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総合芸術=時間芸術と空間芸術の融合


先月、主宰している「東のボルゾイ」の新作ミュージカル公演が無事終演しました。お越しいただいた皆様、ありがとうございました!

公演写真を公開しています。よろしければご覧ください。


さて、先月末に、テレビでちらっと見て気になっていた、ポーラ美術館の「フィリップ・パレーノ展」に行ってきました。そこで起こった出来事を元に、今日は総合芸術の「時間」と「空間」について私が考えたことを書いていきたいと思います。

ここから先、「フィリップ・パレーノ展」に関するネタバレを含みます。ご来場予定のある方はご注意ください。


☆ちなみに展示会のURLはこちら↓




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美術館でネタバレされた

先ほど、ネタバレ注意と書いたのには理由がありまして、実は、私が実際この展示を観た際に、「ネタバレを食らった」からなのです😂

私は事前にテレビ番組を横目に見ていたので、その作品展には、絵画、映像、立体など様々な作品が出品されており、また、作家の方が、それらの様々な媒体の作品を組み合わせた「体験型アート」をコンセプトに作品を作っていることも知ってはいました。

こんな感じで魚が浮いていて、さわれたりする。この魚についても色々思ったことはあったのですが、今は割愛。


本題は、とある映像作品。私が入ったときは丁度上演が終わったタイミングだったらしく、次の回をみようと思っていました。
その時です。学芸員の方に、「今映像作品が終わり、後ろのシャッターから巨大なオブジェが出てきたところです!」と言われまして。笑

え、映像作品を見ていたら後ろのシャッターから巨大なオブジェが出てくる、だなんて、作者にとっての1番のビッグサプライズ、というか、超ネタバレなのでは!?!?と混乱しました😂

入退場自由なので、オブジェを然るべきタイミングではない段階で見てしまうこと自体は防げなかったと思います。が、仮に作品のオチが巨大オブジェの登場であるいうことを知らずにそのオブジェを見ていたとしたら…

「なんか外に物体あるなー」程度で開演を待つことができ、物体の存在を忘れた頃にオブジェが再び登場し、改めて驚くことができたと思います。


その後作品を見始めたのですが、途中から入ってくるお客さんに向けても、「今作品が○分ほど終わりました。この後後ろのシャッターが開きオブジェが出てきます。」と予告アナウンスをしているのが聞こえました。

また、別の映像作品を見た際も、学芸員の方に、「今半分ほど映像が終わりました。映像が終わった後にはインスタレーション(映像とオブジェが一緒に動いていた)があります。」と言われ、嗚呼、全体的にこの展示(or美術館?)は、作品の展開を予告していくスタイルなんだなぁ、と思いました。

因みに、オブジェが登場することを分かった上で映像作品を見たわけですが、結末を分かった上で見ても、オブジェの使われ方は面白くはありました。

一応内容をざっと書くと…

①どこかの家。住人がいるはずなのに画角には家と家具など、モノしか映らない、という不自然なシチュエーションからスタート
②終盤、やっと人が映った!
③と思ったらカメラがズームアウトしていき、実はその人はこの映像を撮影するスタッフで、その家が舞台セットだったことを知らされる。他にもスタジオには大勢人がいる、というネタバレ
④なーんだ、フィクションかぁ、と思っていたら、最後に私たちが鑑賞している現実の部屋の後ろのシャッターが開き、反射板のようなものをつけているオブジェがこちらを覗く。
まるで、現実を生きていると思っているであろうお前たちも作品の一部なんだぞ、とオブジェが語っているよう。

といった感じの作品。


映像のどこを見せるかという視点が変化していき、最後にはスクリーンをはみ出した表現手段を用いることによって観客をハッとさせる、という仕組みの作品だったのですが…

いやーどう考えても最後のオブジェに向かって全てが進んでいっていたよなぁと思い、ネタバレしていない方がもっとドキッとできたのではないかなぁ、と思いました。

結末を教えてくれた学芸員の方を非難したいわけではありません。美術館の特性や、ネタバレ=解説をするメリットというのもあるというのは理解しているつもりです。

ただ、普段「時間芸術」をやっている私としては、練りに練ったであろう話の展開を先に知らされるのはかなり衝撃的な出来事ではあり、これをきっかけに、自分の芸術に対する考え方をまとめてnoteに書いてみようかな、と思いました。


余談ですが、今読んでいる本がおすすめなのでシェアします。美術、音楽、総合芸術の概念についても書いてあります。



時間芸術の音楽。空間芸術の美術。それらを融合した「総合芸術」


私は、音楽や演劇をやっているのですが、
始まりの地点(開演時)と終わりの地点(終演時)が確実に定まっている中で作品を作っています。(実験的な音楽で、どこから演奏しても良い作品などもありますが、ここでは一般的な作品のことを話します。)

そのため、どの時間に何を起こすか、そのイベント(サプライズ)の地点に向かって、どのくらいの時間をかけて観客に何を体験させていくか、など、時間を軸に物事の脈略を考えます。音楽家である私にとって、音楽はそれでしかないというか、それが命だと思っています。

