2%98%E8%8F%8C
生命誌ジャーナル
粘菌のふるまいに見る自己組織化の始まり 澤井 哲 東京大学
https://www.brh.co.jp/publication/journal/065/research_1.html
脳を持たない粘菌が集団行動する秘密
https://www.works-i.com/works/series/macro/detail005.html
脳がないのに問題解決ができ720もの性別を持つ謎に包まれた新種の全貌が公開される
https://gigazine.net/news/20191017-blob-organism-no-brain-but-720sexes/
https://wired.jp/2019/10/27/slime-mould-the-blob-paris-zoo/
モジホコリの動画 Brut Japan Twitterより
https://twitter.com/i/status/1185299514531278848
田原真人さんのご紹介③
書籍から見えてくる、田原さんの個人史とご自身の世界観の転換についてご紹介させていただきます。
田原さんは、大学院を中退し、物理の予備校教師をされていたそうです。2005年には、予備校講師をされる傍らで、物理の講義動画をインターネット配信する会社を立ち上げ、「フィズヨビ」というサービスをスタートされました。「インターネットの可能性」に着目し、
「オンラインはリアルの代替ではない」
ということを実感として感じ取られ、前例のないところから取り組みを重ねてこられた田原さんの実践に感銘を受けました。そして、
「やってみたからこそ気づいた「新しいもの」こそが、本質的に重要だった」
という田原さんの言葉に、自分も強く共鳴を感じたのです。
2011年、東日本大震災を体験された田原さんは、その後の福島での原発事故を受けての放射線リスクへの対応などを通して、社会システムへの信頼が崩れる体験や、それまで築いてきた人間関係の分断を体験されます。
そして、崩れてしまった世界観をゼロから再構築するために、マレーシアに移住されました。
それから今まで、マレーシアにいながら全ての仕事をオンラインでこなされているという、田原さんはまさに「オンラインの可能性を体現する方」であると思いました。
そんな中で、アメリカで「カーン・アカデミー」という無料動画講義サイトが話題になった事など、教育に関わる大きな変化を感じ取り、「教師や学校の存在の意味が問われる時代が来る」と悟った田原さんは、
複製できない「人間らしい価値の提供」が重要になる
と直感したそうです。
そして、主体性や創造性を育む新しい教育手法について情報収集をされるうち、反転授業に出会った田原さんは、それまで探求されてきた「動画の活用」と、「人間らしい価値提供」とを組み合わすことができる「反転授業」に大きな可能性を感じ、2012年に「反転授業の研究」Facebookグループを立ち上げられました。
震災から2年がたった頃、福島の農業の復興を目指す農業生物学者のご友人との関わりから、人と人とのつながりの分断に関する気づきがあったそうです。
「違いによって分断が起こるのではなく、均質な「正しさ」があるという幻想に捉われているから分断が起こるのだと気づいた。その幻想は画一的な教育によってつくられたものだろう。教育の問題点のしっぽを捕まえた気がした。」
という田原さんの言葉に、深く共感しました。
そして田原さんはアクティブ・ラーニングの牽引者の一人である小林昭文さんと出会われます。
「違いを学び合いのエネルギーにする」
という言葉に触れ、
「アクティブ・ラーニングの実践は、分断を乗り越える方法の一つになると感じた。」
と記されています。
さらに田原さんは「ワールド・カフェ」というワークショップの手法に出会い、香取一昭さんの著書、『ワールド・カフェをやろう!』を読んで大きな衝撃を受けたといいます。その気づきを、書籍に以下のように記されています。
「私は、「生命体がもつ可能性=自己組織化する能力」を信じて、ずっとそれが花開くための方法を探求してきたのだと気づいた。」
そしてさらに、
「今取り組んでいる「反転授業の研究」は、自分が生きる意味と密接につながっていて、そこに自分自身を投げ込んで、実践研究すればよいのだと分かった。かつてのようにコンピュータの画面の中で行っていた研究ではなく、本物の世界に身体ごとぶつかっていって、自分自身に起こるさまざまなことから学んで研究すればよいと思った。ようやく、自分の生きる方向性が定まって覚悟が決まった。」
とも記されています。それを読んで、田原さんの人生観が転換した、大きな感動が伝わってきました。
2020年、経営されていた組織トオラスが、コロナ・パンデミックの波により組織内の葛藤が大きくなりました。
経営を離れ、活動の中心を個人に移した田原さんに、50年前から参加型社会に取り組んできた橘川幸夫さんとの出会いが訪れます。田原さんが取り組んできた自己組織化の探求と、橘川さんが取り組んできた参加型社会とを融合させる取り組みとして、田原さんは、橘川さんの著書『参加型社会宣言』のオンライン読書会を開催されました。オンライン読書会を通して、