意味もしくは意図のない時間というものは絶対作りたくない、とも思っているので、
例えばミュージカルのような、大勢の人と作る作品に携わる際は、時間の流れ(スピード、タイミングなど)関することで問題点を見つけたら必ず相談をします。
時の流れを常に意識して生きてきたので、なんなら自らの日常生活の時間感覚・管理もかなり優れている方だと思います(笑)


それはさておき、一方、一般的な美術作品の場合、「時間」が「空間」に置き換わります。
「いつ」何を配置するか、ではなく、「どこに」何を配置するか、がポイントになっていますよね。

つまり、見る順番などをある程度は操作できるものの(例えば一番最初に見てほしい箇所が目に入りやすいよう強調するなど)、
作者が「左上を2分見た後に右下を3分見てほしい」など、時間を完全に操作することはありません。

ですが、美術を用いて「左上を2分見た後に右下を3分見る」を実現することのできる表現方法があります。それが総合芸術です。



今回の展示は、
・映像(時間芸術でもあり、1つの画面をどう作るかという意味では空間芸術)
・立体作品(空間芸術)
のコラボでした。

また、私が日頃作っているミュージカルは、
・物語(時間芸術)
・音楽(時間芸術)
・身体表現(時間芸術であり、ポーズやフォーメーションを切り抜くと空間芸術)
・美術(空間芸術)
などが融合した芸術です。

つまり、「総合芸術」は、美術や音楽といった異なるジャンルのコラボにより、時間と空間という2つの概念を交わらせ、美術を「聴かせ」、音楽を「見せる」ことができる芸術だと言えます。

そして、時間と空間、どちらの要素を何%ずつ配合するか、ということは、総合芸術を作る&鑑賞する時の醍醐味ですし、一方総合芸術を作る上で苦労するところでもあります。

東のボルゾイ『ソフトパワー』公演の様子。
左側にある屏風など、舞台美術を脚本の島川、演出の大舘が製作しました。私は美術の実技は本当に苦手なため、ただただ尊敬です。

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映像作品や演劇作品では、視覚情報を、物語の文脈の中の然るべきタイミングで提示します。普通の絵画の視覚情報とは違い、視覚情報を時間軸に乗せて提示することで、静止画では見せられない効果を見せることができます。


(このような時間の効果を用いている時点で、先ほど述べた映像作品の上演関して、いつ入っていつ出ても良い美術館という箱は、難しい環境であったことは確かだと思います。
ちなみに、この日見た別の作品で、絵画を点滅させ、一定時間しか絵を見せてくれない、という作品もありました。時間を制御する絵、はとても面白かったです。)

一方、聴覚を視覚的に聴かせる、ということも総合芸術ではよくあることです。

…思い返せば今まで私は普段ミュージカルを作る時に、これについて試行錯誤したり、悩んだりしていたではないか!😂と思い当たりました。

音を「見せる」

東のボルゾイ『ソフトパワー』上演の様子。どこを切り取っても良い表情。

ミュージカルは、一発で観客を驚かせるような音を聴かせる、という瞬間が多いように思います。
(例えばピカソの「ゲルニカ」を目の前に広げられた、ようなレベルの気分にさせる音と言いますか…)

それこそ、以前仲間のミュージシャンが、ミュージカルのバンド合わせの時に、「ミュージカル音楽は役者などの動きと連動しているから、音楽のキメ(それまでのフレーズを中断するようなアクセント)が多い」と驚いていました。
確かに、音楽単体でミュージカルの曲を演奏すると、不自然なブレイクなどが多く、ちょっと奇妙な感じになります。


特に、所属している「東のボルゾイ」の作品は、連続した時間で見せる、以上に、
今という刹那において何かサプライズを起こそうという場面が多いため、いかに視覚的な音楽を作るか、ということはよく考えています。
今年書いた『ガタピシ』と『ソフトパワー』などはそれが顕著に表れていると思います。

同じミュージカルでも、必ずしもそのような作品ばかりではないのですが、脚本の島川が美術学部出身なことにより、そのような発想がより鮮やかに脚本に表れている、という面もあるのではないかな、と思います。

それからもう一つトピックを付け足すと…
令和は「刹那の衝撃」がたくさん溢れている時代だ、ということ。TikTokが流行り、YouTubeも2倍速で見る時代、時間の経過を見せる芸術はあまり流行っていません。

先述のとおり、私は時間に対する美意識が"鬼"あります。そして、扱える時間は適度に長い方が、実は色々な工夫ができて楽しいです。(長すぎてはダメ)

勿論演劇作品、それから「現代」において「刹那」の大切さ、面白さは分かっています。
しかも、かくいう私もYouTubeは2倍速で見ます笑

ですが一方、お客様には、「時間の経過」でしか表現できないものを、できるだけ多く、長く味わって楽しんでもらいたい、とも思っています。


大は小を兼ねる、とも言いますし(突如大雑把)、刹那を作る技術を磨きつつも、長い時間を調理する技術も磨いていきたいと思います。

私の作る音楽を多くの人に楽しんでいただけるように、時間と空間の良い塩梅を探りながら、自分にしかできない表現をまだまだ続けていきたいなと…!


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いつにも増して長文となってしまいました。すみません。
最後まで読んでいただきありがとうございました!


久野飛鳥


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