「今まで取り組んできたことを「参加型社会」というフレームの中で位置づける事ができた」
と記されています。そして橘川さんからの提案によって、田原さんと橘川さんは一緒に参加型社会の学会を立ち上げることとなり、その立ち上げの狼煙となる本として田原さんは書籍『出現する参加型社会』を執筆されたのだそうです。
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物理ネット予備校フィズヨビ
https://phys-yobiko.com/
反転授業の研究
https://flipped-class.net/wp/
インディペンデント・ウェブ・ジャーナル(略称:IWJ)
公開シンポ 原発事故と有機農業 — 有機農業運動論の再構築 2013.2.24
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/60599
小出裕章・明峰哲夫他の公開討論会記録『原発事故と農の復興』
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784861871030
田原真人 公式ブログ
明峯哲夫さんを偲ぶ
https://masatotahara.com/?p=1266
すべての違いを学びの源にするワークショップ
https://peraichi.com/landing_pages/view/kyoto-hub-workshop
トオラス プロフィール
https://self-organization.jp/torus-profile/
https://www.torus-biz.jp/about/
小林昭文さんブログ
授業研究AL&AL
https://a2011.hatenablog.com/
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『ワールド・カフェをやろう 新版 会話がつながり、世界がつながる』
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株式会社デジタルメディア研究所
橘川幸夫プロフィール
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『参加型社会宣言 ──22世紀のためのコンセプト・ノート』 (未来叢書)
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新しい取り組みへの希望
「参加型社会」
不完全さでつながろう。
お互いから学び合う対話を始めよう。
「ありのまま」を探求する中で「参加型社会」に出会い、書籍『出現する参加型社会』から見えてくるその取り組みの可能性に大きな希望を感じています。難しい話は分からない、全ては理解できていない、そんな不完全な自分のままで、自分なりに学んだこととして、お話ししたいと思います。
自分にとっての「参加型社会」とは、「一人ひとりが「自由」に生きられることが「社会」の安定につながる」という、スピノザ哲学を実践する社会であると感じました。
参加型社会はいかにして出現するのかを考えてみました。まず一人ひとりが「ありのままのすがたで社会に関わっていく」という実験に挑むことから始まるのではないかと思います。
そしてそれぞれの気づきを報告し合い、お互いの違いを学び合いのエネルギーにして、人と人とのつながりが自己組織化していく社会が「参加型社会」である、と理解しました。
具体的に、自分に今できることは、「ありのままの自分」を誰かに伝えることだと思います。自分が思ったことや感じたことを人に伝えること、やりたいことをやってみること、取り組んでいる事を発表することなどが、「自己表現」になるのだと思います。
そして誰かの「自己表現」を受け止め、共感を感じる他者の声に「受け止めたよ」と声を上げることでつながり合っていき、お互いの「表現活動」を受けとり合う事で、相互に引き出されていくのだと理解しました。
つながりのその先へ。
自己表現の相互作用を実験してみよう。
学び合う社会の中で、「ありのままの自分」が心地いいと思える生き方を探求していこう。
オンラインで自己表現し、誰かとつながることで「自己表現の相互作用」を実験していきたいと思います。そして、実験の成果を積み重ねることで「自己理解」と「他者理解」を深めていきたいと思います。
そしてその成果を実生活にも反映していけるように。オフラインでも、自分の思いを人に伝え、自分が自分らしく生きられる役割を見つけていきたいと思います。
「学び」を道しるべに、「シェア」でつながる社会
「参加型社会」が出現するのを感じながら。
誰かとつながり、学び合いながら、「ありのままの自分」が心地いいと思える生き方を、これからも探求していきたいと思います。
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